自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記14.学校でニガテだったもの、ほんとにそうなの?
中学生活も半ばになると、あの頃のワタシはどこへ!?ってくらい自信も自尊心も失っていった。
部活ではパートのメンバーに仲間はずれにされ、誰とも話せなかった。
理由は、いまとなっては全くわからない。そんなものだろう。
練習もキライだったし休みたかったけど、昭和の部活には”休む”っていう選択肢はなくて、しかもどういうわけか、「金賞ねらうぞ!」って学校だったもんでなんと、土日も朝から晩まで練習だった。夏休みも毎日練習でどこにも遊びになんて行けなかった。
勉強もイマイチだった。
小学生のころ、自分はデキると思っていたのに(なぜ?笑)中学に入って完全に数学がわからなくなりw、英語もまったくついていけず「いいもん、一生日本にいるもん!」と開き直っていた。
そして主要五教科だけならまだしも、ワタシは音楽以外の副教科、全部ニガテだった。
お絵描きも、工作もまったくセンス無し
走るのも遅かったし、球技はトロくてみんなに迷惑かけないよう振る舞うのが精いっぱいで、しょっちゅう突き指してたし
(水泳はヒトに迷惑かけないのでまだマシだった)
調理実習はその場で終わるからまだよかったが、家庭科の縫い物などはほんっとうに地獄で
締め切りに間に合わず赤点スレスレ
というスリリングな展開が待っている有様。
それでも全然がんばる気になれなかった。
こんな調子で学校生活は、ワタシの自己肯定感をどんどんうばっていった。
好きなヒトがいても、直接告白するとか絶対できなくて
クラスの違うそのヒトが、体育でいないときを見計らって彼の名札を自分が用意した名札とこっそり交換して満足するような、ネクラな人間だった。
(こういうのが当時流行ってて、ワタシがgetした名札も大して使い込んでなかった様子からすると、誰かほかのオンナが付けたばかりのものだった可能性も大いにあった)
さて。
上記のように、本当につい数年前まで、ワタシはお絵描きも縫い物もニガテだし下手だと思っていたのだが、いまはそれは違うと思っている。
学校教育の目指す到達点に沿っていなかっただけ。
みんなが同じようにしなきゃいけないことができなかっただけで、決してニガテでも下手でもないのだと思う。
『個性』というワードが前面に出てくるのはもう少し先の時代。
ヒトと同じことができないワタシは、ヒトと同じことができるようになりたくて、でもできなくて、いじけてた。
ダメな人間って思ってた。