【短歌】犠牲|文語の定型短歌を詠む 33
雌仔山羊は長じ仔山羊を二頭産む 巡る生命の美しきかな
胎内に消えしひとつの生命あり 骸冷めゆく早さのあはれ
疾く知らば或いは死産を救へしや 解なき問ひを繰りて悩めり
死産の仔抱き不識を悔やみつつ「犠牲」の字義を噛み砕きをり
生と死の境に一条光るもの 山羊の生命に人の生命に
2014年2月詠 『橄欖』2014年5月号初出
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ヤギを育てていたのは当時長坂に住んでいた友人である。
子ヤギのオスとメスを一頭ずつ育て、二頭は成長し、
メスのおなかが大きくなった。
妊娠を見守り、いつ出産してもいいように準備を整えた。
厳寒の真冬なので、産み落とされた子ヤギが寒くないように
出産の場所を整えてやり、藁も大量に用意した。
ついにその朝を迎えた。
母ヤギの分娩を援助してやり、子ヤギが二頭、無事に産まれたが、
胎内に三頭目がいたことに気づいたのは、しばらくたってからだった。
気づいた時にはもう遅く、小さな命は母ヤギの胎内で消えていた。
もう少し注意深く様子を見ていて、
まだ一頭いるともっと早く気づいていたら、
もしかしたら、この仔を救えたのではないか。
友人は小さな子ヤギのなきがらを抱いて肩を落とした。
私が読んだ彼のSNSへの投稿は上記のような内容だったのだが、
「犠牲」という語の部首や字義を改めて見つめたのは私だ。
サクリファイスという言葉を私が連想したのは、
この友人がキリスト教の司祭だからである。
見出し画像は
Francisco de Zurbaran (フランシスコ・デ・スルバラン)画
Agnus Dei (神の仔羊)
スペイン プラド美術館所蔵