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#130着物の柄と戦争

 前々回に「着物から見る女性の一生-女性の着物の展示を見て」ということで、着物の話を記したこともあり、また前回の「戦時下の生活と”普通の人々”」で戦時下の普通の人々の暮らしにも触れたので、その双方に関連することということで、今回は書いてみたいと思います。
 前回、『この世界の片隅に』に触れながら、当時の普通の人々の様子について述べてみました。『この世界の片隅に』に、主人公・すずの姪として、物語の途中で亡くなる美晴という人物が登場します。美晴は軍艦が好き、という描写がありますが、これも当時の世相をよく表しているではないかと思います。現代の男の子がヒーローやロボットに憧れ、好きになることと同様のことといえるでしょう。
 当時の人々が、軍艦や戦車、戦闘機を格好いいと思うことまでが良くないことだった、とまでは思いませんが、それらを格好いいという気持ちを醸成するような当時の雰囲気は確実にあったのでしょう。

 以前にどういう契機だったかは忘れましたが、乾淑子『図説着物柄にみる戦争』(インパクト出版会、二〇〇七年七月)という本を購入したことがありました。これは戦争に関する柄の着物について著した書籍です。

 戦争柄の着物については、戦意高揚などの意味合いから販売されていた、ということもあったでしょうが、それまでの人生儀礼における、節句幟に描かれた歴史上の人物と同様の印象を持って、購入する側の人々に受入られたのではないかと考えられます。例えば、節句幟に描かれる加藤清正は、虎を退治するような強い人物として描かれており、子どもの逞しく成長する姿を仮託していると言えます。それと同様に、戦車や軍艦、戦闘機を強さ、逞しさの象徴として、わが子に強くなって欲しいという同様の願いを、親がその図柄に仮託をしたのではないかと考えられます。

 現代では、ドクロの絵柄が書かれたロックバンドのTシャツを着ている方もいますが、そのバンドの音楽も知らず、主張も知らないけれども、そのデザインが格好いいと思って、好きで着ている方もいるでしょう。著者の妹が、スペインだったかイタリアだったかを旅行をした際にの出来事として、列車で向かいの席にいた現地の若い女性が、「宝生舞のサンダル」と書かれたTシャツを、恐らく意味も判らずに着ていたのに出くわしたと、旅の思い出として語ってくれたことがあります。戦争柄の着物を着用する感覚としては、それが平気であるという認識以上に、上記のような軽さも含まれた「格好良さ」を感じて着用、普及していたのではないでしょうか。
 民俗学的な子供の成長と強さへの仮託、ということは最近は減り、ただただ格好いい、お洒落だということで、服装の図柄を選んでいる方も傾向として多いでしょう。現在の日本人も、その意味も判らずに、格好いいと言うだけで着ていることと、戦時下を生きる人々が戦争柄の着物を着ていた感覚も、実は同様のものだったのではないだろうか、という気がします。

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