絵はんこ作家が、図書館館長になった。
あまのさくやです。
実は令和6年10月1日付で、紫波町図書館の館長に着任しました。
図書館の館長。
館長。
・・・・・・・・・。
えっ、
館長!?!?!?
いやいや、私もともと、絵はんこ作家だったんですよ。
東京の雑司ヶ谷手創り市の一角で、片膝立ててはんこ彫っていたのが、2011年の私です。
絵はんこ作家からはじまった
新卒で入社した会社を、2年半で退職した2010年。その後をどう生きていこうと迷い、若気も至りまくっていた25歳の私。在職中にはじめた趣味の消しゴムはんこがなかなか評判良かったという理由だけの思い付きで、屋号をつけ、「絵はんこ作家」としてイベント出店をはじめました。
はじめは本当に野外の地べたで彫っていたけれど、続けていくうちに、屋根が与えられ、机が与えられ、壁が与えられ、部屋が与えられ……と。作品は増え、やがて生意気にも個展まで開くように。仕事は絵はんこ作家として、そしてやがてエッセイストとして、少しずつ仕事は増えていった。
しかし、コロナ禍がやってきた。
東京から、地域おこし協力隊として移住
東京・中野区に暮らし続けていた私が、はじめて紫波町を訪れたのはおよそ三年半前、コロナ禍真っ只中だった。なのにそんな時勢もなんのその、訪れたその町は、町も人もポジティブなエネルギーに満ちていた! そしてこの図書館にも、他で感じたことのない力を強く感じたのです。広い天井と明るい雰囲気、そして選書の素晴らしさ。この近所なら住める!と、直観でそう思わせてくれる力がこの場所にはありました。
私は町の地域おこし協力隊に着任し、個人のフリーランス・作家業と兼業する形でこの町に移住することに。いちファンとして利用者として、ここ三年間は図書館の広報の仕事に携わってきました。図書館について書いたまとめの記事も広く読んでいただき反響も大きかったです。
本とまちをつなぐ「本と商店街」
移住してからというもの、私も個人の作家として、数冊本を出版しました。自分の身に降りかかってきた家族の介護から、移住するまでについて書いたイラストエッセイ、『32歳。いきなり介護がやってきた。』(佼成出版社)。長年恋焦がれたチェコ共和国にまつわる旅行記エッセイ『チェコに学ぶ「作る」の魔力』(かもがわ出版)では、チェコの人々の、ものづくり・DIY精神や、創意工夫によって苦難を逃れる方法など、「作る」の背景にあるその魔力を探りました。
そうして紫波に暮らしながら作家活動も続けるうち、それまで出会ってきた縁が転がるようにつながり、ブックイベントを開催するまでに。それが「本と商店街」でした。
紫波町図書館にも大いなる協力をいただき、館内ではイベント連携展示も実施。のみならず、当日も商店街で出張としょかんを開催。イベントにかかわる出展者さんや来場者さんも町外・県外の方が多い中で、まちの人たちとの大きな接点となってくれたのが、フットワークも軽く熱い想いを持った、この図書館。
そうして図書館館長へ?
そして本と商店街2024の開催から四ヶ月後、晴れて紫波町図書館館長に就任。 ・・・ん? いやいやいや。それにしても話が飛躍していますぞ。
実はさかのぼるともっと数ヶ月前から、館長職の打診を受けていました。はじめて聞いた時は、いやいやまさか、ご冗談を〜!と何度も言い、冗談じゃなかった!とまた驚いたものです。ありがたいお声がけながら、受けるべきか否かを決断するまではしばらく悩み、返事は寝かせていました。
そんな中、図書館の蔵書点検で、司書さんのお仕事を物理的にお手伝いする場面がありました。ICタグが埋め込まれた本の間にリーダーを通し、数冊単位に読み込んでいく単純作業のお手伝い。割り当てられた児童書コーナーの一冊一冊に触れていたら、ずいぶんと懐かしい本たちに再会したのです。
それは未就学児の頃や小学生の頃、自分の意思で手に取って貪るように読んでいた本たち。そこから振り返ると図書館での思い出がいくつも、よみがえってきたのです。
母と通った地元の小さな図書館の小上がりで紙芝居を借りて、家で読んだり、自分でも絵を描いて作ってみたりしていたこと。アメリカの小学校にあった、日本人の先生の部屋の小さな棚で読んだ『学校の怪談』とか、『はれときどきぶた』とか。中学では図書委員長をしていたことがあって、こじらせた本紹介ポスターを書いていたな、とか。本とは、さまざまな形でこれまでも関わってきたけれど。ああ、図書館ってやっぱり特別な場所だし、これはものすごく面白い仕事なんじゃないか。人生に二度も三度もない、こんなありがたい機会なら受けるべきではないかと思いはじめました。
「よそもの」の「ばかもの」が館長になった
移住や町おこしの文脈では、よく【「よそ者」「わか者」「ばか者」が町を再生する。】などと囁かれるらしい。そういう意味で、岩手にも、図書館業界においても「よそ者」で「ばか者」である(そう若くはない)絵はんこ作家が館長になるなんて。何がスゴいって、図書館の、行政の、人事がスゴい。スゴいっていうか大胆すぎて、大丈夫なのかどうかわからない。なんだか期待をされているような気もするが、私に務まるのだろうかという不安は、もちろん今でもバリバリあります。
この図書館は、おしゃべりが禁止じゃない。人と人との会話も、貴重な情報源。だからうっすら館内にBGMもかかっているし、ものごとを禁止するというよりも、コミュニケーションで解決をする。人と本、情報の出合いをつなぐ場所。このありかたをする図書館だから、私にも、微力ながらできることがあるのではないかと思えたのです。
漂って、舵切って、たどりついた先
思えば本当に寄り道の多い人生。社会人になって、合わないなと感じた道からは早々に逸脱し、作家活動を細々とはじめて。軌道にのりはじめるまでは、福祉施設で精神障がいのある方のための就労支援施設で働いたりもしていた。そして個人事業としての独立、その後自分の家族にふりかかってきた病気、父の認知症と母のがん。介護、看取り。その中での移住や、個人ライフワークでもあるチェコへの愛……もろもろ。さまざまな流れに漂ったり、逆らったりしながら、結局は自分のこころが感じる方向にしか選べないから、ところどころで舵を切る。その現在地がいったん、この紫波町図書館へ落ち着きました。
聞かれると困る質問 「今後の抱負は?」
「今後の抱負は?」と、館長職に踏み出したばかりでまだ語れることは少ないのですが。ひとまず、就任して半月経っての驚きは「視察が多い!!」ということでした。全国的にも注目されてきている図書館をご案内する機会も増えてきて。伝えるためにも、まずは深く知る、学びの段階…なのですが容赦なく毎日は進むので、実践しながら学んでいくスタイル。利用者さんや来館者さんの気づきから教わることも日々たくさん。
12年前まで、紫波町には図書館がなかった。この町に図書館をと熱望した市民と協働してつくられた基本構想・基本計画に書かれているコンセプトや目的、方針のうえ、オガールプロジェクトのもとに紫波町図書館は作られた。ひとつひとつの歴史とその意味を紐解きながら、私にできることが微力ながらでもあるはずだと思い込んで。紫波町図書館の館長として、そして引き続き作家としても活動していきますので、どうぞどうぞ、よろしくお願いいたします。
紫波町図書館 新米館長 あまのさくや
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