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#167戦時体制への音楽の活用-戦時下の河内音頭、続報(2)

 今回は仏教音楽協会と盆踊りについて、調べてみたことを紹介したいと思います。

 仏教音楽協会の発刊している書籍の『仏教聖歌』には、「花祭の歌」や「仏教青年会会歌」、「盆会の歌」、「仏さま」など、筆者などは聞いたことのないような歌ばかりが掲載されたことを前回に記しました。今回は盆踊りについて紹介したいと思います。「#081戦時体制への音楽の活用-戦時下の河内音頭」でもふれましたが、昭和一一年(一九三六)八月一九日に八尾別院大信寺において仏教盆踊り大会が開催され、その際には参加者約三〇〇人が、文部省内仏教音楽協会制定による仏教盆踊歌のレコードによって午後九時ごろまで踊ったそうです(『新版八尾市史 通史編』二、四四八~四四九頁)。

 ここに出てくる仏教盆踊歌ですが、仏教音楽協会発刊の『仏教聖歌』の中を探してみると、第五回発表(昭和八年(一九三三)五月発刊)に「盆をどり歌(児童用)」、縮刷第一輯(昭和一三年(一九三八)六月発刊)に「盆踊歌」という、該当しそうな曲が二曲掲載されていました。縮刷第一輯掲載の「盆踊歌」の歌詞の一番は下記のとおりです。

ハァ、盆はナ(ヨイサ)、ぼんは嬉しや別れた人も、アラセ、ヨ、ホホイ、晴れて此世へ、ハ、会ひに来る

仏教音楽協会制定、藤井清水作曲、島田豊振付「盆踊歌」
(『仏教聖歌 縮刷第一輯』晋文館、昭和一三年六月)

 さまざまな歌詞と節回しがあるのですが、筆者には全く聞き覚えのない歌詞です。筆者の出身地域において、子ども時代からもっぱら櫓の上から流れていたのは、「鉄砲節」と呼ばれる鉄砲光三郎によるものが最も耳なじみがあります。代表的なものは下記のものではないかと思います。

 第五回発表掲載の「盆をどり歌(児童用)」の一番の歌詞も併せてみておくと、次のようなものです。

彼岸桜におだんご添へて、蝶々追ひ追ひののさまへ

岸部福雄作歌、小松清作曲「盆をどり歌(児童用)」
(『仏教聖歌 第五回発表』(東京国興印刷社、昭和八年五月))

 こちらも全く耳なじみのない歌詞です。どうやら一般的に現在歌われている河内音頭と仏教音楽協会の制定した盆踊歌とは全く別のものであるようです。

 また、第五回発表の巻末の広告欄に楽譜集と思しきものの中に「新作ぼんをどり歌」という記載があり、第六回発表(昭和九年一〇月発刊)の巻末には「仏教聖歌レコード」の広告が掲載されており、その中に「新作ぼん踊歌」という記載があります。文字の表記の異同はありますが、少なくとも昭和八年(一九三三)には仏教音楽協会の盆踊り歌は成立して、レコードや楽譜が販売されたりしているようですので、どうやら昭和一一年(一九三六)に大信寺で行われていた盆踊りは、この仏教音楽協会制定の盆踊りをレコードで流して踊っていたのではないかといえるでしょう。

 現在聞きなじみのある河内音頭が、いつごろ成立したかになどついては判りませんでしたが、今回調べることによって、少なくとも戦時下には現在とは異なる盆踊りを歌い、踊っていたことが判りました。河内音頭と仏教音楽協会、盆踊り歌についても、結構判らないことが多いので、引き続き調べてみたいと思います。

 
 





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Nobuyasu Shigeoka
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