魔が差して働いてみた➖半年が、本当に、限界だった職場➖
わたしが長続きしなかったのが、財務経理のとき。
私はいま40代で、営業(10年)→書店コンシェルジュ(6年)→財務経理(半年)→絵本の仕事(現職)という仕事遍歴だ。
「続けるには、ほんとうに、半年が限界だった」働き方・状況について纏めてみた。
(年の瀬にすみません!最後に明るくなってます)
なぜ急に未経験の私が財務経理の仕事をしていたかと言うと…。
時はコロナ禍。当時、 娘は保育園に通っていた。
保育園のママ友さんがなぜか「私に合いそうな職場だから、やってみないか?」と声をかけてくれた。(そのママ友は、保育園の入学式の時に挨拶をして以来、3年程お付き合いがある関係。自分が勤めている会社の他部署案件を紹介してくれた。)
当時、私が働いてた書店は、コロナの煽りをうけ、
営業時間を大幅に削減し、人員も減らしていた。
一時期は店を休業した時期もあった。
お店にいてもお客さんが来ない、企画してもイベントが開催出来ない…なんだか鬱々とした気分で働いていた。
ママ友の声かけに、私は魔が差したのだ。
「事務仕事未経験の私でもできるのか!?」
と、すごく不思議に思ったが、まずは履歴書を出して欲しいと言われたので、意気揚々と書いて提出した。
事務未経験といえども、営業職10年勤めた企業は割としっかりした教育制度があり、ビジネスマナーはかなりしっかり身についていた。ある程度のパソコンスキルもあった。それに、どこへ出しても恥ずかしくない外面だけはしっかりと身についていた気がする…。
履歴書提出から1週間ほど経って、ママ友からメールがきた。
「面接に来て欲しいみたい」と言われ、受けに行った。
会議室に案内され、社長さんが出てくると思わなかったが、面接も和やかに進んだ。(社長と部署の方2名、私、の4者面談だった。)
面接の最後に、「すぐにでも来て欲しい!いつから来れるか?」と聞かれた。
今思い返すと、おそらく… 電卓が使え、ある程度のパソコンスキル・社会人経験があれば誰でも採用されるポジションだったようだ。
小売業の本社の中にある部署で、各部署が島になっていていて、フロアの中心には社長が、目に見える場所に座っている。ワンフロアの構成。
自社ビルは立て替えたばかりでピカピカで新築の香りがしそうな建物だった。
魔が差し続けた私は、「採用」と言われ気分を良くし、綺麗な事務所だし、未経験の事務経験を積めるいいチャンス!だと転職を決めた。
書店のチームメンバーに転職先が決まったことを伝えると…当時は店のメンバー全員が弱気になってたから、上司も同僚も、いい職場が見つかったんなら良かったよ、いつでも戻っておいで!と盛大に送り出してくれた。(今でも店によく遊びに行く)
そこからわたしの苦しい半年間が始まる。
苦しかったこと①
まず苦しかったのが、制服だ。(えっ!そこ?)
昭和の作業着のようなジャンバーを支給される。
初日の研修では、爪の切り方、髪の結び方まで、指導される。
(事務仕事だが、小売業なので統一のルールがあった様だ。)
どえらいところにきてしまったぞ!と初日に気づきはじめる。
今思い返すと、着るものや、感性、はたらく人たちの醸しだす雰囲気って私にとってはすごく大切な事なのに、最初に感じた違和感を無視し半年も過ごしたが、毎日制服を着るのがつらかった。
苦しかったこと②
同じ部署の働くメンバーのとのコミュニケーションが皆無だったこと。
財務経理部は、8人いた。
役職者4名(男性ばかり)、その下に3名(女性)、パートさん(女性)。
私は係長の男性・安藤さん(仮名)という方に業務を教えてもらうことになる。安藤さんはとても良い方なのだが、コミュ障だ。
他の方も、挨拶をしても、蚊の泣くような返事しか返ってこない。
いままで、コミュニケーション大好き…の大阪の企業で働き続けてきた私にとって、おとなしい人たちとはたらく初めての経験だった。
そして、コミュ障の方たちは電話応対が嫌いだった。(新人が電話に出る暗黙のルールがあったのか)
私は電話はワンコールで出ることが身についているので、電話が鳴れば取るようにしていた。そしたら、県内にある64店舗から、ジャンジャンかかってくる様々な問い合わせの取次ぎを全て私がこなすようになった。(いまでも電話を取っている悪夢を見る)
苦労したのが店舗数だ。(当時はおそらく64店舗あった。)
銀行の支店のように店番があり、丁寧に「〇〇支店の田中です」と電話をかけてくれたらいいのだが、「644の店長です」と現場から早口で電話してくるので、どこの誰からの電話なのか全くわからないことがよくあった。レジのお釣りの小銭が足りないとか、前日の収支報告の原因はこうです、のような重要事項を早口で言われることも多く、大変だった。
コミュ障の方たちも半年もいればすこしずつ人柄も分かって来るのだが、とにかくきつかった。
苦しかったこと③
未経験の座りっぱなしの仕事。(そこか!)
やっぱり苦しかった。耐性と適性もなかったのだと思う。
考えてみたら、営業の仕事も、書店の仕事も立ったり座ったりして身体の自由度が高かったのだ。
昭和風の作りではあるが、自分のデスクトップで自分専用のキャビネットがあるというワークスペースだが、好きなポストカードなど飾っても全く気分は上がらなかった。
座りっぱなしの仕事は、毎時間、身体を動かしたい衝動にかられ、お昼休みは、ビルを抜け出し、散歩をして過ごした。
また、お昼休みの後の睡魔と戦いながら数字と格闘するのも辛かった。
紹介してくれたママ友の手前、3ヶ月では辞められないと思い、続けてみたら、ある程度の月次決算の業務も出来るようになっていた。彼女はなぜ私にこの仕事を紹介してくれたのかは謎なままである。(今も付き合いはあるが、ほわっとした天然キャラという印象は変わらないのだから、私が魔がさしたのが悪かった。)
半年というのが私の限界で、退職を決めたのだが、半年にしておいて良かった。自分の心身の健康のための判断だった。
その後
今の職場(絵本に関わる働き方)に勤め始めてから、はや3年が経とうとしている。
当時、保育園に通っていた娘は、来年は3年生になる。私は11月からライティングの勉強を始めたので。来年はそれを活かして、何か新しいことにチャレンジしたいと思っている。
皆様にとって良い年になりますように・・・