「書く瞑想」とナヴァルは言う。
今、ナヴァル・ラヴィカントの書籍を読んでいる。
そこに書いてあった一文が響いた。
ジャーナリングという単語にカッコで注釈がついていた。
(頭に浮かんだことをそのまま書き出すこと)
私が数日前にnoteで日記を書こうと考えた時、この一文にはまだ出会っていなかった。だが私がこのnoteでしたいことはまさに「書く瞑想」なのだ。
クライアントもペルソナも考えない。ただ脳裏に浮かんだことを書く。公序良俗に反することはさすがにだめだけど、悪い考えもよぎるんだよな。それを躊躇するのは瞑想にならないのかな。
瞑想は「無」の境地に至ることが最終地だと思うが、アウトプットし続ける瞑想はどこに着地点があるのだろう。