「僕に何ができるだろう」と思える主体性
東京サドベリースクール(TSS)では、開校以来自然と育まれてきた、
「自分のことは自分で。みんなのことはみんなで」
という一種の標語のような言葉があります。
こちらの「みんなのことはみんなで」という言葉の体現を、生徒は日々の経験から身につけていきます。
「僕に何ができるだろう」
ある日の学校経営ミーティングのことでした。
ある1人のスタッフの最近の業務量が増えていて、なかなか終わらないことについての議題の時です。
議長生徒がその議題中にあまり発言していない16歳の男子生徒に、
「何か意見ある?」
と聞いたところ、数秒ののち、
「うーん、僕に何ができるだろうと考えていた」
と発言していました。
大人の社会では個人のことのみならず、仕事でも他部署や仕自分と仕事内容が違うこととなるとともすると、
「自分に関係ない話だな」
「本人に頑張ってもらうしかない」
「なんとかするだろう」
など考えがちです。
ましてや生徒や学生が、学校の先生の仕事や学校運営について考えることはまれです。
「子どもにそんなこと考えさせるなんて」
という方もいらっしゃるでしょう。
でもそこは、何を教育とするのかの違いなのです。
自由と民主主義の学力
一般的な学校教育は『知識の学力』ですが、TSSは『自由と民主主義の学力』といえます。
学力は子どもが学校で教科書の知識を覚えることだけではありません。大人でも1つの出来事から10も100も学ぶ人がいます。道に咲く花からも真理を得る人さえいる。そう学力とは「学べる力」といえます。
私たちは生徒が、責任ある自由市民として育つことを重視しており、そのための市民教育を柱のひとつとしています。
ですから、生徒自身が自分のコミュニティーに関われることが大事なのです。
会社であれ学校であれ、人が集まれば社会となります。
自分たちのコミュニティーに関わる人、関わることに対して、自分がどんな貢献ができるのかを考えること、行動することは、1人もみんなも生きていくために必要なこと。それをよく自分に向き合った生徒は見せてくれます。
14歳の選挙活動
上記の生徒以外にも過去、当時14歳だった男子生徒が、日本の選挙の投票率を憂いて「選挙に行きましょう」というビラを駅前で配っていたことがありました。頑張ってビラをつくり(周りから見たら頑張って見えても、本気の人にとっては頑張っているのではないことはTSSでは当たり前の光景)、スクールのコピー機でたくさん印刷していました。
「自分は投票できないけれど、みんなで行ったら投票率が上がるから。自分たちの社会に、政治に関心を持ってほしい」
と当時言っており感動したことを覚えています。
こういうとき、それが法やマナーに反していない限り、スクールとして止めません。
政治に関心を持つことが良いことであると言いながら、政治活動を禁止することは言行不一致です。しかし知識の習得以外を教育目的としてないことや、政治的中立性といい、禁止している学校は多いものです。
「Ask what you can do(自分に何ができるのか問う」
このように生徒たちは、自ら考え、自分に何ができるかと問うています。
「自分に何ができるか」
と自然と考えられる思考モードと、それを行動に移せるというのは素晴らしいことです。
アメリカボストンにあるハーバード大学公共政策大学院、通称ケネディスクールでは、
「Ask what you can do(自分に何ができるのか問う」
という言葉がいたるところに掲げられています。
こちらはジョンFケネディの有名な演説である、
「Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country.」
にある言葉です。
「同じことをあるアメリカの大統領が言っていたんだよ」
とミーティング後にその16歳の生徒に伝えたところ、ケネディは知っていましたが、この言葉は知りませんでした。
もちろん彼は大学で政治哲学の単位を取っていませんし、なんなら小学校の途中からいわゆる勉強らしいことをしていません。
しかしケネディと同じことを言い、まさのその言葉を体現していたのです。それはなぜか。
彼が自ら周りのために何ができるかを考えていたからです。
ケネディの言葉を知っている子はたくさんいるでしょう。英語や社会科で習うことも多いからです。でも授業やテストで知識を得ていたとしても、それを実行しているかはまた別問題です。
大切なことは、彼がこの言葉を知っている・いないではなく、彼がこの行動ができていたということです。これはとてつもなく素晴らしいことではありませんか。
1人ひとりこそが社会
16歳や当時14歳だった彼らのように、自分たちの社会のために自分に何ができるのか問えて行動できるのか。そういう人が1人ずつでも増えていけば、形だけの民主主義ではなく、まさに魂のこもった自分たちの社会、民主主義社会ができていきます。
そのためにまずは、子どもや他人が行動してくれることを期待するのではなく(子どもに夢は何か聞いて満足している場合ではありません、自分の夢を語りたいものです)、自分自身から始めることが大切であると私たちは考えています。
私自身も夢であったサドベリースクールをつくり、法律をつくる活動を行ってきましたし、今も色々な教育があることを広め続けています。
こうして大人・子ども関係なく、少しずつでも、1人ずつでも動いていけば、きっとその分だけより良い社会になっていくと信じています。
そういう社会を子どもたち自身が今後作っていけるようになれるよう、子どもが自由に権利も責任も経験できる学校をつくりました。
一緒に子どもたちを支えて、子どもたちと共により良い社会をつくってまいりましょう。
(スタッフ 杉山)