読書「殺戮にいたる病」我孫子武丸
またしても秀逸な叙述トリックにやられました。
特に選んでいるわけでもないのですが、評判のミステリーを読んでみると、圧倒的に叙述トリックを使っている作品が多いんですね。
最近読んだものでは「十角館の殺人」「イニシエーション・ラブ」「葉桜の季節に君を想うということ」「ジェリーフィッシュは凍らない」「シャドウ」などなど。
ことごとくこのトリックを巧みに使って、あっと驚く大どんでん返しを仕掛けた傑作でした。
このトリックは、犯人が仕掛けるトリックではありません。
作者が読者に、直接仕掛けてくるトリックですので、全く予期していなかった角度からハンマーで殴られたような衝撃があります。
ですから、これをやられた時のインパクトは強烈。
筆に自信のある小説家だったら、トライしてみたくなるのも理解できます。
但し、このトリックを仕掛けたミステリーの難点が一つ。
それは、うかつに感想文が書けなくなってしまうことですね。
ちょっとあらすじを書いただけでも、ネタバレになりかねないので、紹介にはどうしても慎重を要します。
この作品に仕掛けられているのが、叙述トリックであるというだけでも、勘のいいミステリーファンには、すでにネタバレになっている可能性だってあります。
拙いながらも、感想文を書く時には、これを読んだ人がこの小説を読みたくなることをモットーにして書いておりますので、ネタバレなしという縛りで、どうやってこの作品の面白さを伝えたものか。
「面白いですよ。あなたもどうぞ」だけでは、さすがに芸がありません。
本作を紹介しているどのYouTuberも、まず口をそろえていうのは、最後1ページに仕掛けられた大どんでん返しの切れ味の鋭さ。
ここにいたるまでの258頁(講談社ノベルス版)は、すべてこの1頁の衝撃のために引かれた導火線だと思ってもいいと思います。
よく出来た叙述トリック爆弾を食らうと、僕のようなぼんくら頭は一瞬思考停止になります。
「ん? 何が起きた? どういうことだ?」
最後の一頁を一言一句丁寧に追っても、作者が仕掛けたトリックがさく裂していることに気が付かないわけです。
こりゃいかん。
まずは、クライマックスに突入してからのラストの20頁くらいは遡って読み返すわけです。
これでじわじわと炸裂したトリックの輪郭が見えてきます。
「しかし、ほんとか? いや待て待て。」
その衝撃がなんとか理解できると、今度はそこにいたる叙述が気になってきます。
叙述トリックを使うにあたっては、当然嘘はご法度。
読者に差し出す情報は、最後までフェアでなければいけません。
唯一作者に許されるのは、都合の悪い情報は隠していてもいいということ。
これを念頭に置いて、読み終わったばかりの本を読み返してみると、これがまた一度目とはちょっと違った味わいになってくるんですね。
騙された身としては、なるほどうまく「書いていやがる」と唸ってしまうわけです。
「優れた叙述トリックのミステリーは、思わず続けて二度読んでしまう。」
誰かが言っていましたが確かにその通り。
自分がどこで作者の仕掛けたミスリードに引っ掛かったのかを確認しながら、作者の入念な文章ワークを辿ることになります。
さて、本書でまずびっくりしてしまうことは、冒頭にいきなりエピローグがくること。
これは、時間軸的には、本作の衝撃のラストの後に続く、犯人逮捕とその後を描いた文字通りのエピローグ。
抵抗せずに連行されていく蒲生稔。それを茫然と見送る蒲生雅子。そして、警察に通報した樋口武雄。
そうなんです。
本作はまず冒頭で、6人の女性たちを次々と殺してきたシリアル・キラーが蒲生稔であることを明らかにしてから物語がスタートするわけです。
冒頭から犯人が分かっているわけですから、本作は倒叙ミステリーでもあります。
この犯人のパートと、自分の息子が犯罪を犯しているのではないかと疑心暗鬼になる雅子パート、そして、蒲生稔に殺された女性と浅からぬ仲という立場から犯人を追いかける元警視庁警部の樋口武雄パート。
物語は、この三つのパートが、相互に交錯しながら、このエピローグに向かって進行していきます。
とにかく何といってもすさまじいのが蒲生稔パートです。
女性たちを言葉巧みに誘って、ラブホテルに連れていき、絞殺してから、死姦、はては乳房や性器を切り取って持ち帰るという、尋常ではないエログロ場面が、臨場感たっぷりに描かれていきます。
はては、これをビデオ撮影し、持ち帰った肉塊を愛撫しながら、自室でマスターベーションするところまで描かれるわけですから、文章を脳内シアターで映像に変換して小説を楽しむのを習慣としている僕としては、これはかなりハードでした。
ちょっと思い出してしまったのは、1984年にベストセラーになった「霧の中」という一冊です。
1981年、パリに留学していた日本人留学生佐川一政(当時32歳)が友人のオランダ人女性留学生(当時25歳)を自宅に呼び出し、背後からカービン銃で射殺。
衣服を脱がせ屍姦したあと遺体の一部を生のまま食べ、また遺体を解体し写真を撮影して遺体の一部をフライパンなどで調理して食べた。
この衝撃の事件を、佐川自身が本にしたものです。
これは実話でしたが、たとえフィクションであっても、その臨場感とエグさにおいては、本作の描写の方が確実に勝っていましたね。
ではどうして、ここまでのエログロに筆者がこだわったか。
これは、本作が執筆された1993年に大いに関係があると踏んでいます。
この年を遡ること4~5年前、日本中を震撼させた事件が起こりました。
東京都下から埼玉にかけて発生した幼女連続殺人事件です。
犯人は宮崎勤。
この犯人の残忍さと異常性は、佐川一政以上。まさに蒲生稔に匹敵するものでした。
AI にざっくりまとめてもらいました。
最初の事件: 1988年8月22日、埼玉県入間市で4歳の少女Aが行方不明になり、後に遺体が発見されました。宮崎は遺体にわいせつ行為を行い、その様子をビデオ撮影。
第二の事件: 1988年10月3日、埼玉県飯能市で7歳の少女Bが行方不明になり、同様に殺害。
第三の事件: 1988年12月9日、川越市で4歳の少女Cが誘拐され殺害。
第四の事件: 1989年6月6日、東京都江東区で5歳の少女Dが行方不明になり、遺体が発見。
宮崎は殺害後、遺体にわいせつ行為を行い、その様子をビデオ撮影していました。
犠牲者の遺骨を遺族に送りつけるなど、遺族をさらに苦しめる行動を取りました。
実は、この事件については、本作の中でも何度か触れられている箇所があります。
この事件の衝撃が、本作を執筆する上で、筆者にとってのモチベーションになっていたことは想像に難くありません。
どんな映像クリエイターでも作ることの出来ない、残酷でグロテスク極まる最悪の映像が、サイコキラーによって撮影されていたという事実に世間は驚愕しました。
この事件の発生によって世間は、残酷シーンの多い映画や、ロリータもの、ポルノ映像などを自主規制し始めます。
そして、僕も含めた日本中のオタクたちが、一斉に白い目で見られるのもこの事件がきっかけでした。
ちなみに、僕が務めていた会社は埼玉県の入間市にありますが、被害にあった幼女Bの父親が務めていました。
そして、現在僕が住んでいる川越の団地から、幼女Cが誘拐されています。
僕がこの団地に引っ越してきたのは、事件があってから数年後ですが、まだ団地のあちこちには「みんなで守ろう。小さな命。」といった立て看板がなまなましくたっていたのを覚えています。
そんな団地に、2000本近いビデオテープ(もちろんWOWOWで撮りためた映画です)をもった怪しい独身男が、何も知らずに引っ越してきたわけですから、ご近所さんたちには、怪しき変質者と思われていたかもしれません。
閑話休題。
そんな時代背景を頭に入れながら、なぜ、筆者がこれだけのエログロ描写にこだわったのかをちょっと考察してみます。
まずこの叙述トリックを思いついた時、筆者が何を思ったのか。
それは、こんなことではなかったでしょうか。
快心のトリックだけれど、これは叙述トリックであるがゆえに、映像化することは不可能。
おそらく、映画化やドラマ化の話はないだろう。
ならばいっそのこと、このシリアル・キラーの異常性をとことんつきつめてみよう。
犯罪描写も、映像化不可能なグロテスクなものにしてしまおう。
蒲生稔視点の、エログロ描写だけを描けばこの作品は単なるサイコホラー。
ホラーファンの評価しか受けないだろう。
しかし、作品の背骨にしっかりとこの叙述トリックが仕込まれていれば、エログロの味付けは、トリックのための必然として理解されるはず。
その大義名分が得られれば、エログロに耐性のある読者も世の中には相当数いるはずだから、小説の売り上げには貢献するはず。映像化不可能で上等。
ならばここはそれを逆手にとって、小説でしか表現できない最強のサイコ・ミステリーを極めてみよう。
作者が本当にそう思ったかどうかはわかりません
しかし、虫も殺せないようなかわいい顔をした女子YouTuber が、顔色一つ変えずに、「このミステリー最高」などと言っているのを聞くと、トリックの意外性だけでなく、過激すぎるエログロが、本作の評価をいかに押し上げているか。
それがわかるような気がするわけです。
秀逸な叙述トリックがあるからこそ、嫌悪すべきエログロに対しても安心して評価できると言う寸法です。
怖いもの見たさは、なんだかんだといって、人間の本能にインプットされているもの。
我が母親の寝床の枕元に、いつも楳図かずおの恐怖コミックが置いてあったのを思い出します。
酒鬼薔薇聖斗による神戸連続児童殺傷事件が起こるのは、本作が世に出た4年後のことです。
蒲生雅子は、息子の犯罪を疑って、息子が不在の隙に、何度も部屋に入り込みます。
実はこれ、学生の頃は、我が母親に頻繁にやられました。
主に押収されたものは、もちろんエロ本でした。
令状なき母親のガサ入れは、僕が学校に行っている間に行われ、帰ってくるとベッドの下に隠してあったはずのエロ本が、どんと机の上に積まれていました。
「うわ。見つかったか。」
しかし、我が母親が、蒲生雅子のように、年頃の息子のことを心配していたのかというと、実はそうでははありません。
我が家の場合、蒲生家と違うのは、家が書店であったこと。
つまり、僕が隠していたのはすべて店の売り物でした。
どれだけ読んでも構わないけど、ちゃんと店に返しておかないと、夕飯はなしというのが彼女流でしたね。
本作を読んでいて、結構リアルだったのは、ビデオカメラでした。
実は、僕がビデオ・カメラを購入したのは結構早く、1987年でした。
当時のボーナスを、そっくりはたいて買ったのを覚えています。
SHARPのビデオ・カメラで、その頃はまだカメラ自体も大きく、肩に担いで撮るタイプでした。
VHSのビデオ・テープをそのまま録画メディアとして使うタイプ。
しばらくはこれを使っていましたが、本作が世に出るころには、カメラは一回り小さくなりました。
それは、録画メディアが、VHSから8mmビデオに変わったからですね。
これで手持ち撮影が可能になったのを覚えています。
さすがに、宮崎勤や蒲生稔のような使用目的では使いませんでしたが、当時は8mmビデオをそのまま再生できるビデオデッキはまだありませんでしたので、本作の描写にあるように、ビデオ・カメラをそのまま、テレビにつないで、再生していたことはよく覚えています。
殺人鬼蒲生稔は、音楽にもこだわっています。
これが、筆者の趣味かどうかはわかりませんが、本作に殺戮シーンに頻繁に登場する曲が、あの当時ヒットしていた岡村孝子の「夢をあきらめないで」。
この曲は、当時男性よりも、女性人気が高かった曲だという認識です。
この歌詞が、残虐シーンには必ず登場します。
蒲生稔は、CDプレーヤーから、イヤホンを二つ引き、これから亡き者にしようという女性と二人で同じ曲を聴きながら行為に及びます。
こんなシーンに使われるこの曲も可哀そうだなと思ってしまいますが、自分の好きな曲を相手と共有したいという気持ちはわからなくもありません。
そんなわけで、読みながらも、だんだん気になってくるのが、自分と、この究極のサイコパス男との共通点が意外に多いなという点。
蒲生稔が、殺した女性のバストに異常に執着するあたりも、ドキリとしました。
極めつけは、蒲生稔が通っていた大学ですね。
本書の中では、東洋文化大学という架空の大学でしたが、僕が通っていたのは東洋大学。
大学の学食で、バストの大きい可愛い女の子をみつけると、その前に座って、カレーライスを食べながら、喫茶店に誘ったことも実はあるわけです。
彼女がこれから講義があるというと、確かにこういっていました。
「大丈夫。その教授の講義は、テストさえ受ければ、楽勝で単位とれるから。」
さて、本作にまつわるあれこれを長々と書いてまいりました。
一応この文章がネタバレにならないように注意して書いていたわけですが、気が付けば、この文章も叙述トリックになっておりますね。読んだ方なら、ニヤリとするかもしれません。
なるほど、トリックがばれないように、読者を意識してミスリードさせていくのは、書き手としては確かに楽しいということに気が付きました。
もしも、この拙文を読んで、我孫子武丸氏の「殺戮に至る病」を読んでみようと思った方は、読み終えたら(もしかしたら二度)、是非またこの拙い感想文を読んでみてください。
書いている僕が、ニンマリしているのが想像できると思います。
我孫子武丸氏は、京都大学文学部哲学科中退。
哲学者キェルケゴールの名著「死にいたる病」も、当然本書のヒントになっていると思います。
キェルケゴールはその著書の中で「死にいたる病は絶望」と書き残しています。
では「殺戮にいたる病」はとは何か。
作者はそんな事は本書のどこにも書いていませんが、とりあえず読了した勢いで言ってしまいましょう。
それは、もしかしたら愛かもしれません。
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