精神赤ちゃんなアラサーは健やかを諦めたくない
今週は昨日まで比較的調子が良かった。ネガティブな自分を押さえ込みながら、穏やかに働けていた。
でも、今日はめそめそしてしまった。あとちょっとで週末だったのにっ。くそっ。ネガティブに追いつかれないように走り抜けるようになりたいもんだぜ。
めそめそしたので、帰りに本屋へ寄って、最近気になっていたメンタル本を買ってきた。
早速読み切ったのだが、これは良さそうだぞ〜。インターネットで紹介してくれていた人よ、ありがとう。
私の人生が好転しそうだぜ。(私はすぐこうやって期待しすぎるのが良くない)(おっとまたフュージョンしてしまったぜ危ない危ない)(本で学んだ概念を早速使いこなせる天才夜風ちゃん)
読後に私の脳内に残った情報を簡単にまとめると、「あんたら嫌な感情に囚われること多いと思うけど、それあんたの人生にとって有益じゃないから注目し過ぎんのやめな〜。せっかく生きるなら自分の価値を大切にしな〜。」です。
流石に簡単にまとめすぎたので、復習も兼ねてサクッと内容書いてみます。
嫌な思考や感情を、消そうとせずに同居する
「自分に湧いてくる思考や感情を、まずは否定せずに受け入れて」的なよく聞く言説ではあるが、この本は構造化と例えが上手で腹落ちしやすかった。
湧き上がる思考や感情=マインドは、事実ではなく物語だから、実はあんまり気にしなくても良いと書いてあった。
そしてマインドをまずは認識することから始めよ(だがこれが難しい)とも。
それな〜〜。私はここ最近、ずっと思考ダンジョンを彷徨っている感覚だったので、激しく同意した。いや気付いてたんならやめなよ。あっ、またフュージョンしちゃったぜ危ない危ない。
この考え方は知っている。学生だった頃の私がやっていたことだ。不安とか悲しさとか悔しさとか、湧き上がってくる邪魔な感情に対して「それって私の目標のために不要な感情じゃない?」と解釈して受け流せていた。
もしかしたら今の私に必要なのは、明確な目標設定なのかもしれないと言う気づき。
私のマインドバスは、乗車率300%ってくらいパンパンだ。しかもそれぞれが何を主張しているのか、声が重なりすぎて聞き取れない(頭の中がごちゃごちゃで言語化できていないけど、なんか嫌な感じなのだけ分かる)状態だ。
目的地を目指すことだけはやめない方がいい、その方が良い人生になる、ってことは分かったし、マインドって共存して良いんだ〜と本当の意味で気付けた。
実践エクササイズ「思考の観察」やってみた
この本、何が良いって、実践を重視してくれているところ。
これ系のメンタル本はたくさんあるけど、共感や理論解説止まりなものも多い。でも理論を教わるだけだと、行動を伴わせるのが難しくて、結局改善に繋がらないことも多かった。
この本は思考のクセを直すための具体的なエクササイズが豊富に乗っているし、「目標を日単位に細分化、紙に書いて壁に貼れ!」みたいな、我々のような思考ぐちゃぐちゃ道見失いがち人間をすごく理解したご指導まであった。
やるよ、私、やります。
今日は試しに、エクササイズ①「マインドさんのささやきを聞く」をやってみた。
目を瞑って5分、自分のマインドを観察して、でも執着はしないように呼吸をに意識を戻しながら、というもの。
執着しかけたマインドは2つ。
一つは、私の心臓を工事現場にあるようなでかドリルでズガガガガガ!とぶっ壊しにくる現場作業員。嫌なマインドを嫌がりすぎていて、自分の心ごと破壊しようとしている感じだった。気性荒すぎるって。
もう一つは、「私はできない、うまくできない、みんなみたいにできない、何にもできない」と囁き続けてくる、小さいコンクリート製の冷たい箱。私はその中にうずくまって閉じ込められている。これは仕事中によく出てくるやつで、一見可愛い(ネガティブに閉じこもってる方が楽のイメージ)けど、これのせいでのびのびと動けなくなってしまう。
本によると、命名すると良いらしいので、名付けます。「破壊神ドリルマン」と「できないさん」です。
私は言葉ではなくてイメージで考えるタイプなので、一旦それを言語化して認識する工程も必要そうだ。
よくメンタル本に「自分を貶める声が聞こえますよね」とか書いてあるけど、私の場合、声は聞こえない。言語化される前のイメージの状態で心の底に溜まっている。
その状態だと、共存しようにも「あんた誰?」状態で、認めることすらできていない。
なんか私のマインドの構造ってそういうことなんだろうなーと、読みながら考えた。
自分らしい価値のために生きる
たぶん、私に一番足りていないのはここだ。
いくらメンタル本を読み漁って、カウンセリングを受けて、自己理解を進めようとしても、理解はできるけど改善を目指すモチベーションがうまいこと湧いてこず、度重なるネガティブの波に打ちひしがれて動けなくなることが多かった。
自分がどうありたいかという目標、価値を明確に定義して、それを目指して運転を続けるって意識を持てると、じゃあメンヘラやってる場合じゃないよねって切り替えが捗りそうだ。
生きる意味がわからなくて、こんな苦しいばかりの人生いらないよ〜〜って思っちゃうのって、こっち側の人類にとっては、大人になるとある程度しょうがないのかもしれない。
子どもの頃は、勉強や部活など目指すべき目標が明確にセットされていて、それらを達成することで自己を肯定できたし、それらが大きな生きる意味になっていた。
でも大人になると、なんの道標もない大海原へ放り出される。それまで正解を出すことを生業としてきてしまっていた人間にとって、目指す場所のない更地はしんどい。
しんどいから、自分でセットしろってことだ。
少し前、休職していた時に一度言語化はしていたけど、働き始めるとまた見えるものが変わってきていて、もう一度セットし直そうと思う。
この週末考えてみたい。
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今日から、完璧主義をやめるために、待ち受けに「まあいっか」と表示してみている。
ちょっと効果あって、人間の単純さにウケてる。
明日もちょっと気が思い仕事があるけど、金曜日だから頑張るぞ〜。いや、頑張らない、頑張らない。
ゆっくり、朗らかにやろうね。