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遠き日の約束 廻り続ける運命の輪

「私を探して・・・必ず生まれ変わるから・・きっとこの世界のどこかに・・・探して・・私を見つけて、約束よ、約束よっ!」

これは、小説家・遠藤周作の名著「深い河・ディープリバー」の序盤に出てくる重要なセリフです。

末期がんを患っている女性が、薄れゆく意識の中で最後の力を振り絞り、夫の耳元で「死んだら私を探して」と懇願したのです。

生まれ変わりなど一切信じていない夫は、妻の予想外の言葉に動揺し、その場ですぐに返事をすることができませんでした。それが妻と交わす最後の会話になるとは知らずに・・・。

しかし妻の葬式後、少しずつ輪廻転生の思想に興味を持ち始めた夫は、数年後ついに「妻の生まれ変わりの少女」を探すためにインド行きのツアー旅行に参加することを決意するのです。

遠藤周作の遺作 深い河・ディープリバー

「長年連れ添った妻の病死」という衝撃的なスタートでこの物語は始まるのですが、この「深い河」は宇多田ヒカルのヒット曲「Deep River」のモチーフになった有名な小説でもあるんです。

実際、歌詞の中に「何度も姿を変えて私の前に舞い降りたあなたを、今日は探してる」という、輪廻を連想させるフレーズが入っていますから、宇多田ヒカルがこの作品をどれほどリスペクトしていたかがうかがえますね。

宇多田に限らず、俳優の本木雅弘や美術家の横尾忠則らが「この作品の大ファン」であることを公言し、解説本まで出していますので、芸術やエンターテインメント方面に多大な影響を及ぼした歴史的名著であることは間違いありません。
そしてこの作品は昭和を代表する小説家・遠藤周作の最後の作品(遺作)となったのです。

私がこの作品を初めて読んだのは、かれこれもう30年も前の話なんですが、冒頭に紹介したセリフが強烈に記憶の中に焼き付き、ずっと忘れられずにいました。
「死んだら私を探して!」・・・本当に私たちが何度も生まれ変わりを重ねている存在であるならば、過去に一度ぐらいそんな言葉を誰かに残したことがあったとしても不思議ではありません。

仏教ではそのような感情を愛着(あいじゃく)と呼び、苦しみの原因の一つと考えますが、それでも「愛する人ともう一度再会したい」と願うのは私たちの誰もが抱えている本能のようなものです。

絆の深い夫婦、親子、師弟関係・・・そんな大切な相手と「次の人生でもまた出会いたい」と願ってしまうのはごく自然なことではないでしょうか?

この物語の舞台は1980年代半ばで(作品の発表自体は1993年です)、その頃は、シャーリー・マクレーンの自伝的小説「アウト・オン・ア・リム」や、イアン・スティーブンソンの「前世を記憶する子どもたち」など「生まれ変わりの存在を積極的に肯定する本」が世界的ベストセラーになっていた時期に当たります。

特にアメリカではこの2冊の本をきっかけとして東洋哲学ブームが巻き起こっており、物語の中でも妻の死後、姪の勧めでアメリカを旅行していた主人公の磯辺は、思わずワシントンの空港でこの2冊の本(英語版)を購入してしまう場面が描かれています。まるで目に見えない力に導かれるかのように・・・。

世界的ブームを巻き起こした「前世を記憶する子どもたち」

スティーブンソン教授の本はさまざまな実地調査の結果を提示しながら、それでも「こういう現象は確かに存在するが、だからと言って人間に前世があるとは断定できない」という科学的態度に徹しており、それが合理主義者の磯辺の心を強く惹きつけました。そして磯辺は、妻の最後の言葉をほんのちょっとだけ信じる気持ちが湧いて来たのです。

興味を掻き立てられた磯辺はスティーブンソン博士の研究所に手紙を送り「もし調査対象者の中に前世が日本人だと証言する幼児がいたら私に知らせて欲しい」と要望しました。

返事を期待していたわけではなかったのですが、親切にも研究員の一人から「インドのカムロージ村に、前世が日本人だという記憶を持つ少女がいますが、我々の調査対象外になっており、詳細については不明です」という返信が来たのです。

居ても立っても居られなくなった磯辺はインド行きのツアーに申し込みます。

そのツアー客一行の中に、病院で妻を介護してくれたボランティア・スタッフの「成瀬」という女性がいることを知り、二人は「人生は自分の意思ではなく、何か目に見えぬ大きな力に動かされているのかもしれない」という不思議な感覚を共有するのです。

生まれ変わりをテーマにした小説や映画はこの他にも山ほどあるので「別に珍しくないじゃないか」とおっしゃるかもしれません。しかし、「深い河」の作者の遠藤周作は敬虔なカトリック教徒で、世間からは「クリスチャン作家代表の遠藤」などと呼ばれ、尊敬されていた人なのです。

輪廻転生の思想を持たないはずのカトリック信者が「生まれ変わりをテーマにした小説を書いた」ということが、彼の並々ならぬ「気合い」を感じさせるのですね。

実際、遠藤周作はこの本の執筆前には何度もインドを訪れて現地取材を重ね、長い時間をかけて原稿を書き上げました。まさに「小説家人生の集大成」として全精力を傾けてこの作品に取り組んでいたことが分かります。

そうまでして、彼が世間に伝えたかったものは一体何なのでしょうか?

お話を始める前に歴史的事実をちょっとだけ補足しておくと、実は初期のキリスト教には輪廻思想が一部存在していました。グノーシス派と呼ばれる神秘主義集団がその論客の代表ですね。

しかしカトリック教会にとっては、運営上「人生はただ一度きりで、人間は死後、生前のおこないに応じて天国と地獄に振り分けられる」というシンプルなシステムのほうが信者を支配するのに都合が良かったのです。

「地獄に落ちて永遠に苦しみたくなければ、教会の言うことを聞いて寄付金を払え」というわけですね(苦笑)。

大学の推薦入試を控えた高校生が、内申書の内容を気にして担任の先生に逆らえないのをイメージすると近いかもしれません。

信者たちにとって「教会に評価されること」だけが、天国への切符を手に入れるための唯一の手段だったのです。

そのため、西暦533年の第五回コンスタンティノープル公会議において「輪廻の思想は異端である」と正式に定められ、そこからカトリックの正統的な教義の中から輪廻転生の思想が消滅したんですね。

つまり、真実かどうかではなく教会の経営上の都合で「生まれ変わり続ける永遠の魂」の存在が否定されてしまったのです。

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