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#8 自分を主体にする怖さ ~客観視という名の主観~

こんにちは、ゆきなです。
今回はこちらの動画を拝見して、改めて考えた「若者の声」は本当に存在しているのかについてシェアさせていただきます。

さいごには、生きづらさを和らげるための秘訣もシェアしていますので、ぜひ最後まで読んでみてください!

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YouTubeにあがっているアベマプライムで出会った違和感のある意見。

制作代表として出演しているプロデューサーの末松さんの意見。
さまざまな角度から深掘りをしてみましたが、どこまでいっても主観的で、共感することができず、違和感ばかりの発言でした。

とくに、ネットの声 = 若者の声、とまではいっていませんが、ネットの中に若者の声が含まれていることを前提にした考えは、どれだけ考えても同意できませんでした。




前提条件

今回の内容をシェアするにあたって、わたしがどの位置にいるかがわからないと理解しづらいと思うので、まずは前提条件として私個人の情報を少し書きます。

私は、平成6年生まれの30歳。幼稚園児のときには携帯電話が発売されていましたが、主流はまだポケベルでした。小学校に上がって世の中の主流は携帯電話になり、パソコン・インターネットにはじめて触ったのは、小学2年生の時、学校の授業を通してでした。

小学2~5年生まで、パソコンの授業が定期的にあり、パソコンで調べ物をしたり、カレンダーを作ったり、Word・Excelをさわったりしていました。もちろんタイピングゲームなどもさわっていました。

私が小学生の頃には、ニコニコ動画やYouTubeがあったので、動画を調べたり音楽を調べたりも日常の一コマに組み込まれていました。

ここからは少し省くのですが、小4のときに塾の都合で自分の携帯をもつようになり、スマートフォンをはじめて買ったのは、高校2年生の冬でした。


ネット = インターネット黎明期の感覚を持った大人

以上の前提条件をもった上で改めて末松さんの意見をみてみると、末松さんがもつ〝ネット〟のイメージは、インターネット黎明期、私が小学生・中学生のころのネットだと感じます。

たしかにあの頃は、大人たちがネットの世界にいることは少なく、同世代(中高生)が中心となってコミュニティを作ったり、ブログを書いて交流したりしていました。

あの当時は、ネットの書き込みに対して今のような茶々を入れる人はごくごく少数で、考慮しなくていい存在だったし、あの頃はインターネットでマネタイズすることがはじまったばかりの時期で、儲け重視の発信などはありませんでした。


大人になってからネットにふれたコトの弊害

やはり人の脳は、最初の印象が強く残るようです。
ここからはあくまで私の仮説・考察ですが、大人になってからネットに触れた人たちのネットのイメージは、黎明期のまま止まっている気がしてならないのです。

もちろん、WEBデザイナーやプログラマーなど、ITを仕事にしているプロたちは違いますが、そうでない人はいまだに初期状態のままのイメージをもっていると確信しています。

県立高校でGIGAスクールサポーターとして働いている時、「〝一太郎〟の導入の仕方を教えてくれ」といわれることは日常茶飯事でした(笑)

一太郎を持ち出す年配先生は、ネットの話をするときいつも、栄光の若かりし時代の自慢とそれに比べてあんたは…の説教をしてきました(笑)


なぜ、変化しないのか

それは「変化のない世界で生きているから」だと私は思っています。

先ほどの高校教師を例に挙げると、その先生がはじめてパソコンを使ったのは30半ば。はじめてのことばかりで、困惑しながらもなんとか業務をこなしたという記憶がある。

この先生の脳みそは例に漏れず、黎明期のまま止まっていました。

これこそが変化のない世界で生きる弊害だと私は思います。22才で大学を卒業し、教師になる。そこから時代も社会の当たり前もどんどん変化していくけれど、先生は先生のまま。

忙殺されていたとはいえ、長期休みもある中、時代の変化を考えることも追うこともせず、何気なく過ごしきた結果、ネット・パソコンのイメージは黎明期で止まったまま。もちろん、その先生の知識もスキルも黎明期で止まったまま。

本人の奥深くでは〝自分のヤバさ〟をちょっぴり感じてはいるものの、抑圧したり気づききれなかったりして、ふと湧いてくるモヤモヤを自分の記憶を望むままに美化させることで乗り切る。

そんな日々を送っていれば、今の悲惨な状況にも深いレベルで納得がいきます。


積極的に変化を生む

今回みた動画から学んだことは、「積極的に変化を生む」ことでした。変化のない生活を続けることで、客観性はゼロに等しくなり、世の中からおいていかれていることにすら気がつけなくなります。

そんな虚しい状況が続くことで、記憶は大きく改ざんし、美化しなければやっていられなくなり、そうすることで多くの人を傷つけることにもなりかねない。

私はそんな人間になりたくありません。

だから、仕事や環境をコロコロ変えることがよしとされなくても、変化を大切にして生きていこうと思います。変化こそが自由だと私は考えているからこそ、周りからの評価よりも自分の考えを大切にし、行動に落としこんでいこうと決めています。


こうしてモットーや自分が大切にしている価値観が見えると、目指すところが明確になり、逆算して今の行動の正解が見えてきます。この今の行動の正解がみえると、夢や目標がハッキリ決まっていなくても、なりたい自分がわからなくても、日々小さな成果を積み上げることができ、夢は叶います

じゃあ、どうすれば「今の行動の正解」を見つけることができるのか。


他人の言動から〝大切なモノ〟は見えてくる

一番の近道は、他人の言動を観察することだと私は強く思います。

今回のように他者の意見や発言に違和感を感じたら、人生の道標を見つけるチャンスです!面倒くさいと感じても、ちょっと深掘りをするだけで生きづらさがちょっぴり和らぐこともあるので、ぜひ試してみてください。


深掘りのポイント

深掘りをするときに考えるポイントはこの5つ。

  1. 違和感を感じた意見は、その人のどんなところから生まれているのかを考える。

  2. 違和感を感じた意見をもっていることで、その人が得ることになった結果を観察する。

  3. 以上の2つに対して自分はどう感じるかを観察する。快か不快か、を自分に問いかけ、言葉にしてみる。

  4. 快の場合:その人がその意見をもつことができた秘訣(考え方・行動・モノの捉え方、など)を自分の中に落とし込む。
    不快の場合:その人が得た結果を自分も手にしてしまわないよう、必要な要素(対策・モノの見方・環境・習慣、など)を考える。

  5. ④を確実に自分のモノにするために、具体的な行動案を書き出す。


まとめ

今日はアベマプライムで出会った違和感から、自分の人生をより良くするための具体的な方法についてシェアさせていただきました。

私は、これまで30年間生きてきて、人生を変えるための近道は日々ちょっぴり挑戦することだと確信しています。

面倒くさいけど、少しだけやってみる。
「今日はまぁいっか」と思いたいけど、少しだけやってみる。

今の自分をちょっぴり乗り越えることで、人は少しずつ成長し、結果として夢を叶えられる自分になっているんだと思うのです。もちろん、全部が全部、今の自分の上をいこうとするとそれは〝無理〟になってしまうので、自分が決めた1つか2つのトピックで、今の自分を超えるクセをつけるのがおすすめです。


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さいごに

実はわたし、虐待・いじめ・毒親育ち・発達障害のためのライフコーチとして活動しています。〝普通〟がわからなくて、できなくて毎日が苦しい… けど、どうしていいかわからない。いろいろ試してもうまくいかず悩んでいる…。そんなあなたは私の同志です!

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ゆきな | 本音・本質を語るnote
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