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不安神経症とパニック障害を発症した背景について、思うこと。

こんにちは、水星です。

今、CCレモンを飲んでビーフジャーキーを食べながらnoteを書いています。
病気どうこうの前に普通に下戸なので、おつまみのおともは炭酸飲料です。

今回は私が精神疾患を発症した背景について、書いていきたいと思います。

ここで注意点が2つあります。

  • 筆者、水星は医療の専門家ではなく知識もありません。自分の経験をもとに思ったことを書いていますのでご了承ください。

  • 高ストレス状態だった頃の話なので、引きずられやすい方は無理に読み進めないでくださいね。




家庭環境について

両親が揃っていて妹と弟がいる、ごく一般的な家庭で育ちました。
父がありえないくらいバリバリ働いていた(月の残業100時間以上のサービス業)ので、経済的には裕福な方だったと思います。

母は専業主婦で、ほぼワンオペ育児で私たち姉弟3人を一生懸命育ててくれました。
奨学金もなく大学まで通わせてもらい、感謝しています。

ここで親族について見ていきたいと思います。

父方の祖父の末弟 ▶︎ 先天的な知的障害
父の兄 ▶︎ 先天的な何らかの精神疾患(未診断)
父 ▶︎ ほぼ確実にADHD(未診断)
弟 ▶︎ 強めADHD、二次障害でうつ病と不安神経症(通院中)
私 ▶︎ 軽めADHD、不安神経症、自律神経失調症、パニック障害(通院中)

精神疾患は遺伝すると言われたりしないと言われたり、実際どうなのか私には分かりませんが

まあ……うんうん。(察し)
って感じですよね。笑

ちなみに母に激似の妹は健常者でパリピのギャルママです。

私と弟は父方に似たんだろうなぁ。

新卒で質屋に就職、積み重なるストレス

就活を舐め腐っていたゆるふわ大学生の私は、とりあえず内定が出た質屋に就職しました。

質屋自体が悪かったわけではなく、立地(治安)が最悪でした。

あまりにも治安が悪すぎて、担当の刑事のお姉さんがほとんど毎日見回りに来ていました。
客層は最悪で、理不尽なことで怒鳴られる毎日。
客側のロビーと店員側のカウンターが防弾ガラスで隔てられていました。昔撃ち込まれたことがあったそうです。

両親と彼氏(今の夫)から甘やかされてぬくぬく育ってきた私は、当然そんな環境に耐えられるわけもなく。

2年間どうにか頑張ったものの、最後の半年間はストレスで胃腸がやられてまともな食事をとることができませんでした。
毎食たまごおかゆと味噌汁食べてました。
固形物は気持ち悪くなるので食べられなかったです。

最終的にとある事件があり(身バレ回避のため割愛)、当時彼氏だった夫から「結婚するから仕事辞めてほしい」と言われて寿退社しました。

この頃の私は身長168cmに対して体重が47kgしかありませんでした。ガリッガリです。生理も止まってたと思います。

退職してようやくストレス源から解放されて、ちょっと休んで胃腸も良くなるといいね〜なんて話していたんですが

甘かったですね。

次回予告:水星、包丁が触れなくなる

今回は発症した背景について振り返ってみました。

遺伝的な何かも関係ありそうですが、主な原因はやっぱりストレスかな…と再認識しました。

次回は発症当日のことや症状について書いていきます。
ここまで読んで下さりありがとうございました✧*。

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