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『世界は僕のCUBEで造られる【2022】』を見て

みなさんこんばんは。
今週の気晴らしの時間です。
スマホばかり見ている堕落して日々より、文章を打っている時間の方が有意義なのでは…という浅はかな考えで生きております。

というわけで本日の作品はこちらです。

『世界は僕のCUBEで造られる【2022】』

ASSH-DX Vol.5 「世界は僕のCUBEで造られる·2022」 公式サイト (dearstage.com)

ストーリー

『自分の心の中に、会ったこともないもう一人の僕がいる…』

『CUBE』というドラッグを飲んだ主人公「僕」は、自分の心の中に潜ってしまう。
そこには、様々な四角い部屋があり、部屋ごとに「CUBEの住人」という「もう一人の僕」がいた。
愛と平和のCUBE「ラブ&ピース」、堕落のCUBE「怠慢」、孤独のCUBE「ムーンチャイルド」・・・
彼らは、心の中の「僕」のもうひとつの姿だったのだ。

「僕」は心の中を旅して行き、新たな自分に出会い、自分を発見して行く。
しかし、欲望のCUBEである「彼」は「僕」をつけ狙い、僕自身を乗っ取ろうとしていた……!

主人公の選択で結末が変わる
Side-ASide-Bのダブルエンディングで送るサイケデリックアドベンチャー!!

ASSH-DX Vol.5 「世界は僕のCUBEで造られる·2022」 公式サイト (dearstage.com)

ちゃんとストーリーに中身が書かれていて解説がしやすい、です。
ざっくりと書けば

飲むと自分の心の中に入りこんでしまうドラッグ『CUBE』
それを口にした主人公『僕』は自らの心の中で様々な感情と出会う。
1人1人が人格を持った感情『CUBE』、しかしそれは同時に、『僕』自身を構成する1つの感情でもある。
『CUBE』の中には、自分が忘れてしまった感情、押さえつけて気付かないふりをしていた感情、自覚すらしていなかった感情があり、
彼らと接することで自分の『本当の心』と向き合わなくてはいけなくなる。

と、私なりにまとめてみたけども。
なんのこっちゃという話ですよね。
「不思議な薬を飲んで自分の中にある沢山の感情と出会った物語」
です。

みなさんにも、きっとあると思います。
成長していくにつれて忘れてしまった感情。
大人になるためにと抑え込んで表に出さないようにした感情。
無自覚のうちに隠してしまった感情。
認めたくない感情。
孤独。怠慢。憎しみ。欲望。

それらの感情を、見させられてしまう。
見せつけられてしまう。
向き合わされてしまう。

そんなお話です。

キャスト

僕 ・・五十嵐啓輔
チカ・・星守紗凪

彼 ・・小栗諒(ASSH)
蜘蛛女・・西葉瑞希
シド・・星璃(劇団Patch)
ムーンチャイルド・・倉知玲鳳
ピエロ・・雛形羽衣(劇団☆ディアステージ)
ベイビー・・花岡芽佳(ASSH)
ヒーロー・・門野翔(@emotion)
ラブ&ピース・・丸山正吾(bobjack theater/ドガドガプラス)

ライフツリー・・図師光博

シヴァ・・桜町たろ【Cu.】(劇団☆ディアステージ)
怠慢・・飯原優【Cu.】(ASSH)
怠慢・・小田峻平【Be.】(ASSH)
フローレンス・・柏木椎名(劇団☆ディアステージ)
ナイチンゲール・・長月明日香(劇団☆ディアステージ)
ライドン・・梅田祥平(ASSH)

角田・・黒木文貴
角川・・佐武 宇綺

トリックスター・・インコさん(実弾生活)
ミスブレイン・・大林素子

◇Cube pieces
高見彩己子  加納義広 渡井瑠耶

https://www.owlspot.jp/events/performance/cube2022.html

内容と感想

ストーリーに「サイケデリックアドベンチャー」って書いてあるんですけど、
この「サイケデリック」という言葉の意味をご存じですか?
Wikipediaで調べてみると、

サイケデリック(英: psychedelic)、サイケデリア(英: psychedelia)は、LSDなどの幻覚剤によってもたらされる心理的感覚や様々な幻覚、極彩色のグルグルと渦巻くイメージ(またはペイズリー模様)によって特徴づけられる視覚・聴覚の感覚の形容表現である。しばしばサイケと略される。

精神科医のハンフリー・オズモンド(英語版)が「サイコロジー(心理学)」と「デリシャス(おいしい)」(別説ではギリシャ語のpsyche/精神+delos/出現)を組み合わせた造語に由来する[1]。その翌年1957年に、精神分析学会で言葉を紹介した[2]。

ウィキペディア(Wikipedia)

と出てきます。
ざっくりと言えば、「お薬を飲んでトリップした状態の視覚や聴覚」といった具合でしょうか。
薬によって、視覚や聴覚、心理的な普段とは違う感覚に陥ることは割と耳にする話です。かのシャーロックホームズもコカインやモルヒネなどの薬を使って退屈を紛らわせていたとも言います。
薬を飲んだ状態で着想を得て絵画にする、といった話もあり、
本作の主人公「僕」は、売れ始めたての画家で、作中で「角田」という著名人に誘われ、この「CUBE」という薬を口にしてしまいました。

その後、上記の通り自分の心の中の世界に入り込んでしまい、「孤独」「滑稽」「怠惰」「憎しみ」「欲望」と言った自分の感情が擬人化した存在と出会っていきます。
最初は急に迷い込んでしまった自分の中の世界に戸惑い、自らの感情を認めることが出来ずにいました。
「孤独を感じていたのは昔のこと」
「怠惰な自分はもういない」
「憎しみなんて感じたことない」
と、否定していました。
しかし、「CUBE」の住人たちは、その感情そのものであるので、
感情の否定=その住人そのものの否定であり、
彼らは自らが忘れ去られることを嫌がります。
アイデンティティを失ってしまうからです。

そして、「僕」のいた現実世界に出るためには「ステージ」に上がる必要があります。
逆に言うと、「僕」が「CUBE」の世界に来ている間に「ステージ」と呼ばれる場所に出られれば、その「CUBE(感情)」が現実世界の人格になり得る、という設定です。
「CUBE」の住人の中には「僕」をステージに連れて行くことを手伝うものや、逆に「僕」を排除して自分がステージに上がろうとするものがいました。
そして、「CUBE」にいる存在は「消去」することが出来ます。
つまり、「この感情は自分に要らない」と思えば消すことも出来るし、「CUBE」同士でも互いを消すことが出来るのです。

ざっくりいうと「CUBE」の住人たちと出会い、接することで、「僕」は自分の中にある感情を見つめなおしていく、といった内容でしょうか。

自分の感情を見つめなおす、認めるということは、口にするのは簡単ですが、難しいことだと思います。
自分の中にある醜い気持ち、子供のような心。
大人になったからと蓋をしてしまったそれらを、認めて、許容する。
「これも自分である」と割り切ることはきっと、何かしらきっかけがないと難しいことでしょう。
そういった点で、自分に置き換えて考えてみても、何かしら心に刺さる人はいるのではないでしょうか。
と思います。

舞台『世界は僕のCUBEで造られる・2022』公演DVD - DSPM公式通販 (dspmstore.com)

こちらのリンクからDVDが購入出来るようなので(2022年11月16日現在)、気になった方は是非購入することをお勧めいたします。

ダブルエンディング(ネタバレ)

本作品はダブルエンディングとなっており、つまり2種類のエンディングがあります。(SideA、SideB)
この2つの何が違うか、というと(以下ネタバレ


SideA:自分の感情を受け入れ、欲望を認め、新しい自分として生きていこうとする終わり方
SideB:「CUBE」同士で争うことを止めるため、「僕」が自身を「消去」してしまう終わり方
です。
この作品、調べてみると結構歴史のある作品のようで、何度目かの再演のようです。
過去作でも同じようなエンディングだったのかな、とは気になるところですが。(話がそれました)
SideAもSideBも最終的にはハッピーエンドになるのですが、素直にハッピーな終わり方がSideAで、
若干バッドにも見えるのがSideBかな、というのが素直な感想です。
どちらのエンディングにも「チカ(理想の恋人のCUBE)」という存在が大きく影響してきます。
「CUBE」の世界で「チカ」に出会うことで、自分の心に栄養を与え、喜びや笑顔と言った感情を思い出し、「僕」は現実世界に戻ったら「チカ」を描くことを約束しました。
SideAでは「CUBE」達(つまり自分の感情)を受け入れて現実世界に戻ってきた後に、チカそっくりの女性と出会い、「チカ」と約束した彼女の絵を描き、終わります。
SideBでは「僕」は自分を「消去」してしまったため、現実世界の「僕」は廃人のように、そして多重人格(解離性同一性障害)のように「CUBE」の住人たちとそれぞれ同じ言動・行動をするようになり、病院に連れてかれてしまいました。(作品上でいう「ステージ」に様々な「CUBE」が入れ替わって立っている状態)
そこでSideA同様、チカそっくりの女性と出会い、「僕」はこの廃人のような状態でも「チカ」の絵を描いていて、2人の間で愛が起きて「僕」が治る兆しが見えた、という終わり方でした。

「この2つのエンディングで好み分かれるけどどっちが好き?」と聞かれると、
私はSideBの方が好きです。
内容としても単純なハッピーエンドではないところ、一度自分自身が壊れるという状態に陥っているところも好みなのですが、
本作では何より主演「僕」役の「五十嵐啓輔」さんの演技力の高さというか、演技に対する情熱のようなものを感じました。
SideAでも汗だくになるほど真剣に演技されておられましたが、
SideBでは上述の通り、「ステージ」に様々な「CUBE」が立つ状態となった。つまり、「僕」役の五十嵐さんが、それぞれの「CUBE」を切り替えながら演じられておりました。
私はそのシーンが凄く好きで、他人が演じた役を瞬時に切り替え、しかもはっきりとその役であると分かる演技をされていたことが一番大きく心に残っております。
これ、生で見れてたらもっと心に来たんだろうなって思うとちょっと悔しいですね…。

以上、感想文でした。
読んでくれた皆様、ありがとうございました。

P.S.「蜘蛛女」役の西葉瑞希さんが何か見たことあると思ったら、キラメイジャーに出られていた方でびっくりしました。
TTFC限定配信の『ヨドンナ』『ヨドンナ2』とても面白かったですね、あれ(子供向けとは思えないほどえぐい話で)

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