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きみのきみのなまえ

なまえなまえなまえー

きみのきみのなまえー

っていう歌が子供の頃あったなとふと思い出す。

昨日、ウーバーイーツのお兄さん(ベトナム出身)の名前の読み方が分からなくて、なんとなくもどかしかった。

現実でも物語のなかでも、名前の読み方がわからない、名前の漢字がわからない、というのは、どこかその人のことを知れていないような気がする。

今日の『ミステリーと言う勿れ』の整くんも私と同じ気持ちだったような気がする。

「ガロくんの、ガロって漢字でどう書くの?」
「我が路」

バックで静かに流れるショパンのエチュード作品10-3、いわゆる別れの曲。
「ガロ」とカタカナをイメージして呼ぶのと「我路」という漢字を知って呼ぶのとは全然違う、と思う。
ガロだと萩尾望都が浮かんでしまう。もしくは『学生街の喫茶店』(自分の中で昭和の歌ブームが来たときに聴いていた)


原作は読んでないからわからないけど、いいシーンだったな。
しかし、この名前に漢字があると思った整くんの感覚はすごい。普通にカタカナだと思っていた。

名前の話に戻りたい。

例えば、小説に麻子という女の子が出てきたとして、最初の読み仮名は「あさこ」だったのに、読み進めていくなかで、なぜか間違えて「まこ」と心のなかで呼んでラストまで読み終えたとする。

あとで「あさこ」だったと知っても、なんだかしっくり来ないというか、もう自分のなかでは「まこ」になってたのに!と思うことがあるのは私だけだろうか。名前の読みが違うと、その人じゃなくなってしまうような。

名前ってそれぐらい大切なものだよなぁと思う。

大好きな『あの頃ペニーレインと』という映画がある。とある新人バンドに同行して有名な音楽雑誌の記事を書く仕事を与えられた主人公の男の子とそのバンドメンバーのおっかけの女の子の話。

ペニーレインとは彼女の通称なのだが、物語の後半で主人公に本名を明かすシーンが私はめちゃくちゃ好きだ。バンドメンバーのひとりを追いかけて大人びていた彼女も、普通の女の子だったのだなということが伝わってくる。ペニーレインを演じているケイト・ハドソンのファッションもメイクも可愛く、小悪魔的な演技も素晴らしいので、ぜひとも全人類に見てほしい。

ちなみに、くらいあさ、に特に深い意味はない。暗い朝でもない。本名にも、あさ、はつかない。

本名でnoteを書こうという気持ちはなかったので、何かしらのハンドルネームをつけなければと思い、本当は『フリクリ』の「ハルハラハル子」みたいな語呂の良い名前を目指したかった。しかし、なかなか浮かばず、最終的に平仮名で丸っこい名前にした。丸みがある感じ。そういうことを西加奈子の『白いしるし』で言っていたような気がするけど思い出せないのでまた次回。

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