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文通ってもっと億劫なものだと思ってた。

見覚えのないハガキだった。

青い雪景色が描かれていた。
端に黒い二本線が滲んでいて、しばらく見つめてからそれが消印だと気がつく。

「クリスマスカードだろうか」

和紙のちぎり絵で表されたその雪景色はあまりに繊細で、印刷されていると知っていてもその部分に触れるのは憚られた。
ハガキの端を持って裏を返す。
途端、びっしりと敷き詰められた文字たちが目に飛び込んできた。

私はその筆跡を知っていた。

大切な友人からの手紙だった。

私は準備が苦手だった。

正しく言えば、ひとと長く出掛けるための準備をしている時間が好きではなかった。
友人や学校単位の旅行とか。
決して予定自体が苦手なわけではない、寧ろ好きだ。けれど出発の前に、予定のことを思って荷物を詰める時間が苦手だった。

何だか品定めされるような気分になるのだ。
どんなものを持ってきて、どんな服を着ているか。訪れた先でどんなふうに動けるか。役に立つか。
いつもより掛かる準備の時間。
そのとき私は自分の嫌な部分と向かうような心地になる。私はボロを出さずに過ごせるだろうか。そんなことが思い浮かぶ。

なんて後ろ向きなんだろう。自分でもそう思う。
でも、誰も見ていないなんてことは知っているけれど、どうしても気にしてしまう。準備をしている間にだんだんとその予定が億劫になってしまう。
そんな理由で、聞けば楽しそうな予定でも尻込みしてしまう自分がとても嫌いだった。

だから「良ければ気ままに文通しませんか」なんて腰の重い誘いを喜ぶとは思いもしなかったのである。

「素敵なお手紙とポストカード、本当にありがとう」

消印の滲む手紙はそう切り出されていた。

それは彼女から受け取る二度目の手紙だったけれど、私はその筆跡に、既に安心感を覚えていた。宛名はお手本のように整っていて本文は小さく丸みを帯びる。彼女のくせを見つけたようで愛おしい。


文通は、彼女がお土産を送ってくれたことから始まった。
最初の手紙はお土産の背に添えられていた。
便箋に並べられた温かい言葉たち。
読んでいればいつの間にか「手紙を添えたお土産」ではなく「お土産を添えた手紙」になっていた。私を想い、彼女の本音が溢されているような、どこまでもやさしい手紙だった。

「彼女がこれほどまでに想いをのせてくれたなら応えなければ」

思いがけない贈りものが嬉しくて、そして彼女のやさしさに惚れて、私はお返しを探しに街に出た。といってもこんな世の中だから、なるべく静かに。
彼女は美術館を巡るのが好きなので、地元の美術館で買うことのできるポストカードを選んだ。残念ながら所蔵のものはショップに置いていなくて、それでも他で見かけないものを贈る。
いつか答え合わせに来てくれますようにと願いを込めて。思えばそれは幸せな準備だった。

一度目の返事に、私は意を決して夢を書いた。

地元へ戻り、10年ほどぶりに絵画教室を訪ねたときに描いた夢だった。
そこは「絵画教室」というより「お絵かき教室」が似合う場所で、今でもそれは変わらなかった。久々に顔を合わせる先生も変わっていなくて、空いた時間を取り戻すように話した。

「娘がね、直島で働くことになったの」

それを聞いて瞬間に、

「いいな!」

と思った。
それまで「就活」と聞いたら重い空気が襲来していた私は「!」が付いたことに驚いた。そんな前向きに憧れるなんて思ってもいなかった。
直島とはシンプルに言えばアートの溢れる島だ。中学のときに一度行ったきりだけれど、今でも続く憧れを根付かせるくらいの刺激がそこにある。
明るい先が見えたような気がして、緊張しながらもそのことを文字にした。

友人の返事はこうだった。

直島で一緒に働きたいなって話、何だか夢みたいだな~なんて思っていたら、昨日ゼミの先輩が直島で働くと聞いて!

検索してみたらインターンの募集してて、挑戦してみようかと思って。

嬉しかった。
私はさも夢物語のように語って予防線を張っていたけれど、彼女が真剣に考えてくれたことがまず嬉しかった。

そして、

一緒にどうかな。選考ありだけれど、このアートに対する熱を込めればいける気がする。どっちかが落ちる可能性はあるけれど、それはそん時で背中推せると思うの。

そんな、強さを持ったやさしさを私に真っ直ぐに送ってくれたことが、何よりも嬉しかった。

良ければ気ままに文通をしませんか。こういう形で繋がれたら、何だかもっと近くにいる気がするから。

そんな誘いを、断るわけがなかった。

彼女は本当にやさしい。
何にも返すことはできないのに、いつも私を引き上げてくれる。
やさしくて真っ直ぐで、痛いほどに甘い。
私もあなたなら、背を押せると思う。
体裁なんて構わずに、ただ真っ直ぐにあなたを応援できるよ。
どちらも通ったら何より嬉しいけれど、どちらかだけでも、どっちも駄目でも、きっと笑っていると思うよ。
便箋を選びながらそんな気持ちが起こった。

文通ってもっと億劫なものだと思っていた。
「書かなきゃな」なんて想いを引き摺って、「流石に返さないと」と筆を取る。
郵便ポストの前を通る「何かのついで」の機会を待つ、面倒なものだと思っていた。
けれどそうではなかった。

始めから「想いを送りますよ」と高らかに宣言された手段。それは反対に「何を言っても良いよ」と言われているようで。
指一本で送れない代わりに、ひたすらに丁寧に、齟齬のないよう、どうか伝わってくれと祈るような想いを閉じ込める。そのときの気持ちをそのままに綴り、たたみ、封をする。

文通は、心の欠片を交換するようだった。

私は準備が苦手だった。
でも、
どんな便箋に書こう。どんな封筒に入れよう。
その時間は幸せなものだった。

ただ彼女に笑顔になってほしい。私の「好き」が届いてほしい。
その準備はひとの目を気にしたものではなかった。
私は彼女を通して自分の想いと対峙していた。
彼女を前にしたら、準備は自分の好きなものと向き合う、幸せな時間に変わっていた。
何かのための準備は自分の想いを示すもの。
真っ直ぐな彼女を前にして、そう考えるようになった。


一度目の手紙にまずはLINEで感謝を伝えたとき、彼女からの返事には少し空白があった。会話の途中にではなく、彼女が話している途中で。
どうしよう。ありがとうが重かっただろうか。
即座にそんなことが浮かんだ。
しばらくして送られてきたのは画像だった。

「この爆発的愛がこの文字線では重くて支えきれないようなので」

そんな前置きから始まって、画像いっぱいに筆で書かれた「ありがとう」が送られてきた。思わず微笑んでしまうくらい力強いありがとうだった。

私は彼女のこんなところが本当に好きだった。

想いをしたため、筆を置く。
どうか先の私たちが一緒に笑っていますように。
そしてこれからも、この幸せな準備が続きますように。
そう願って封をした。


***

このnoteは時系列で言うと下のものの後日談になります。↓↓
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

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