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知的障害(次男の場合)について

前回の記事のコメントへの返信で、なんとこの記事で書こうと思っていた事を書いてしまったのですが、まぁコメント見るのは書いてくれた方だけだと思うので、あたかも初出しのように堂々と書きます。



次男は長男と違い、今年、特別支援学校に入学しました。現在1年生。
療育手帳はB1で、中度となります。

普段の授業では、鉛筆で線を引いたり、平仮名のシールを貼ったりといった感じ。先日7歳になりましたが、知能的には3歳くらいです。

しかし、医者の最初の見立ては「定型発達」だったのです。


長男を市の療育事業に入れやすくする為に、ちゃんとした診断をしてもらおうと大学病院に行った時です。

私、妻、長男、次男の4人で診察室で話をしていたのですが、先生がその時の次男の反応を見て

「ほら、見てくださいお母さん。これが定型発達です。長男君の時との違いにビックリしますよね?」

と、言ってきました。

確かに、次男は長男と違ってよく笑う子でした。他の人と視線も合うし、長男との違いは明らかです。

が、だからといって定型発達とは限りません。

妻は先生のその言葉に安心をしましたが、私が『先生のその言葉を鵜呑みにするな』と言って…まぁ、次男の発達度合いの見解違いでよく揉めました(笑)

そもそも、何か検査しての言葉じゃ無いんだから。

結果的には、長男よりも知的障害度合いは強いんです。

あの時、夫婦共に先生の言葉を鵜呑みにしていたら、療育の事、覚悟、そして落胆度合いと、かなり違ったでしょうね。


支援級か支援学校かというのを決める時期、次男の能力的に、とてもじゃないけど支援級という感じはしませんでした。

夫婦共に支援学校一択。

決まるまでに教育委員会と色々あったのですが、その件は以下の記事に詳しく書いてあります。


長男と次男を比べたら、知的障害度合いは圧倒的に次男の方が強いです。

しかし私は、次男の心配はほぼしていません。

一般的には、障害が強い方を心配するのが普通です。
過去に知り合った親御さんにも、障害が重い方へのケアを重点的に考えておられる方達が沢山いました。

もちろん、それが間違いだなんて思いません。
それでも、私は長男の方が心配で、次男はあまり心配していません。

なぜか?それは

次男の知能が低いからです。


こう書くと「なんて事言うんだ!」と思われそうですが、まぁ最後までお読みください。

・生きづらい
・何で自分だけ
・羨ましい
・あの人ばかり
・etc

人が「辛い」と感じる大半は、他者との比較から生まれます。
他者との比較は「知る」事で出来る、してしまう訳です。

世界一幸せ度が高かったブータン王国が世界一から陥落した理由は、ネットが普及して他国を「知った」からです。

次男は、その「知る」力が足りません。
「悩む」力が足りません。
「考える」力が足りません。

お金の価値、労働する意味など、それらを理解する力が足りません。

次男は、我々とは別の価値観で生きています。
どちらが良いかではなく、単純に「幸せ」「善悪」「正誤」等、土俵が違います。

つまり、彼は知的障害である事を認識もしてなければ、他の人との違いも理解していません。

他者との比較をして得てしまう苦しさとほぼ無縁なんです。


一方、長男は違います。
自分だけが別の教室で勉強する事に「自分が出来ないからだ」と認識しています。

他の子は出来るけど、自分は出来ないと思っています。

長男の考え方は、間違っていません。

私も、勉強ができなかったから東京大学に入学出来ていませんし、医師にもなれていません。(そもそも入試すらしてませんが)

世の中、そういうもんです。
でも、それを理解する程の知力は無いんです。

ただ悔しい。
ただ悲しい。
どうして?と思うけど解決しない。
仮に説明されてもわからない。

そして「知らなくても問題ない事」という判断が出来る程の知力もありません。


知的障害は、軽度であれば本人が辛く、重度であれば親が辛い。

「自分は自分、他は他」と思えるか
「子供の人生は親のものじゃない」と思えるか

そこに行き着くかどうかが、辛い辛く無いを分けると私は思っています。


妻は、ADHDです。
思春期以降、他者との違いに苦しみ、悲しみ、辛い思いをしてきました。

しかし、小学校の時は楽しかった。

妻曰く、成長がゆっくりだったから、周りの反応に気付いてなかったそうです。


出方が違うだけで私もそうです。
みんなの「当たり前」が全く理解出来なかった。
まぁ、私の場合は高校くらいから理解する気が無くなりましたが(笑)


長男も次男も、将来はグループホームです。
私が子供の時に親から聞かされた「幸せ」は、ほぼ叶いません。

が、私はその事が苦しくありません。
何故なら、親から聞かされた「幸せ」に疑問を持ち続けていたからです。

私は、本人が楽しければ、なんだって良いと思っています。
仮に、登山で死んでも良い。
一人旅をして異国で死んでも良い。
本人が精一杯やって、後悔が無いのなら何だって良いと思ってます。

でも、他者との違いに苦しむ姿を見るのは辛い。
自分でしか解決出来ないのに、その力が足りない。
その力を得る為には、何度も傷付かないといけない。

自分が通った道だから、辛さがわかる。
でも、対処法もわかる。

でも、彼にはそれを理解する知力が足りない。
そもそも、自分で気付かないとどうしようもない問題。
教えたって仕方のない問題だけど、はたして長男は楽な答えにたどり着くのか?
悩みっぱなしにならないか?

だから私は、長男の方が心配です。


何を注意されてるのかわからないけど、注意をされてる事はわかるから、申し訳なさそうにする。でも、どうしたらいいのかわからない…みたいな反応をする彼を見ると、余計にそう思います。

一方、次男はいつも楽しそうです。

二人の障害児の父
すけじろう

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