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自由への扉 トラウマなんて存在しない?

鑑定依頼の中で、私が最も対応に苦慮するのが「親との関係性にトラウマを抱えた人々」です。

トラウマ問題を相談して来るのは、なぜかほとんどが女性なのですが「私は子どもの頃に親に肉体的・精神的虐待を受けていて、それが原因で他人を愛することができなくなりました」という趣旨の話を延々と主張されるのです。

精神科医でもない素人が、付け焼刃の心理学の知識を駆使して自己分析をし、自分の現在の不幸の原因を「親の育て方のせいだ」と断定してしまっているのですね。これはかなり危ない考え方ですよ。人生全体を眺めれば、他に原因になりそうな体験はいくらでもあるはずですが、彼女たちは「すべて親が悪い」「親のせいで私はダメになった」と頑なに思い込んでしまっているのです。

こういう人々との会話はなかなか厄介です。提供された出生データから親のホロスコープを作成して「確かに感情の浮き沈みが激しい親御さんのようですね」と答えると「やっぱりそうですか!」と彼女たちは大喜びするのですが、その後に「親も精神的に未熟な一人の人間に過ぎませんので、ちょっとずつでいいので和解する方向で努力してみましょう」などと私が言おうものなら激しくキレられ、長々と反論されます(苦笑)。

「私は親にこんなに酷い目に遭ったんですよっ!それをどうやったら許せるというのでしょうか?」という過去の不幸体験をつづった長い長いメールが送られて来るんです。

この方々は、「親がどんなに酷い人間だったのか」を客観的に証明してもらいたくて私に相談を持ち掛けているんですね。要するに「親を盛大にコキ下ろしてくれ」あるいは「親に仕返しする方法を教えてくれっ!」というのが目的なのです。

実際に一度「親に呪いをかける具体的な方法を教えてください」という恐ろしい依頼が来たことがあります。「私は呪術師ではないので申し訳ありませんがお断りします。なお、呪いというのものは、かけた本人にも反作用が発生する恐れがありますので、できれば辞めたほうがよろしいと思います」と返信しました。

ココナラのお客様でしたので、その後レビュー欄に「低評価」をつけられてしまいましたが、これは覚悟の上なので仕方ないですね(笑)。

「人を呪わば穴二つ」という言葉あるように、他人を憎んでいいことなんて一つもありません。彼らの不幸の本当の原因は「他人を許せないまま憎しみを抱えていること」そのものにあるのです。

キリスト教で最も崇高な行為とされるのは、「罪や過ちを犯した人を非難せずに無条件で許すこと」ですが、それは他人のためと言うよりは、自分自身の心の健康を守るために考案された合理的なルールなのです。

この「トラウマ問題」の取り扱いについては、普段からお世話になっているヒプノセラピストの宮本直樹先生に何度か相談しているのですが(彼は毎月、セラピー体験会のために石巻市を訪れます)、宮本先生によると「本人がトラウマだと自己判断しているものは、実際のトラウマではないことが多い」のだそうです。

日常の意識で自覚できる程度の記憶ならば「具体的な対策」が取れますのでそれほど問題にはなりません。トラウマが癒しにくいのは、それが「心の奥底にしまい込まれていて自覚できない記憶」になっているからなんです。

これは宮本先生から直接聞いた実例なのですが、昔々あるところに、妹と一緒に「縁日のお祭り」に遊びに行った幼い女の子がおりました。

彼女は露店で売られている「りんご飴」が欲しかったのですが(残り一個だった)、妹が先に「あの赤いのが欲しい」と口にしたので、妹に気を使ったお姉ちゃんは「私はあんず飴が欲しい」と本心とは違うことを言って、最後の一個だったりんご飴を妹に譲ってしまったのです。

状況としては「よくあること」ですよね?

ところが、この時の記憶が潜在的なトラウマとなり、お姉ちゃんは大人になってから「何でもかんでも他人に譲ってしまう」「好きな男性がいても、恋のライバルがいるとあっさり諦めてしまう」という引っ込み思案な性格になってしまったそうなのです。

一番の問題は、このお姉ちゃんがその時のことを「すっかり忘れていた」ということです。少なくとも表層意識の中にこの記憶はありませんでした。忘れているからこそ対処のしようがなく、自分の弱気な性格に嫌気がさした彼女は、思い切って宮本先生の退行催眠を受けることになったというわけです。

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