どんな状況でも、楽しく生きられる人。恵まれた境遇でも、毎日がつまらない人。
「いい加減」なのに、人が集まってくる人
「いい人」なのに、なぜか人望がない人
〇 「いい加減なやつだ」と思われている
✕ 「いい人だ」と思われている
ラベリング効果というものがある。「あの人はああいう人だ」と人からレッテルを貼られると、当人は無意識にそのレッテルに沿った行動をするようになる。
いい人のレッテルを貼られたら、その人はいい人を演じ続けなければならない。そんな気がしてくる。
いい加減さがあるから人間は愛らしいのである。いい加減さがないと、人生を楽しむ機会は、永遠にやってこないかもしれない。
-------------------------------------
〇 相手にしゃべらせる
✕ 自分が喋ってしまう
『人を動かす』という名著を書いたD・カーネギーは、人を説得する重要な原則として「相手に喋らせる」ことを挙げている。
「相手が言いたいことをまだ持っている限り、こちらが何を言っても無駄だ」
しゃべらせるとは、すなわち聞くことである。どうやって相手の心をつかもうとあれこれ悩むことはない。ただひたすら聞いてやればいい。
-------------------------------------
〇 会話のほとんどは無駄話でいいと思っている
✕ 何か意味のあることを話さなければと思っている
彼女ができなくて困っている男性に多いのは女性との対話ができないことだが、これも対話の本質がわかっていないからである。何か意味のあることをしゃべらなくてはいけないと思っているのだ。
人との会話で、意味のある言葉を交わすのはほんの一瞬である。話のほとんどは無駄話なのだということを知ったとき、肩の力が抜けて楽に会話ができるようになる。
気の合った人間と交わすムダ話くらい楽しいことはない。それは、人生の醍醐味といってもいい。
どんなに忙しくても、ゆとりがある人
たいして忙しくないのに、余裕がない人
〇 無駄な時間の「見切り」がうまい
✕ 無駄な時間を過ごしていることに気付かない
実は、本当に省かなくてはならないのは、「本人がムダと意識していないムダ」なのである。
遅くまで酒を飲んでいた。本も読まずにボンヤリと過ごしてしまったなどという、本人がムダと意識しているムダは実は大したムダではない。本当にムダなおんは、仕事や勉強をしている中で生まれる。一見、ムダには見えない時間の空回りである。
それは、一生懸命やっていることが私たちに一種の心理的満足を与え、結果を問わず、それだけで「何かしている」ような気になって、時間をムダにしているとはつゆにも思わないからである。
そればかりか、毎日、その「ムダな一生懸命」を繰り返してしまいやすい。心の充実は必ずしも時間の充実にあらずと心得ておきたい。そうでないと大きく時間を損ねることにもなりかねない。
ある程度できたらよしとする。「いい加減」のすすめである。「いい加減」とは無責任とは違う。何事も自分の裁量によって物事を決め、人生を楽しく過ごす秘訣である。
-----------------------------------
〇 すぐ誰かに相談する
✕ 一人でクヨクヨ悩み続ける
ふだん我々は結構迷うものだ。迷えば優柔不断になるし、すぐには取り組めない。では、どうしたらいいか。迷っていることを他人に喋ってしまうのも一つの方法だ。その効用は二つある。
第一に、人に喋ると引っ込みがつかなくなる。
「ある会社から誘われているのだが転職すべきかどうか」
「縁談が持ち込まれているのだが、いま結婚すべきかどうか迷っているんだ」
他人にしゃべれば、結論を急がねばならなくなる。自分をそういう気持ちに追い込むには、迷う事柄を一人で抱えていないで、信頼できる友人、知人に公開してしまうにかぎる。
第二に、人にしゃべっているうちに頭の整理がついてくる。
「転職するって、とんな会社なんだ?」
「条件は?」
「君の気持ちは?」
相手はいろいろ聞いてくる。
「いまは、やめたほうがいいのではないか」
というアドバイスもしてくれる。それが刺激になって、迷いの霧がだんだん晴れてくる。
-----------------------------------
実力はそこそこでも、伸びていく人
実力はあるのに、なぜか伸び悩む人
〇 自分の身に起きたことはすべて「必要、必然」と受け止める
✕ 自分の身に起きたことを何でもプラスに捉えようとする
プラス思考という言葉が普及したが、正しい理解をしている人ばかりではないようだ。「なんでもよい方へ考えればいいんでしょう」という人がいるが、決してそうではない。
「どんな出来事でも、自分の身に起きたことは、すべて必要、必然として受け止めるべきである。」
これが究極のプラス思考であると思う。
-------------------------------------
〇 「ああなれる」と考える
✕ 「ああなりたい」と考える
-----------------------------------
〇 長所を伸ばそうとする
✕ 短所を直そうとする
欠点を直しても人はあまり感心してくれない。マイナスをいくら返そうとしてもそれはゼロに近くなるだけだからだ。泳げない人間が泳げるようになっても誰も感心しない。自転車に乗れるようになっても、そんなことを自慢したら笑われるだけである。欠点の矯正にはこれとよく似た一面がある。
にもかかわらず、欠点を直すには結構エネルギーがいる。時間もかかる。そのうえ、すべてうまくいくとは限らない。そんなことなら、いっそのこと欠点には目をつぶって長所を伸ばす方がいい。
同じ努力でもそのほうが楽しいし、はるかに効果的である。学校では全科目よい点数を取る方が評価される。平均点主義だからである。
だが社会に出たら、どれか一つ突出している方がいい。「これだけは人に負けない」というものを持っている方が、どれもこれも平均的の人間よりも目立つ。しかも、何かで突出していると、他にいろいろ欠点があっても人はそれを気にしないものである。
軽々とやっているのに、結果を出す人
がんばっているのに、結果が出ない人
〇失敗しても失敗したと思わない
✕失敗するとすぐあきらめてしまう
失敗した人は、その原因をあれこれ挙げるが、それは付け足しみたいなもので、一番の原因は、本人がそれ以上続ける意欲をなくしたことである。
失敗は受容しなければ失敗ではない。偉大な発明・発見や大事業は、誰が見ても失敗と思える状況で、その事実を受容しなかった人々によって成し遂げられたという事実を忘れるべきではない。
やっと歩けるようになった赤ちゃんは、何度も転びながら歩行のコツを覚えていく。いくら転んでも、また立ち上がる。そこには失敗の受容はない。失敗という観念がないからだ。大人から見れば失敗と思えることを、むしろ楽しんでいる。
ところが大人になると、二度、三度の失敗で「もうダメだ」「できそうもない」とあきらめてしまう。失敗をいとも簡単に受け入れてしまうのだ。
若いうちから「失敗したくない」などと言っている人は、決して大きな成功はつかめない。
失敗とは何か。それは方法論の間違いを告げるメッセージである。
-----------------------------------
〇時代の流れに乗ることは「成功の要諦」と考えている
✕時代の流れに乗るなんて「情けない」と考えている
人生をうまく生きていくうえで鉄則の一つが、時代の流れに乗ることだ。
「そんなの情けない」と思う向きもあるだろうが、その考え方は甘い。時勢に逆らうことは、誰もできないのである。
それよりも大切なのは、時代の趨勢を読みとることの方である。
船が流れに乗れば省エネできるように、時代の流れに逆らわなければ、大した苦労もしないで、自分の夢や目標を達成できることもある。
-----------------------------------
逆境でも、毎日ワクワク生きている人
順風でも、毎日ビクビク生きている人
〇自分が落ち込んだ時にこそ他人に親切にする
✕自分が落ち込むと他人のことを気遣えなくなる
落ち込んだ時に立ち直るコツ、それは何か一つ「いいこと」をしてみることだ。乗り物の中でお年寄りに席を譲ってあげることでもいい。何か一つ「ああ、今日は良いことをしたな」と思えることをすると、不思議と気分が明るくなる。
落ち込んでいる時の人間というのは、ものすごい疎外感や孤独感や孤独感に襲われていることが多い。
「この世の中で自分くらい不運な人間はいないのではないか」
こんな気持ちになりやすい。街を歩いていると、通りすがりの人がみんな幸せそうに見えて、ますます疎外感を深めていくことになる。
そういうとき人に親切にしてあげると、自分が社会復帰したような気分になれる。
落ち込んだ時、ふつうは逆をやる。ヤケ酒を飲む。衝動買いをする。
だが、これはよけいイヤな気分になる。
-----------------------------------
どんな状況でも、楽しく生きられる人
恵まれた境遇でも、毎日がつまらない人
〇ときどきサボってエネルギーを充電する
✕ずっとサボらず働いてエネルギーが枯渇している
勤勉な人ほど、思い切って周囲が目を剝くようなデタラメをしてみるといい。きっと思いがけない新鮮なエネルギーが充電できるはずだ。
-----------------------------------
〇人生のそのときどきのプロセスを楽しむ
✕人生のゴールを意識しすぎてプロセスを楽しめない
生き方論では「最終章が大事だ」と一般に考えられている。
小さい時から秀才で、親からもかわいがられ、優秀な成績で学校を卒業して、社会的に認められる職業に就く。出世し、それなりのポジションにつく。そのまま順風満帆にいけば申し分ないが、最後の最後でつまずいたら、その挫折感や失望感を抱いたままあの世へ旅立たねばならない。「それじゃ人生台無しじゃないか」といった考え方である。本当にそうなのだろうか。
たしかに終わりは始めよりは大切だが、それよりももっと大事なのはプロセスではないだろうか。
どんな境遇、状況におかれようと、毎日を愉快に生きられれば、最後がどうあれ一定の納得ができるはず、大きな失望感や挫折感を抱かずにすむのではないか、最後にこだわってプロセスを楽しめない人間は、不幸であるとさえ思う。
日本には「先憂後楽」という言葉もある。先のことを考えて「いまは我慢する」ということがときにはあってもいい。いや、なくてはならない。だが、それがいき過ぎると、いったい何のための人生かわからなくなる。人生、そのときどきのプロセスを愉しむ姿勢はいつも持っているべきだろう。
人生のプロセスといっても、大げさに考える必要はない。どれもささいなことばかりだ。「お昼何食べる?」「今日は何を着ていこうか」。人生のプロセスとは、こういうことの積み重ねである。
だが、それが大切なのだ。大望を抱き目的に邁進するのもけっこうだが、ささいな事柄を楽しめる体質を作っておかないと、リラックスできないまま人生の幕が下りてしまうかもしれない。
最後も大切だが、それがいつ来るかは誰にも分からないのだから。