2月10日(木)
6時前にめざめる。
スピリチャル万葉集2首目の手直し作業。解釈文をなんとか整えた。しかしきのうのきょうだ、まだすこし検討時間が必要だろう。
きょうは、きのうとは打って変わって寒い一日。というか、きのうが特別だったのだろう。
畑に出るつもりはなかったが、夕方お湿りほどの雨がきたのを幸い、裏庭から出た下草や枯れ枝を燃した。
今朝の新聞に、映画「ドライブ・マイカー」がアガデミー賞4部門でノミネートされたとの報道。ネットでは既報の話題だが、同映画が広島を主なロケ地にしていることから、地元中国新聞がそこにフォーカスしての記事。気になって読んでみた。
濱口監督はオンライン記者会見で「限りないほどの力を与えてくれた素晴らしいロケ地。またここで映画を撮りたい」と。判で押したような外交辞令にも聞こえるが、「限りない力をもらった」というのは、今回のノミネートを思えば、まんざら嘘でもないだろう。撮影中に「ヒロシマ」を意識する中でインスピレーションを得たということもあっただろう。
「心に傷を抱えた主人公が広島で過ごすうちに希望を見つけていく。そんな姿が、原爆の被害から復興した広島の街に漂う精神性とつながっていく手応えがあった」とも。これは実感にちがいない。
かれは「街に漂う精神性」といったが、何10万の記憶の作用か、世界の祈りの蓄積か、広島に他の都市にないサムシングがあることは否定のしようがない。それを表現として可視化すること。物語りに紡ぐこと。それはずっと広島に託されてきた。
「よそから来た人間が広島で希望を見つける」という、この映画のストーリーが示唆的だ。また、それが評価されたことに自問する。
「広島は広島で希望を見い出せているのか?」
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