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ゆとりを持って、生き急がず

今日はゆっくり時間を過ごす事を意識して、だらだらした1日を過ごした。仕事の事も考えず、部屋の掃除をしたり本を読んだりして…

そうした1日を過ごして気付いたのは、最近心にゆとりを持たず、何かに追われているかのように生き急いでいたという事。

何で生き急いでいる時は、こんなにも部屋が汚れてしまうんだろうと片付けていて思った。洗濯物もいつ取り込んだタオルやっけ?と思いながら畳んだ。

そう思うと毎日部屋を綺麗に、いつ人が来てもいい様な状態に保っている人はすごい。自分にもそんな潔癖機能が欲しい…

2週間前までは、この空間を綺麗に保つぞ!と意気込んでいたのに。その熱い思いよ、戻ってきておくれ。いつか、弁当を毎日作るぞ!と言っていた自分、帰ってきておくれ。

そう思うと、何事にも動じず、ゆとりのある生活を送れている人がすごいと思う。羨ましい。

「いやいや、そういう自分こそゆとりのある生活を送っていますやん」とこの話をしたときに言われた事があった。

「どの辺がゆとりのあるように見えますか?」
「本を読んだり、コーヒーを自分で淹れたりする事がそう見える」

なるほど、だがすまない。自分もゆとりがある時にしているだけであって、ゆとりを保つためにはしていない。普段からやっているように見えたのなら幻想である。

定期的にゆとりを持つことは大切であると思う。詰め込むだけでは、大事なものは見えてこない気がする。

自分で自分の事を甘やかし、許してゆとりを確保する。でも、自分を含めて世の中の多くの人がゆとりを持つ事を拒否している気がする。それは他人のプレッシャーで、または周りと比較して自分を追い込んだりして。

そこで得られるのは、疲労だけである。自分に「これは役に立つことだ!」と言い聞かせてもいつかこの負担は自分の心を蝕む。

そして、仕事やプライベートで上手くいかないと落ち込み、飛び降りようとする。日本が自殺大国と言われる所以ではなかろうか。

だから僕は、生き急いではいけないという人が必要だと思う。特に僕のような、自分を追い込んでしまう人や自分の思いを押し殺してしまう人には。

新卒で入った企業は上場している大手企業だった。福利厚生も充実しているいい企業だ。でも、人には優しくなかったと僕は思っている。

「1年目から出来る人がいたんだから、その人から方法を聞けばいいじゃないか」
「自分の給料分の働きはしないといる意味ないで」

そういった言葉が当たり前のように飛び交っている現場であった。勿論、その人たちの意見は正しいし、その通りである。でも、僕にはしんどかった。

その会社を辞めて、今は別の会社に就職したけど、今なら分かる事はある。
みんながみんな1年で出来れば、苦労はしない。みんな違う個性があり、違う強みがあるから人間なんだと。そこを自分で認識して周りと比較せず、強みを活かして欲しいと。

これは今の会社の常務に言われた言葉である。嬉しかったし、ああ自分は生き急いでいたんだなと気づいた。



この文章、誰に届いて欲しいかと言えば、「ああ自分も生き急いでいるかも」「ゆとりがないかも」と思っている人に届いて欲しい。

因みにゆとりのある生活でおすすめなのが、ベランダに出て本を手に取り、コーヒーや紅茶を添えてゆったり時間を吟味する事

これがベストではなかろうか。

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ながいゆうすけ
一歩ずつ精進していきます。

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