#107新聞記事と缶ジュースー多角的な分析と情報収集ー
ある時、先輩研究者が若い研究者に、「何でもいいから得意技を身に付けなさい。アイドルについてでも、コンビニスイーツでも、インスタントラーメンでも何でもいい、一つのことを突き詰めることが出きれば、その手法を入り口として異なることにも援用して勉強することが出来るから。」と、アドバイスされていたことがありました。
著者の大学時代の先生も、「常にやじ馬であれ。火事が見えれば、すぐ見に行くぐらいの勢いがないと駄目だ。」と言っていました。火事はものの例えですが、どんなことにでも興味関心を持つことが大事だ、ということが言いたかったのだと思います。
歴史学は過去のことを取り扱うので、さまざまな史料を集めてきて、それらを総合的に分析し、自分の立てた推論が合理的、論理的、実証的に成り立つかということを行う学問です。とはいえ、何せ昔のことですので、最終的には「見たのか、お前」と言われてしまえばおしまいです。そのため、それぞれの研究者は血肉を上げて史料を探し、読み込んで論文を書きます。著者も出来る限り史料を集めて、証拠となる史料をなるべく3つくらいは見つけて論証することを心掛けてており、いくつかの史料から多角的に見て、このように言えるだろうと結論付けるようにしています。「見たのか、お前」と言われた時に、その場にはいないけれども、その時期に関わる史料は全部見た、と言えると、立論として非常な強みが出てくる訳です。
実証性という意味では、著者が大学時代に習った先生のお話で、非常に興味深いものがあります。
その先生の授業は、冒頭に小さなメモ用紙を配布し、この一週間で読んだ書籍などの活字について簡単な感想を書いて、授業の終了時に提出しなさい、というものでした。学生から「一週間で1冊も本が読めない」などの反応もあったからか、その先生は、論文1本でもいいし、新聞記事でもいい、とのことで、授業終了時になにがしかのこの一週間で読んだものを提出させることをしていました。今から思うと、単に出欠票だと代返がありえるので、このようなことをしていたのかも知れませんが、目的の一つとして、活字をきちんと読む習慣づけをするということもあった事と思います(後に研究会などで、その先生にお会いした際に、こんな授業をされてましたね、と言うと全く覚えておられませんでしたが…)。
その先生は、一週間に読んだ活字の感想を書くということを毎時間課せられる理由を説明された際に、例えば新聞記事を読んだとして、朝日新聞を読むか、毎日新聞を読むか、産経新聞、赤旗などそれぞれの新聞を読んで、同じ事件などを扱った記事が掲載されていたとしても、それぞれの紙面では同じ書き方をしていない、それらを比較してその差をみることはそれぞれの新聞社や記者個人の姿勢や主義主張について読み取れる、それらを比較することでなぜそのような書き方になるのかという分析視覚を得ることが出来る、というような内容のことを言われました。
ここから、一方からだけの主張を受けるのではなく、違った方向からも確認しないといけないという多角的に見る見方、ひいては実証的な史料の見方という、研究の作法を教わったような気がします。
このようなお話などを大学時代に聞いていたからか、何がどんな局面で役に立つかは判りませんので、なるべく色々な情報を集めて多角的に分析する、あるいは実際に自分で見て、体験してみる、ということが自身の研究手法では重要な位置を占めているように思います。
だからかどうかは判りませんが、個人的な嗜好として、いつもスーパーやコンビニエンスストアに行くと、見たことのない、食べたこと、飲んだことのないものを見ると必ずと言っていいほど購入して試してしまいます。これも、食べた、飲んだからこそ、実体験を伴って発言出来ることというのがある、大仰に言うと実証主義とも言えるのではないかと思います。
ちなみに、先日、Podcastで友人と缶ジュースの話をしています。飲んだことがあるかどうかで、随分と感想や思い出も違っています。ご興味のある方は、ご参考までに下記にURLを貼り付けておきますので、聞いてみて下さい。