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#085古文書講座での学び―研究者の常識、一般の常識(四)

 前回まで、江戸時代の農民がしたたかで、かつ稲作ばかりをしているのではなく、近隣のニーズにこたえた農業をすることで収益をより高く得ることに腐心していたことを記しました。
 今回は閑話休題で、いくつか小ネタを紹介したいと思います。
 これまで江戸時代の農民について、主たる作物の年貢で納める米、稲作について触れてきましたが、農家では収穫した米を主食としながら、他にも畑を所持する場合には野菜ももちろん栽培しています。しかし、畑を所持している農民ばかりではありません。その場合、どのようにして平素の食生活の米以外の部分を補っていたか。それは、現在では「事業消費」という表現であらわされるのですが、自家消費する作物の栽培も行うことで担っていました。
 例えば、田地の畦に作る「畦豆」。所有地の畦に大豆を植えることで、大豆を収穫して、普段の生活の中で補助食品として活用するということが行われていました。これは、年貢の収穫高の中に、畦は収穫面積に含まれていないため、そこで生産されたものは年貢の対象外になるということを活用した、生活の知恵とでもいうものです。筆者も古文書でしか「畦豆」を見たことがありませんでしたが、2016年に史跡見学会の下見をしているところで、田地の畦で大豆を生産しているのを偶然見るということに出くわし、現在も行っているところがあることを初めて知りました。

田地に植えられた大豆。いわゆる「畦豆」。2016年9月筆者撮影。

 また、自家消費する作物としてお茶やたばこも史料上に登場します。お茶は「チャノキ(茶の木)」から取れる葉を使ったもので、蒸す、揉むなどの工程を経てお茶として活用できますが、自家消費の場合は手の込んだことをせずに、いわゆる番茶として消費します。チャノキはツバキ科の植物で、秋には白い小さな椿やさざんかに似た5弁の白い花を咲かせます。自宅の側にチャノキを植えることで、自家消費するお茶をお手製で賄うということを、江戸時代の農家では行われていました。
 たばこも同様の位置づけとして、自家消費分の生産が行われていました。現在ではJTが専売として契約した農家でしか生産できませんが、専売になるまでは農家で自家消費分の生産を行っていました。たばこが専売になるのは明治三一年(一八九八)で、「葉煙草専売法」という法令が出され、煙草の原料になるたばこの葉を国が買い上げるという仕組みが初めて出来ました。また明治三七年(一九〇四)には「煙草専売法」という法令が出され、たばこの製造から販売までを国が一手に行って管理するという体制が出来ました。これ以前には、各農家では自家消費分のたばこを生産していることは珍しくありませんでした。たばこの専売の歴史についてはJTのサイトに詳しいので、下記のURLをご参照ください。

https://www.jti.co.jp/tobacco/knowledge/society/history/japan/04_1.html

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