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そんな難しいこと考えて生きてない (「ブルーピリオド」 16巻 ネタバレ感想含め)
「ブルーピリオド」最新刊(16巻)が本当におもしろかった。
16巻の内容は主に、絵を描く主人公が描く作品の題材(二人展の作者)に向き合うために、夜の世界に飛び込むストーリーだ。
ブルーピリオドはアニメ化や実写映画化もしているので、気になるけど漫画が苦手な方はそちらで見てみてほしい(ごめんなさい、私は見てないのだけれど……)
私も作品への「真摯さ」を評価する方だ。
相反するもののひとつとして「外から見た新しい視線」も好きだ。
何かを評価するには、あらゆる視点から見る必要があると感じている。
(立場や価値観やバイアスは人それぞれだから「正しい評価」という言葉も「間違っていそう」とは感じるけれど。餅は餅屋が評価したものを基準として良い餅なのだと私は参考にしている方。世間一般とズレている自覚があり、かつ感覚派なので世間基準での評価が苦手……。個人的な好き嫌いなら語ることができるのだけれど……)
尖って深く90%もよし、広く浅く90%もよし。
ともあれ、できるだけ多くのものに誠実でいたいと願っていて、
「誰か」にもそれを求めてしまう。
ただ、「真摯」でいたからといって、絶対報われるわけでもない。
「うまいことやった方」が前に進んでしまうことも間違いなくある。
なんならそっちの方が多いのかもしれない。
一文一文を噛みしめて読んだ。
言葉のセンス、選び方。
解釈が必要だけれど、
解釈の末、だれしもが到達する解釈はひとつなんじゃないかな、と私は感じた。
「自分が 納得できる 地獄を選んだ だけだよ」
「勝ち負け じゃないもんね アートは」
「死ぬ気で 頑張ってダメなら 死ねば良くない?
あ
死ねって 言ってない からね」
「お前 作家に なるんだな」
「作家に なりたいのか?」
「軸がない」
読んでいる最中、「私が書く理由」も見つけられるような気がして、その答が見たかった。
たぶん、そんな難しいこと考えて生きてないのに。
私も、私だけの文章を書くことができるのが理想だけれど、
コア層に認められて、かつ万人に広く良さを広めることができるものが書きたい。
欲張りで、ワガママで、おこがましい。
たしか私は「漫画大賞」で「ブループリオド」を知った気がする。
はじめは多数の他者の評価で挙げられた作品として見た。
それは万人に広く良さを広めることができているから私が知ることができたものだ。
伝えるために広く、優しくいるべきだと様々なものに触れる度に思う。
「優しさ」は「合わせる」だ。「広く」も「優しさ」かもしれない。
ブルーピリオドを読んで、「憧れ」を抱いた方は少なくないんじゃないかと感じた。
日々会社で抑圧されながら周りに合わせてなんとなく生きている。
(これも「優しさ」)
そしていつか何か運命的なものと出会って、人生の見え方が変わる。
圧倒的な憧れな気がする。
そして、簡単に今まで築き上げてきた生活を変えられる人は少ない。
ホメオスタシスやら保身やらが抑圧してくる。
それをも超える「運命」。誰しもが憧れるものな気がする。
私だっていつでも憧れている。
私も『才能』『運命』『本物』に憧れて、なれない方だった。
自意識が邪魔をする。憧れる。嫉む。僻む。妬む。
意識が何か他のものに阻害されて、『本物』に至れない。
それは「自分は嘘、恥」にも感じて、劣等感だった。
自分に嘘をつき続けるのもつらい。
本当にいきたい方向がわかっているにも関わらず、保身で止まってしまう。
理性で止まっている。
自分の本心への裏切りだ。
「大人だ」と称える人もいれば、「子供だ」と蔑む人もいる。
ブルーピリオドの主人公もはじめは仲間と一緒に保身をして、
だんだんそれぞれが自分の道へ覚悟を決めて進み始める。
それでも「なんのため?」「誰のため?」「何をしている?」と自分に問わずにはいられない。
周りの芝生が青く見える。「ブルー」だ。
「ブルーピリオド」の「ブルー」について
明言されていないけれども、
私の中ではじめの
「朝の街が青い」と
「青さ(若さ、青春)」に
「周りの芝生の青さ」が加わった気がした。
昔、姉に「人と違うことを比べて劣等に感じる」と相談したことがある。
「人と違うなら、比べられない。比べる意味がない。その場で気張るしかない」
と返ってきて、なるほど、と納得したことがある。
昔、兄に「同じ世界の周りの人と比べて自分は劣っている」と相談したことがある。
「ひとつの世界にいるからそう見える。小さな世間から飛び出せば些細なことだ」
と返ってきて、なるほど、と納得したことがある。
私が学生時代に同人の世界に身を置いていた時、
「商業作家」は「世間に媚びる」ものだと感じた。
「好き」過激派で、思いが詰まった人のドロドロした愛を見たかった。
「商業」あきない。ごう。「売る」「金」が汚く見えた。
「好きなもの」がきれいに見えた。
なんで日本人はお金を汚いものに感じてしまうんだろう。
今は違う。
こだわりや保身を捨て、
プロとして様々な世界へ誘致し、発展させる力をもった方だとも感じる。
私はアマチュアやインディーも、プロも大手も好きだ。
ともに「好き」を未来へ積み上げていっている。
誰かに伝えたい、引き継ぎたい。
制作者へ感動を伝えたい、応援したい。
代弁して欲しい。叫びたい。生きたい。救われたい。
プロもかつてはアマチュアだ。
小さな応援が、未来につながる。
それも「ブルーピリオド」は伝えていた気がする。
この世界は残酷だ。
「お金はあるべきところにあるわけではない」。
「善意にお金が集まるわけではない」。
「信じる者が救われるわけじゃない」
「信じて納得できる先が地獄かもしれない」
「信じて納得できない先は天国なんだろうか」
「納得できないことを継続するのは不毛だ」と感じている方だ。
我ながらとても過激な思想だと感じている。
継続することで化学反応のように突然花開くときもとても多くあると思う。
たしかにそういう時もある。
それでも、「いつか、いつか」と思考を麻痺させるのは、
「過ちを蓄積している」ことにも似ている気もしている。
納得できない現状を打破した時、「いつか」の希望を捨てたように感じる。
「納得できなくても、飄々とうまく生きればよかったのにな」と後悔しそうになる。
「大義」もない。「軸」もない。
「納得できない」だけで。
ブルーピリオドはそれを、
一コマ、一セリフで言ってくれた。
「自分が納得できる地獄を選んだだけだよ」
誰だってこの世で自分と、自分の大切なものを守りたい。
納得して苦しむか、納得できずに安楽でいるか。
難しい問題なので、どちらが正しいとかそういうのは私にはまだ応えられない。
わくわくすることは、顔をあげてみればたくさんある。
アニメの続き、推しの配信。
地獄の中を生きながら、希望を伝え続けている人はこの世に無限といる。
地獄かもしれないけれど、希望を生み出せる。
地獄の中で納得して、無限の希望を見続けることがきっとできる。
そんな難しいこと考えて生きなくていい。
この世に希望なんていくらでもある。
そんな小さくて当たり前のことを、私も伝えていきたい。
信じたいものを信じて生きていい世の中になってほしいなと思うのでした。
©︎山口つばさ・講談社
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