#131明治初年の徴兵検査と地域(一)身体測定と学力検査
何となく、戦時中を描いているドラマなどを見ていると、自宅の郵便受けに召集令状、いわゆる赤紙が届いていて、戦地へ出征しないといけないことが判り、登場人物が愕然とする、というシーンに出くわすことがあります。これは実は誤りで、兵士の招集は村役場の吏員が直接対面で書類を渡すことになっています。そうすることで、本人が召集令状を見ていないということを避けることが出来るためです。
ここのところ戦争の話が続いていますが、明治前期の徴兵制において、どのようにして兵士が徴発されるかについてを記したいと思います。
明治五年(一八七二)以降、国民皆兵を目指して徴兵制が日本で施行されました。二〇歳以上の男子に徴兵の義務が課される訳ですが、二〇歳以上の男子の全てが徴兵されたわけではありません。徴兵にあたって行われる検査によって振り分けが行われます。
明治八年(一八七五)の「徴兵令改訂」の中の「徴兵編成並ヒニ概則」によると、徴兵検査の最初には、それぞれが身体計測や内科検診を受けています。その検査によって「甲、乙、丙、丁、戊」の五種に分類されていました。「甲種」は身体強健で、標準的な体格の者。現役として入隊検査後に即時入営しています。徴兵検査での合格者が多数に及ぶ時には、抽選によって入営者を決めてます。「乙種」は健常な身体であり、補充兵役に組み込まれ、甲種合格の人員が不足した場合にのみ、志願または抽選によって現役として入営していました。「丙種」は体格、健康状態ともに基準値に達しない者。「丁種」は身体に障害を持つ者で兵役に不適とされ、兵役免除となります。「戊種」は病人や病み上がりの者で、兵役に堪えうるか判断し難い者と判断され、翌年に再検査となります。徴兵検査では、身長が一五二センチメートル以上で身体強健、視力良好であれば甲種合格とされていました。ただし、身長が極度に高いなど体格が標準でない場合は、軍服の支給に支障があるため乙種あるいは丙種とされています。
身体測定、内科検診のあとに学力検査もあったようで、先に挙げた「徴兵編成並ヒニ概則」の第四章第八条には「抽籤終リ常備及シ補充ニ当リタル者ハ書翰往復、算術出来得ルヤ否ヤヲ試ムヘシ」とあり、体格、健康に問題なく、抽選で兵役に当選したものには、手紙のやり取りや計算が出来るかどうかの試験が行われていました。また、同じく第九条では「書翰並ヒニ算術ノ試験ハ筆生ノ内算術ヲ心得居ル者ヲ選任シ試験場ヲ設ク、其仕法ハ二三行ノ翰牌ヲ読ミ易キ様三四枚ニ認メ、並ヒニ十露盤等備ヘ置キ一人宛読文算術ノ内出来得ルヤ否ヤヲ問ヒ、出来得ル者ニハ読文ハ右翰牌ヲ読マシメ、無滞読ミ得ル者ヲ上等トシ二字以上誤ル者ヲ下等トス、算術ハ除法以下誤リナキ者ヲ上等トナシ、誤リアル者ヲ下等トナス」とあり、文章読解は書かれている文章を読解して判りやすく書き替えることを行っており、その中で二文字以上の読み間違えがあった場合を下等、問題なく読めたものを上等としています。計算はそろばんを用意し、割り算などの計算をさせ、計算間違いをしたものを下等、きちんと計算できたものを上等と評価していました。
軍隊では、指令の伝聞もあれば、大砲を打つなどの場合には着弾のための計算も必要なため、当然と言えば当然ですが、身体強壮なだけではなく、学力検査も実施されて評価の基準とされています。
今回は徴兵検査について述べましたが、次回は徴兵と村役場、吏員とのかかわりについて紹介したいと思います。
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