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『大学講義課題 アジアと情勢』ポルポト政権とカンボジアの調査内容

大学講義課題の「ポルポト政権についてのレポート」について、
調べたものをもったいないのでペーストします😛
ざっと1時間くらい調べたので、何か形に残したいと思いました。

調べて大事なところを書き出したものなので、汚いです、、
ご了承ください。。

これは、ポルポト政権の思想である「原始共産制」が関係している。
もともと
この時代はアメリカ(資本主義)とソ連(社会主義)の冷戦時代でありカンボジア・ベトナムなどの東南アジア諸国は巻き込まれていた。
当時のカンボジアは、
ポルポト政権の前で、ロンノル政権でありこちらはアメリカから支援を受けていた。
さらにこの時代、カンボジアではベトナム戦争が勃発しており南ベトナムのアメリカ勢力 vs 北ベトナムのソ連勢力で内戦の真っ最中。

ソ連支援の北ベトナム
アメリカ支援の南ベトナム

当時のカンボジアの人々には自国内を空爆するアメリカへの憎しみがあった。


ポルポト政権:
・ベトナム戦争 
・ロン・ノル政権によりクーデター 
ロン・ノル首相によるクーデターがカンボジア内で起きる。

カンボジアでシヌアーク国王、カンボジアの完全独立を達成。
ロン・ノル首相によるクーデターで

ロンノル政権は完全にアメリカの傀儡政権
当時のアメリカにとてはベトナム戦争のカンボジア国内への空爆を正当化する必要があった。
このようにしてベトナム戦争は他国を巻き込んだ戦争へと発展。
アメリカ軍の攻撃により、数十万人のカンボジア人が犠牲となる。

シヌアークは中国やソ連の支援を受けて、共産党勢力であったポルポト軍と手を組む。

しかし、アメリカのカンボジア空爆によって反米感情が高まっていたことから、ポルポト政権への味方が増える。

アメリカはベトナム戦争末期、国内で反戦論が高まり、これ以上ベトネムで戦闘を続けることが困難になる。

シフアークはロンノル政権とアメリカを倒すためにカンボジアの共産主義勢力であるクメー・ルージュ(ポルポト派)と手を組み、
カンプチア民族統一戦線を結成
死ぬアークはカンボジアに帰国することはなく実際にカンボジア国内で活動をしていたのはクメール・ルージュのトップであるポルポト。

ポルポト率いるクメール・ルージュは勢力をまして、カンボジア内戦を激化させていく。
1975年のアメリカ軍撤退を機にロン・ノル政権は徐々に崩壊し、1975年4月にクメール・ルージュはついにしゅとプノンペンへの攻撃を開始。
アメリカの後ろ盾を失ったロンノル政権は崩壊。降伏で幕を閉じる。
内戦が終わりカンボジアに帰国したシアヌークだったが、もはや力関係ではポルポト方が上。殺されはしなかったもののプペんノンの王宮構内で軟禁される。

・ポルポト政権の誕生
「ロン・ノル政権」が崩壊の後に「ポルポト政権」
ポルポト政権が実現しようとした社会は「原始共産制」
・生産性の低い原始時代にはみんな平等な社会が存在したという考え方
「食べ物はみんなで作って、みんなで分けよう。」「階級なんて必要なく、みんな平等。」という考え方であり、この考え方を強固に浸透させるべく残虐な大量虐殺が行われてしまったと考えている。

もともとポルポト政権前が、ロンノル政権であり自由主義的政治で反共産主義であったため、ポルポト政権の共産主義とは全くの逆の政党であった。
なので、ポルポトは反共産主義であるロンノル政権につながる人は全員処刑し、原始共産制政治に基づき、首都であるプノンペン市民を都市から追い出し地方の農村へ歩きで移動させた。

・肉体労働を通して再教育 ・旧体制に通じた人間を分散させその復活を妨げる

1「ロン・ノル政権につながる人の全員処刑」
2「約300万人に及ぶプノンペン市民全員を都市から追い出し、地方の農村へとあるいで移動させ、移動できない人や反対する人は全員殺す。」
こうして、プノンペンはゴーストタウンとなる。
3「知識のあるものは自分たちだけでいいと学校の先生などの知識人を全員殺し、メガネをかけていた人も知識人と判断され殺された」
「海外留学中のカンボジア人にも嘘の理由をつけてカンボジアへと呼び戻し殺していく」

「みんなで働いてみんなで食べ物を分けるんだから、お金なんていらないと貨幣を廃止。学校や病院・宗教も廃止・禁止」
「カンボジア国民の多くは仏教徒だったが、多くのお寺を墓石お坊さんを殺す」
「5歳になると親から子供を引き離し、共産主義の思想を埋め込みポルポト政権のいうことだけをいくように育てる。洗脳した子供たちを子供兵士として様々な場所で使う」

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