『囲碁と将棋はどう違う?』(2)
(マガジン『作家・湯川博士』)
先日亡くなった西村賢太は、その生涯、藤澤清造という作家の作品を世に知らしめることに精力を注いでいた。
同じことをしている親近感がわくと同時に、西村賢太への同情心も持つ。彼の掘り起こしているのは物故作家なので、本人に聞くことができない。さまざまな場面での真意をつかみきれなくて困ったことだろう。
なぜこういう表現を使ったのか、なぜここでこういう場面設定にしたのか、この一言を挟んだ意図は、など……。
ぼくの場合は、本人に聞くことができる。これまで採りあげた『泪橋のバラード』や『将棋に憑かれた男』の細部を、語ってもらうことができた。西村賢太より有利だし、また幸せとも言える。自分の推す作品の諸々を、作者本人から聞けるのだから。
もっとも、語られすぎて困るということはある。「じっくり」聞けるのはうれしいが、それを越して「延々と」になる場合も多々あるからだ。こちらは聞いた手前、話を断ち切るわけにはいかない。西村賢太はその点、案外楽だったかもしれない。
湯川師匠の『囲碁と将棋はどこが違う』は、前置きから今度、起源を語っていく。
「囲碁の起源は算盤」
将棋はインドのチャトランガが起源で、西洋に行ってチェスとなり、東洋に来て将棋となったというのが定説になっている。囲碁はどうか。古代のこととてはっきりしていないが、囲碁評論家の安永一氏がかなり突っ込んだ研究を書いているので参考にしたい。
まず今の碁は19道だが古代中国においては、17道盤だった。そしてその名残がチベットに今でも残っている。A図がそれで、白黒互いに6つずつ置いてから開始する。
ルールは、盤面にいっぱい詰まった石は取れるのだが「打って返し」は禁手で、コウと同じにどこかで1手打ってからということになっている、それはすでに12個も石が置いてあるので、勝負がつきにくいようにしたのであろう。しかしそれなら石を初めから置かなければよい。
考えられるのは、置石は碁以前のもので、タブー的なものだったと。そして今の碁の九星を考えてみよう。別に九星など打ってなくても碁は打てる。しかし古来からあるものは意味があるのだ。
A図の石の間は3で石の数は12。九星の星間は5で星は9。ここには一定の数の法則があるようだ。すなわちA図は12進法と、九星は10進法と関わりが深い。
古代バビロニアでは1年を12ヶ月に分け、各月の星座に動物の名をつけていた。12は十二支にもなって残っているが、古代では天文暦ー占いー祭祠ー宗教ー政治などがひとつに結びついていた。
この17道盤がそういった祭祠を行うことに使われ、後の19道盤に至っては、もう少し進歩し、10進法の算木ー算盤に使われていたと推測される。その後ゲームとして発達し、今の囲碁になった。この問題にはひとつ面白いエピソードがあるので紹介したい。
碁が天文学から派生し、盤を天空に見立て、石を星と見るゲームであるなら、天元(盤中央の星)は北極星であると考え、第一着を天元に打った人がいる。寛永時代の渋川春海(二世安井算哲)で、この人は日本随一の天文学者になり、日本人最初の「真享歴」を作成している。
その後も算哲家は徳川幕府の天文方として代々続いた。
少々説明が長くなったが、囲碁と将棋の違いを探るのに、ここの部分は非常に重要なのである。
この章はまだ続く。次は将棋の起源の説明となる。以下は(3)で。
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