【何も学んでいないわけじゃない】
ある日の10代後半の生徒たち。
17歳の男子生徒の上に、16歳と17歳の女子生徒が乗っかり遊んでいるところです。
10代後半であっても、このようにじゃれて遊んでいます。
とっても楽しそう!
しかし、真剣な話し合いが始まると、皆一転して真剣な表情。この日は「ルール違反について解決するルールミーティングのルールを改定する必要があるか」という議題。
「ルールはさ、そもそも少なければ少ない方が、みんながお互いを思いあって過ごしているわけだから、少ない方がいいと思うんだよ。だからルールをつくることよりも、その文化をどうすればつくれるのか考えられたらいいよね」
「そうだよね。そういう文化はルールよりもマナーとしてコミュニティーに存在している方がいいよね」
「そのためにはルールを違反した人がいたときに、その人だけ罰するんじゃなく、その人が違反した背景にはそういう場をつくっているコミュニティー全員、つまり私たち1人ひとりにも何か気づくことが必要なんだと思う。もしその違反した1人を罰するだけであれば、そういう人が出るという環境ということは変わらないのだから、その人以外にも同じように違反をする人が出てくると思う」
「つまり、そのやってしまった人も振り返る必要があるけど、自分も含めまわりの人も自自身を振り返る必要があるってことかな」
「アインシュタインは「問題は同じ次元では解決しない」と言っている。もしルールを守っていない人を罰するだけならそれは同じ次元。であれば焦点はそこじゃない。もっと根本的なことを話さないといけない」
「結局、自分たちがこの場をどうしたいのかだと思うんだよね」
「私はあと1年半で卒業だけど、卒業生として誇れる場所にしたい」
「つまるところ、TSSという場をどうしたいのかは、自分がいる家族から世界までどういう場にしたいのかとつながっていると思う。自由があって民主的で、TSSは小さな国のようなもの。私は私の属しているこのコミュニティーを素敵な場所にしたい。もちろんみんなにとっても」
「そうしたら、次のルールに関するミーティングは議長と書記がどういう流れで進めていったらいいかな。。」
と、このような感じで、話しているレベルが高いのです。
サドベリーでは勉強をしていなから何も学んでいないというのは大きな間違いで、このように現実的で自分たちの生活に直結していることを、真剣に話し合うことによって、自分の在り方、コミュニティー意識、答えのないことに答えを出す粘り強さなど、たくさんのことを学んでいるのです。それは18歳以降の大学や会社、社会で根本的に必要とされる「非認知能力」や「在り方」と呼ばれるものです。
それらを議決権から結果に責任まで負うというところまで、トコトン実践形式で経験していきます。
この日はトータル2時間話し合いましたが終わらず、さらに話しを進めようと次回の日時を決めて解散しました。
(スタッフ杉山)
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