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落ちない花火【♯2】

2年前、楽団にゲストとしてプロのサックス奏者が呼ばれた。私が落ちた楽団に所属していて、そこの中では若手の男性だ。今までよりも大きな会場で演奏会を開くために、私を楽団に誘ってくれた先輩が連れてきた。初めて練習会場に現れたとき、ドアの向こうから大量のフラッシュがたかれたようで目が眩んだ。「光」が入ってきたと思った。

彼は私の1歳下だったが、幼さの残る顔立ちで愛嬌がある上に自信に満ちた態度と実力であっという間に人気者になった。いわゆる人たらしだ。ふとした瞬間に見せる冷めたような目も魅力的で、自分と似た雰囲気を感じた。誰とでも気さくに話しながらも決して心の奥は見せないような空気があり、この人に惚れた女は苦労すると直感で悟った。自分でも女好きを自称していた。うっかり惚れてしまわないよう、なるべく関わらないようにしようと誓った。

それからたびたび呼ばれて来るようになったが、私は頑なに勝手に彼を避け続けていた。ところがある演奏会の打ち上げの帰りの道中、ひとり減り、ふたり減りしていく中で最終的に彼とふたりきりになった。家が同じ方向だったのだ。仕方なく当たり障りのない会話をしていたつもりが、お互い酒が入っていたのもあり他の団員とはできなかった音楽のコアな話でつい盛り上がってしまった。会話の温度が似ていると感じた。居心地が良く、殆ど初めて話すのにまるで古くからの友人と話してるようだった。

きっと彼もそう感じている。
人たらしの人たらしたる所以は、相手にそう勘違いさせる事が出来るということだ。彼がプロの演奏家ということを忘れてそんな風に自惚れていた。私のレベルまで落として話してくれてる事になんて気付かずに。


その日から一気に距離が縮まり練習終わりによく一緒に帰るようになった。彼も持ち前の気さくさで何でも話してくれた。数いる女の話も、一緒に住んでいる本命の彼女とのことも。驚くことじゃない。思った通りの男だ。

それでも私の音楽に対するもやもやを話せる相手は彼だけで、臨時講師の話をもらって悩んでいることをつい洩らしてしまった。励ましてもらいたい、という下心もあった。


「で、結局どうしたいの?不満と言い訳ばっかで何もしてないじゃん。そうやってやれない理由を探してるだけでしょ。何もしてないくせに可哀想な自分に酔ってるだけだろ。」


辛辣。優しい言葉を期待した自分が猛烈に恥ずかしくなった。プロと素人の溝を感じて寂しくもなる。ちょっと聞いてみただけじゃないか。どうしたいかがわかってたら相談なんかしてない。

涙が出てくる。悔しい。同じ土俵に立てていない自分が。いつもどこかで自分を諦めてることが。

「木谷さんて…むかつく」


頭を巡る思いを上手く言語化できず、しばらく黙った後に出てきた言葉がこれだった。我ながら子供ぽさに呆れる。共感してくれるかもなんて甘かったのだ。気を許し過ぎてしまった自分を恨んだ。


すると彼は「ごめんごめん」と言って笑い出した。

「今のままが嫌なら動いてみるしかないんじゃないの。ユウさん、上手いんだし。」


その言葉で一気に気持ちが浮き上がる。彼が上手いと言ってくれるなら誰に貶されても良い。

涙がぴたりと止まった様子を見て「子供かよ」と自分こそ子供のような顔でまた笑った。子供なのだ。歳だけ取ってしまったけれど。

彼の言う通り音大に落ちてから何者にもなれていない自分を甘やかして許し続けてきてしまった。どこかでまだ誰かが見付けてくれるんじゃないかと夢物語を描きながら
。この井戸から出て自分の力を試してみよう。正しい道かは分からないが、思い切って楽団を辞めて非常勤講師を受けることにした。

今まで私の周りの人達はぬるま湯しか掛けてくれなかった。優しさだと分かっているが私は甘え続けて来てしまった。彼から浴びせられた熱湯は私の目を覚まさせた。彼は私の中でどんどん大きくなった。単純だ。こうなることを恐れて近づかないようにしていたのに、まんまと沼にはまっている。しかし恋人になりたいとは思わなかった。女好きの彼と付き合えたとしても自分が壊れていく未来しか見えない。こんな感じでお互いの事を話してたまにけなして笑い合っていけたら、良い友人にはなれる気がしていた。そうなりたかった。


楽団を辞めた後も時々連絡を取って近況を話したり相談のようなものをしていた。1度彼の演奏会に行ったが、格差を感じて落ち込んでしまい顔を出さずに帰った。だから退団以来会っていないが、その会えない時間に恋心は確信に変わっていた。私の駄々漏れの好意に気付いていたと思う。そして彼の調子の良さは、私達は通じ合えているのだなどと勘違いをさせた。



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別の事を考えながらでも素早く酒を作れるくらいには今日の仕事に慣れて来た。だいたいこいつらはビールかハイボールかジントニックしか頼まない。1時間も経つとそこはただのクラブとなっていた。DJブースに群がり体を揺らしている。仕事の話はどうした。


相変わらずあおむし以外はこちらを見もせずにドリンクを奪っていくが、無関心でいてくれるのは都合が良かった。薄暗い店内は私の表情も隠してくれているはずだ。エネルギーをもて余した男達はドリンクを待ちながら次に声をかける相手を探している。


あおむしのせいであの日の事を思い出して気が緩むと泣いてしまいそうになる。それなのにあおむしを目で追ってしまう。いや、私が追っているのはあの日の記憶かも知れなかった。


奥から殆んど裸のような水着を着たテキーラガールが出てくると会場から大きな歓声が上がった。男達は一万円札をテキーラガールの水着の隙間に差し込むと乾杯して一気に喉に流し込んだ。



下品だ。

本当にこれがビジネスの場なのだろうか。こんな奴らが日本の経済を回してるのかと思うと吐き気がした。今の私は虫の居所が悪い。しかしそのテキーラの輪の中にあおむしがいないことを確認すると少し心の波が鎮まるようだった。目だけであおむしを探すと部屋の端で誰かに連れてこられただろう女とキスをしていた。テキーラに火をつけてやろうかと思った。


            【♯3】へ続く

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