【学ぼう‼刑法】入門編/総論19/故意と過失/故意の犯罪論体系上の地位
第1 はじめに
責任能力と故意・過失が、基本的な責任要素であることは、前回までに学びました。
その一方で、現在では「構成要件的故意」や「構成要件的過失」というものが当然のように存在するものとされていて、これらは構成要件要素とされ、構成要件該当性判断の段階で検討されています。
では、これらの「構成要件的故意」「構成要件的過失」と責任要素としての「故意」や「過失」とはどのような関係に立つのでしょうか?
また、そもそも「故意」や「過失」とは、どのようなものなのでしょうか?
今回は、そんなお話です。
第2 故意とは?
1 犯罪を実現する意思
では、さっそくですが、「故意」とは何でしょうか?
「故意」については、条文があります。刑法38条は「故意」という見出しの下、その1項で「罪を犯す意思がない行為は罰しない。ただし、法律に特別の規定がアル場合は、この限りでない」と規定しています。
ここにいう「罪を犯す意思」が、すなわち「故意」です。
ちなみに、ただし書きにある例外の「法律に特別の規定がある場合」というのは、過失犯などの場合です。
そこで、この38条1項本文では、
故意というのは「罪を犯す意思」であるということ
故意がない行為は原則として処罰の対象とはならないこと
が規定されているということになります。
では、「罪を犯す意思」とは何でしょうか?
この言葉は「罪」と「犯す意思」とから出来ています。
そして
「罪」は「犯罪」
「犯す意思」は「実現する意思」
と言い換えることができます。
そうすると「罪を犯す意思」は「犯罪を実現する意思」と言い換えることができそうです。
では「犯罪を実現する意思」とは何でしょうか?
これは、このそれぞれ、つまり
「犯罪」とは何か?
「実現する意思」とはどういうことか?
という2つのことが明らかになれば、自ずと明らかになるでしょう。
そこで、以下では、この2つについて考えてみることにしましょう。
便宜上「実現する意思」のほうから先に考えてみることにします。
2 実現する意思とは?
「意思」の内容をめぐっては、認識説、認容説、意欲説の3つの説がありますが、このうち意欲説は現在では採られておらず、認識説と認容説が主張されています。つまり、ここにいう「意思」については「認識」と考える説と「認識および認容」と考える説とがある、ということです。
以下では、双方の立場を示す意味で「認識(認容)」と表現することにします。
3 犯罪とは何か?
犯罪とは何かと、犯罪の定義を問われたら、それは「構成要件に該当する違法かつ有責な行為」というのが、現在の一般的な正しい答えです。
しかし、問題は、ここにいう「犯罪」が、このような犯罪の一般的な定義と同じなのか、違うのか、という点です。
というのも、ここでは、認識の対象としての「犯罪」が問われています。
そして「認識」の対象は、客観的な事実に限定されます。主観的事実(主体に関する事実)は、認識の対象にはなりません。
ところが、犯罪という概念を形成している要素には「客観的な事実」だけでなく「主観的な事実」も含まれています。
しかし、主観的事実は「認識」の対象にはならないのですから、ここにいう「犯罪」の概念の中からは、これを取り除き、犯罪の客観的要素によってのみよってこれを構成することが必要となります。
上の図にあるとおり、犯罪を構成する事実は、構成要件要素、違法要素、責任要素の3つに分類できます。
そして、それぞれの要素は「客観的要素」と「主観的要素」とに分類することができます。
もっとも、結果反価値論によれば「防衛の意思」や「避難の意思」と言った主観的違法要素は認めませんので、違法要素については、主観的な要素は存在しないということになります。
これが、右の2段目の黄色の部分です。
なお、これは結果反価値論に立つと「主観的」な「違法要素」というものが存在しないという意味ではありません。結果反価値論の立場でも、構成要件要素の中に「目的」など、違法要素を類型化した主観的な要素(主観的違法要素)があることは認める見解が多数だと思います。その意味で、違法性判断の段階の主観的要素、つまり、違法性阻却事由の要素として主観的な要素(=主観的正当化要素)というものが存在しないという意味です。
また、責任要素は、すべて主観的要素(主体に関わる要素)であり、そこには客観的責任要素というものは存在しない、と一応言うことができます。これが上の表の左の一番下「×」が書かれている部分です。
そこで、このような犯罪を構成する要素の中から「客観的要素」だけを取り出してみると、次のとおりとなります。
これが「故意」の認識対象としての「犯罪」の実体です。
それは「構成要件に該当する違法な事実」ということになります。
4 故意とは何か?
そこで「実現する意思」と「犯罪」についてのこのような理解を合体させれば「犯罪を実現する意思」とは何か、が見えてきます。
それは「構成要件に該当する違法な事実を実現することの認識(認容)」ということになります。
そこで、最初の問いに戻って「故意」とは何かという問いに答えれば、
「故意」とは「罪を犯す意思」(刑法38条1項本文)であり、
それは「犯罪を実現する意思」であり、
「構成要件に該当する違法な事実を実現することの認識(および認容)」
である、ということになります。
5 過失とは何か?
では「故意」が、構成要件に該当する違法な事実を実現することの認識(認容)だとした場合、これとの対比で考えるならば「過失」とは、どのような概念になるでしょうか?
まず、過失は、故意ではないもの(非故意)なので、故意を否定した内容であることから、それは始まります。
ですから、故意を「認識」と考えるのであれば、過失は、まずもって「認識がない」というものとなります。
また、認容説に立って「認識があっても、認容がない」というのは故意ではない、と考えるのであれば、これもまた「過失」の領域に含まれてくるでしょう。
いずれにせよ、このように「故意」のないことは、「過失」を構成する第1の要素となります。
しかし、これだけでは、過失のある場合に(故意ほどではないにせよ)行為者がなぜ法的に非難されるのかというその理由が見えてきません。
故意の場合であれば、行為者に故意があり、これから自分が行おうとしている行為が、構成要件に該当する違法な事実であると認識(し認容)していたのであれば、そこには「違法行為に出ずに、適法行為をせよ」という命令規範が発動されます。それにもかかわらず、そのような規範を乗り越えて行為に及んだということで、法的な非難がされるというのは、解りやすい道理です。
これに対して、過失の場合は、そもそもそのような「認識」や「認識・認容」がありません。しかし、その場合でも、行為者には(故意犯ほどではないにせよ)法的な非難がなされます。問題は、それはなぜか? です。
この場合、行為者には「注意義務」が課され、行為者がこれに違反したからであると考えられています。
では、この「注意義務」とはどのような内容の義務なのでしょうか?
ここに「過失犯」をめぐる最も基本的な争いがあります。
この点については、結果予見義務とする見解(旧過失論)、動機づけ義務とする見解(大塚)、結果回避義務とする見解(新過失論)が主張されています。
また、これら結果予見義務や結果回避義務の前提として「結果の予見可能性」が必要かということをめぐり、これを必要とする説と不要とする説が対立しています。ここでは必要説のほうが有力です。
さらに「結果予見可能性」を必要とした場合、この可能・不可能はだれの能力を基準として判断すべきなのかをめぐり、本人基準説、一般人基準説、折衷説が対立しています。
ただ、故意についてまだよく解っていないうちに過失について学んでもチンプンカンプンだと思いますので、過失についての概観はこの程度にして、まずは故意について、さらに学ぶことにしましょう。
第3 故意の犯罪論体系上の地位
1 責任故意と構成要件的故意
さて、ここまでで「故意」とは「構成要件に該当する違法な事実を実現することの認識(認容)」であるということを確認しました。
そして、この意味での「故意」は、責任要素です。
ところが、現在では、多くの説が構成要件段階にも故意があることを認めています。これが「構成要件的故意」です。
そして、構成要件的故意とは何かと言えば、よく勉強している人であれば、
とスラスラと答えることができるハズです。
では、今回、ここまでで見てきた、刑法38条1項本文に根拠をもつ「故意」と、これまでこの講座の中でも何度も当然の存在として登場してきた「構成要件的故意」とはどういう関係にあるのでしょうか?
それを、これからお話することにしましょう。
2 構成要件的故意の生成
それを知るには、
ということについて、その過程を追ってみるのが解りやすいでしょう。
「故意」は、犯罪を実現する意思であり、構成要件に該当する違法な事実を実現することを認識(し認容)することですが、この場合の認識対象の部分、つまり「構成要件に該当する違法な事実」という部分は、2つに分けることが可能です。つぎの2つです。
そこで、これをすでに示した図の中に反映させたのが、次の図です。
次に、この前半部分の分割に加えて、故意の概念の後半部分、つまり「実現することの認識(認容)」の部分も、さらに2つに分けてみることにします。
そうすると次のような感じになります。なお、ここからは後半の「実現することの」という部分は、面倒なので省略することにします。
さて、そうすると、もともとの「故意」の概念が、ここにおいて
という2つに分けられました。
そこで、このうちの(1)の部分を、責任段階から構成要件段階に移行させることにします。
なぜ、このようなことが可能かと言えば、この(1)の部分は、その認識対象を「構成要件に該当する(客観的)事実」に限定しているからです。
その認識対象に、構成要件事実以外の違法性に関する事実(例えば、急迫不正の侵害など)が含まれてくるとすれば、その存否が認定される違法段階より前には、それに対する認識を語ることができません。そうすると、故意の判断は、必ずそれ以後(つまり、違法段階または責任段階)でなければできない、ということになります。
しかし「構成要件に該当する事実」のみを認識対象とする故意(つまり構成要件的故意)というものを考案するのであれば、それは、客観的構成要件要素以外の認識対象をもたないため、その存否が確定されたら、その直後に、構成要件段階で、その存否を判断することが可能です。
そこで、構成要件的故意については、有責性判断の段階から、構成要件該当性判断の段階へと「上京」させることができることになるワケです。
3 違法・有責類型としての構成要件
ところで、構成要件的故意というものが考案されるまでは、構成要件は「違法類型」であると考えられていました。つまり、構成要件は、違法な行為が類型化されて作られたものと考えられていました。そのため、必然の結果として、構成要件要素は、すべて類型化された違法要素でした。
ところが、構成要件段階に、責任に「本籍」をもつ構成要件的故意が「上京」してきて住み着いたことで、構成要件の性質は変わりました。
端的に言えば、それまで違法類型であったものが、違法・有責類型になったということです。
つまり、構成要件要素の中には、違法に「本籍」をもつ、いわば違法的構成要件要素と、責任に「本籍」をもつ、有責的構成要件要素とが混在する、ということを認めざるを得なくなった、とういワケです。
こうして、現在では、構成要件は違法・有責類型であるという考え方が一般的なものとなっています。
4 構成要件的故意の機能
以上のようにして、故意の中から構成要件的故意というものが生成されましたが、その特徴は2つあります。
構成要件に該当する客観的事実のみを認識の対象とすること
構成要件段階で判断されること
この2つです。そして、先ほどから説明してきたとおり「1」の特徴は「2」を実現するための前提です。つまり、真に重要な特徴は「2」だと言えます。
それは、構成要件の類別機能と言われます。
例えば、殺人罪と過失致死罪とは、いずれも実行行為から人の死亡という結果を発生させるという犯罪であり、犯罪の客観的側面(つまり、客観的構成要件要素)は、まったく同一です。両者の違いは、故意犯か過失犯かという違いにすぎません。
しかしそうだとすると、構成要件的故意というものを構成要件段階で考えない場合、殺人罪と過失致死罪とは構成要件該当性の段階では区別することはできない(それは、有責性判断の段階になって始めて区別される)ということになってしまいます。
言い換えれば、構成要件的故意というものを考えないならば、殺人罪と過失致死罪とは、まったく同じ構成要件をもつ犯罪ということになります。
しかし、これはとても面倒なことだし、検討がしにくいでしょう。
構成要件該当性の判断を開始するにあたり、まずは、刑法何条の犯罪の成否を検討するという形で、個別の犯罪を特定することができたほうがはるかに便利です。
そして、それは、構成要件の要素として「構成要件的故意」や「構成要件的過失」を考えることによって可能となります。
こうした理由により、現在では、このような有責的構成要件要素とでもいうべき「構成要件的故意」や「構成要件的過失」というものの存在が、広く支持されるに至っている、というワケです。
5 故意の二重的機能
こうして、構成要件該当事実を認識の対象とする構成要件的故意というものができたことで、故意は、犯罪論体系上、構成要件段階と責任段階との2箇所に分かれて機能する、ということになりました。
これを故意の二重的機能と言います。
つまり、構成要件的故意という概念が生まれ、認知されたことで、故意という概念は、犯罪論体系上、構成要件該当性と有責性という2つの場所に位置づけられるようになった、ということです。
第4 おわりに
このように、現在では、故意は、構成要件段階と責任段階の2箇所で機能するという考え方が一般的になっています。
ところで、故意は「認識」を内容とするものですが、行為者は時として「認識を誤る」ということがあります。つまり「誤認」です。
これは、故意の一種の「病理現象」と言ってもよいでしょう。
そこで、故意をめぐってはその「病理現象」としての意図と現実とのズレということが、しばしば問題となります。これが「錯誤」という問題です。
「錯誤」という概念自体は、刑法だけでなく、民法の領域でも登場するものですが、刑法の場合には、特に故意との関係で問題となります。
つまり、刑法上の「錯誤」という現象は、場合によっては、故意を阻却し、故意犯の成立を否定します。そして、故意責任を原則とし、過失犯を例外的にしか処罰しない刑法の領域においては、それはとても重大な問題となります(民法の不法行為においては、故意と過失とはどちらも不法行為を基礎づけますので、故意が否定されること自体は大きな問題ではなく、むしろ過失があるか否かのほうが深刻な問題となります)。
ただ「錯誤」があったからと言って、必ずしもそのすべての場合に故意が阻却されるワケではありません。
このように「錯誤」をどう処理するかは、刑法学における大きな課題の1つです。
そして、この錯誤は、故意が「構成要件段階」と「責任段階」の2段階で機能するようになると、どちらの故意に対して影響するものなのかによって、2つに分類されるようになります。これが
という分類です。
そして「違法性に関する錯誤」は、さらに
の2つに分類されます。これを図示すると次のとおりです。
そこで、次回は、これらの「錯誤」が犯罪の成否についてどのように影響するか、ということについて検討したいと思います。
なお、私が大学で授業を担当していたときは、あらかじめ考えておくとよい内容を「課題」として事前に出題し、次回までに考えておくようにと伝えていました。別に、事前に考えてきたかどうかよって成績を左右したりすることはないのですが、まったく問題意識がないよりは、少しでも自分で調べるなどして問題意識を持っていたほうが理解が進むので、そうしていました。
そこで、みなさんも、次回までに、次の3つの点に意識しておくと、次回の理解が進むかもしれません。
次回は、こうした「錯誤の分類」についてお話したいと思います。
お楽しみに。