書くなんてロクなもんじゃないと言われたかった
「…ビーフシチューと…ええと、ミックストーストで」
先日、超個人的な日記をつけるためにブログをはじめた。
その日あったこと、やったこと、使った金額、食べたものを羅列するだけの、超個人的な「日を記す」日記だ。
文脈も形式もない。
ちなみに日記は好き勝手書くので、残念ながら公開する予定はない。
そこで書いている途中で、「やりたいことリスト」も書いておこうと思い、
箇条書きで書きだした。
◆やりたいこと
・コメダで本を読む
・少年期の終り(steamゲーム)をやる
・エアコンの掃除
・机の棚のレイアウト
・ブルーレイのお手紙
・いいシャンプー買う
いわゆるToDoリスト、タスク管理というやつだ。
私生活の。
最近むやみやたらに本を買うようになった。
気になった本は死ぬまでにとりあえず読もうと思った。
「積ん読(読んでいない本を積んでおくこと)」が今現在5冊ある。
このところお昼休憩は新しく買ったスマートフォンの操作に夢中で、
10日間ぐらいは本を読めそうにない。
しかし、私の中のもう一人の私が本を読みたがっている。
昨日、仕事帰り、疲れた体をえいやっと振り回して、
なんとか電車に乗り込み、なんとかコメダにたどり着いた。
夜だから、という理由で、「アメリカンコーヒーとデミグラスバーガー」を頼んだ。私の横の席で、こう聞こえた。
「カフェインレスコーヒーで」
嗚呼、「コメダまできてカフェインを接種しないなんて、
そんなもったいない事しちゃだめ」と囁いた私の中の悪魔が、しめしめキシシと笑っている。
先日書いた「これがいい」が全く実行できていないではないか。
まあ、いいのだ。カフェインを摂れば、集中力が高まる気がする。
本を読むには、いい。
待っている間、私のブースの設置をしていく。
スマートフォン、本、筆記用具、ノート。位置はここ。
(駅前のコメダはカウンター席が仕切りでブースになっていて、
コンセントもあり、作業するには最高の環境になっている。
本当にありがとうございます)
アメリカンコーヒーがきて、この深いくすんだ緑のカップがいいよなぁ、とほくそ笑んで喜んでいると、私のすぐ後ろの席から、驚きの言葉が聞こえてきた。
「…ビーフシチューと…ええと、ミックストーストで」
『えっそんなことしていいの…?』
これにはカフェインレスコーヒーを頼んだ方も驚きだろう。
コメダ珈琲のカウンターで?
たしかに仕事帰り、19時半頃。晩御飯時だ。
だが、周りのブースもフリーランス、ノマドワーカーと思しき方々がノートPCを開いてカタカタ仕事をしている(ように見える)。
私は耳を疑って、店員さんの復唱を待った。
「はい! ビーフシチューと、えー…ミックストーストですね! ご注文お間違いないでしょうか? あ、ミックストーストはからしマヨネーズ入ってもよろしいでしょうか?」
「はい」
ああ! ビーフシチュー1230円とミックストースト750円!
なんて贅沢なんだろう。
私は猛省した。己を恥じた。
私はまだまだ未熟者だ。この世界はやっていいことに溢れているのだ。
そんな風にビーフシチューとミックストーストに思いを馳せていると、
私のデミグラスバーガーも到着して、美味しくいただいた。
からしマヨネーズは最高の味わいだった。
コメダ珈琲のデミグラスバーガー、おすすめだ。
さて、楽しい時間を過ごした後は、読書タイムだ。
毎回思うのだけれども、
本を読む前後が本を読む一環になってしまい、
純粋な本のレビューにできないのが悩みどころだ。
私はこのビーフシチューのことを書かずにはいられない。
ただ、ビーフシチューのことを書くつもりの記事ではない。
おもしろいことがあった前後のことを、鮮明に覚えようとしているからかもしれない。背景は大事だ、と思う。私にとって。
遠足の前、ライブの後、思い出は「計画し始めてから、帰ってその後まで」が思い出だ。
それはAメロ、Bメロがあって、サビがあるような?
ちょっと違う気がする。でも、それっぽく聞こえるような気もするので、そういうことにしておく。
最近本が本当におもしろい。
今回も「ふっ」とコメダでも声を出して笑ってしまった。
痛快。爽快。気持ちいい。
今回の本は、本当に「こう言って欲しかったんだろう?」ということを言ってくれたような、そんな本だった。
読みたいことを、書けばいい。(著:田中 泰延さん)
~人生が変わるシンプルな文章術~
前に、「書く」という記事を上げた。
私は「書く」超初心者だ。
本を読めども、調べども、未だに私にとって「書く」とは一体何なのかがわからない。
本の中にあるように、どんどんゲシュタルト崩壊していくばかりだ。
(※記事内に例として似たことが書いてあるけれど、様々な記事や本を読み漁る中で、おそらくこの本を読んだ方の記事をどこかで見たんだと思う)
初心者なりに、自分で脳みそをつかって自分で考えて書きたい欲(プライドではなく、ドロドロしたわがままな子供のような欲)がある。
そして、「何かが違う」とずっと感じ続けている。
何かが違うと感じ続けた結果、迷った。
初心者が陥る罠とも言えるのかもしれない。
迷ったせいで筆を折ってしまった方もいるのではないかと感じる。
『「書く」は高尚な趣味で、ノウハウやテクニックが必要で、術、方法があって、先人がいて、こういうもので、一見さんお断りで………』
そんなものはない。
この本はそう言ってくれた。
「書くなんて、めんどくさい」
「書くが好きなんて、どうかしてる」
「書くは手なぐさみだ」
ああ、これが見たかった、と思った。
最高!!! ありがとうございます。
先日買った本も、もう、これだ。
書くのがしんどい(著:竹村俊助さん)
「これこれ!」と自分の中の答えらしい答えを見つけた気がする。
おもしろく感じないものを
「ほおら、おもしろい、おもしろい」と歯を食いしばって自分に暗示をかけるような感覚。
もっと自分のおもしろさを自覚して、自分に自慢して見せてあげた方がいい、そういった内容のことが書いてある本なのだと私は解釈した。
そして、自分の心象は自分で見ることができないので、文字化して世界の事象と調和させて、
「これが見たかったんだろ!」と自分の眼球にたたきつけろ、ということが書かれているのだと解釈した。
随筆、それはおもしろそうだ。
そして、これだけ「文章を書くのが嫌だ」と書いている本なのに、
しっかり「まあこれだけはおさえておけばいいんじゃない?」ということを書いてくれているのは、反骨精神をもつ初心者にとって救いだ。
もう「書く」に疑念をもって入ってしまったから、「うんうん、わかるわかる!」と言われて安心しきってしまったのかもしれない。
素直にスッと入ってきた。チョロい。
心に入ってくるテクニックをいつの間にか使っているんじゃないか?
「嫌だ」のプライドはそのままに、うまく入り込まれているような。
それは心理術だ。私と本(著者)の心理戦だ。
こうして考えるとやはり文章にも心理術が必要に思う。心を掌握する力。
私にはそんなテクニカルなことはできない気がするけれど、もし使えるものならば使いたい。
メンタリスト水彩。いいかもしれない。
いいや、最近この名前にも少し「どうか?」と思うところがあるので、
今の段階でよくないかもしれない。
ノウハウ、〇〇術、技術、方法、教室、トレーニング、教科書
「学ぶ」には「構え」が出てしまうと思っている。
(吉田沙保里さんのタックルの構えを想像して頂けるといいのかもしれない)
そうではなく、
お笑いや好きなアーティストのライブを見に行く時の、「わくわく」を素直に感じるような「人生の、心の学び」が必要だ、というニュアンスを感じた。
前回の記事でも書いていた、
『自分か感じた「おもしろい」をつなぎ合わせること、それが自分だけの文章術になるのではないか』という説も、改めて後押しされたように感じた。
自分が好きではない自分を、誰かに好きになってもらおうとするなんて、おこがましい。自分の正義は自分で守る。
そういう「じゃあ、あなたは何がおもしろいと思うのか?」という
問いかけをされたような気がした。
私は私の正義を人に求めようとしていたのかもしれない。
ああ、軍靴の音が聞こえてくる。
蛇足になってしまうけれど、もうひとつどこかで見たもので、
「記事を公開する時、躊躇うのであれば、
自分を殴って気絶させている間に公開しろ」
というものも、私の中に取り入れたいと思っている。
今までに書いては消して、公開しなかった記事がたくさんある。
文章は呪いだ。自炊料理とも似ていると思う。
ある程度で切り上げないと、そのまま腐って食べられなくなったり、煮崩れしたり味がおかしくなってしまう気がする。
そういえば前に文章はナマモノだ、とどこかで書いた気がする…。
これを書いてもなんの意味もない。
それがどうしたっていうんだ。
私が読みたいから、書くしかないんだ。
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