2023ファジアーノ岡山にフォーカス5「選手名鑑23~Next challenge~(MF編-前編)」
22~23シーズンにファジに関わった選手(監督)に贈るエール(期待したいこと)を言葉に籠めて文章としたい。23シーズンに向けて、サッカーの魅力をファジの魅力を全てのファジアーノ岡山ファミリー、サッカーファミリーに届けたい。サッカーで、ファジで、喜怒哀楽を共有したい。サッカーは、最高だ。ファジアーノ岡山は最高だ。感謝の気持ちから皆さんに捧げる「選手名鑑23」。今回は、MF編ー前編です。よろしくお願いいたします。
①『 サポーターとトモニ~6+6~ 』
古参の岡山サポーターであるほど、喜山 康平という選手への思い入れが強く、特別な選手という方が多いのではないだろうか?
岡山で喜山 康平は、本当に選手として色々な顔を見せてくれた。
ストライカーの喜山 康平。スピードこそなかったが、足下の技術と得点感覚、創造力があった。ファンタジスタのようなストライカーで、背中を向けてのループパスなど観ていて驚かされるようなプレーも多く、奇麗な形での得点が多かった。
ボランチでの喜山 康平。得点の嗅覚を守備にも活かした危機察知能力が特徴。JFLやJ2昇格してしばらくは、ストライカーへの強い拘りこそあったが、任されたポジションで存在感を示し続けた。未然にピンチを防ぐプレーは、ここ数年の喜山 康平に近い。当時もまだ不安定な部分を補って余るぐらい、攻守に効果的に顔を出すことができていた。
CBの喜山 康平。足下の技術をロングバスやビルドアップに活かす。危機察知能力で、守備の穴を塞ぐ。ファンタジスタのようなストライカーであった喜山 康平が体を張って守備をする。スピードをカバーする予測と対応で、守備を安定させて、組み立てゲームを落ち着かせることもできていた。
どのポジションでも高いレベルのパフォーマンスを発揮できたことで、歴代の監督の信頼を掴んできたのが、喜山 康平という選手である。
語り草となっていたJ2昇格に向けて大事なJFLでの試合でのPK失敗。あの場面で、真ん中にテクニカルなシュートを蹴れる度胸や技術は、驚きでしかない。失敗を恐れない心の強さを感じた。
J2初勝利した試合で決めた地を這うミドルシュート。多くの伝説を残して来た喜山 康平。
岡山でのプレーした期間はなんと12年間にも及ぶ。喜山 康平の背番号は、6番。竹田 忠嗣が、岡山を退団する際に、特別な番号であるという理由で、竹田 忠嗣のの6番を継承したいとチームに申し入れて、6番に決まった。
奇しくも岡山への在籍期間は、第1期が6年間、そして、第2期も6年間。6+6は、12年間。「12」は、サポーター番号であり、偶然にしてはでき過ぎている。これはある意味、運命なのかもしれない。
多くの選手が、岡山に在籍したきたが、喜山 康平は、ファジアーノ岡山が存続する限り、語り継がれる選手の1人となったことは間違いない。
もちろん、まだ選手として戻って来る可能性やスタッフや指導者として戻って来る可能性もあるが、J1を目指すのであれば、より高いレベルの選手の獲得や育成を目指していく必要があることを考えると、選手としては最後の可能性が非常に高い。
選手のレベルが、年々上がる中で、1つのチームに12年間で、多くのシーズンに主軸としてプレーし続けた。彼の良さをスタジアムで観てきた、多くのJリーガーを目指す子供達に影響や刺激をもたらした選手であることは間違いない。
チームを去る際に残した名言がある。選手や監督は、チームをいつか去らなければならないが、サポーターは、意志があれば、ずっと岡山サポーターであり続けることができる。
この言葉は、実は喜山 康平が選手でありながらサポーターであることも関係しているのかもしれない。シーズンオフに海外に行き、サッカー観戦して日本に帰って来る。
サッカー選手でありながら、これだけ長くサポーターであり続けることができる。プロサッカークラブがなかった岡山サポーターにとっては、特別なことであったかもしれない。
しかし、幼いころに岡山のスタジアムに足を運んだ佐野 航大や山田 恭也が、岡山のピッチでプレーする。そういった選手が、今後増えてくるかもしれない。選手であり、サポーターでもある。とても素敵な関係性である。
この夢の日常を、サポーターとしてスタジアムに足を運んで、次世代へとバトンを渡す事ができたらと私も強く想う。
これからもファジアーノ岡山のサポーターでいたい。そう想わせてくれた選手の1人であり、彼の退団はやはり寂しい。
しかし、彼の残してくれたものは大きく、きっと忘れる事はないだろう。
②『 衝撃の色を力への転換~紅白の戦士~ 』
初出場の試合での退場。ステファン・ムークという選手を語る時には、まずこの印象が浮かぶ事は間違いない。過去に岡山に所属したウルトラマンと言われた仲間 隼斗と思い出したサポーターの方も多い。
そして、2年目にブレークした仲間 隼斗のようにステファン・ムークもブレークするのではないかと期待しているサポーターの方も多いだろう。私もその1人だ。
サッカー文化の違いからなのか、日本で育った選手の多くは、あそこまで露骨に体を当てる選手は、少ない。同じオーストラリア国籍のミッチェル・デュークも落下点で競り合う前に当てに行くプレーを選択することがあったものの、それを見た私達もレッドを出された彼自身も驚いたことであるだろう。「えぇ?」と声が出ていても不思議ではない。
その後も探り探りの中で、どこまで持ち味の接触プレーができるのか、探りながらにしては大胆に、そして、カードも恐れず審判への不満を露にするシーンもあった。慣れてはいけないかもしれないが、「あぁ、またか・・・」という目で、そういったシーンを見てしまう。
ここまでだと、ラフプレーが酷い選手に映ってしまうが、そういったプレーの中で明らかに危険なラフプレーというのはなかったように感じる。Jリーグに見慣れている私達からすると、過剰で激しいプレーに映るが、足の裏をみせてのスライディングタックルや顔への肘内といった怪我のリスクの高いプレーは、ほとんどなかった。
どちらかと言えば、そこでは負けてはいけないという場面で、強く当たるという場面が多い。退場になったシーンもレッドカードは厳しい判定であったという話もあったぐらいだ。ラグビー文化のあるオーストラリアでプレーしてきたからこそ、そういったプレーの選択をしている印象が強く、発信されているインタビューやプレーなどを観ていると、根はとても紳士的な選手に感じる。
ただ、やはり日本は、こういった部分に厳しいので、Jリーグでやる以上、日本のスタンダードでのフェアプレーをやりつつ、持ち味の体の強さや足下の技術、運動量といった攻守の武器をどこまで巧くプレーとして表現できるか。2年目の今季は、そこがより問われて行くこととなる。
今季からは、外国籍選手が4人体制となり、実力でスタメンを掴みとることが可能となった。22シーズンまで在籍したミッチェル・デュークに刺激を受けたであろうステファン・ムークが、4年後のワールドカップへがラストチャンスという年齢という事もあり、J1昇格することで、より高いレベルでプレーすることでアピールしていくしかない。夢の舞台に繋げるために、岡山でのJ1昇格を目指す。そうすることで、着実にステップアップしていく。そういった覚悟と決意が見えるシーズンになるのではないだろうか。
岡山での始まりカラーはレッドカードの赤色が鮮烈であったが、ホームカラーの赤色、アウェイカラーの白色。
今季の彼は、紅白が似合う鮮烈な活躍をしてくれる飛躍の一年になる気がする。
③『 引き出したい結果~自分探し~ 』
決定力不足。岡山での2年間は、まさにこの壁に突き当ってきた。開幕時には、存在感を示すも終盤に行くにつれて、出場機会が減っていく。そういったシーズンが2年続いてしまった。
10番を背負う以上、結果を残せなければ、チームに残る事も難しくなる。今季の岡山の10番は、空白。期限付き移籍での挑戦は、片道切符ではなく、今季の結果次第で、岡山に戻って来る可能性もあるかもしれない。
ただ、佐野 航大という10番が似合う選手がいることを考えると、劇的に成長しないと戻ってくることは難しい。
宮崎 幾笑が、岡山で活躍できなかった大きな理由として、フィジカルが弱くポストプレーや接触プレーが苦手ということがあった。そのため後に一度戻して、スペースに走り込むプレーを選択しがちである。ただ、受けた選手が、その選手へパスを出す事ができず、ボールを戻しただけに終わる事が多かった。
香川 真司がこういったタイプの選手で、チームを選ぶ選手。1人でというタイプではないので、主導権を握れないチームの中では、なかなか持ち味を発揮できないタイプであった。
ただ、フィジカルを重視するいわきに移籍することで、プレースタイルが変わる可能性もある。自ら仕掛けて、シュートまで行く事ができれば、全く別の選手へと進化しても不思議ではない。
まさに自分を見つめ直す期限付き移籍で、宮崎 幾笑がどういった選手へと成長していくのか、彼の挑戦を見届けたい。
④『 失わない信頼~希望の左足~ 』
21シーズンの途中に加入した。SBでありながら「11番」の宮崎 智彦は、22シーズン限りで退団となり、新天地としてJ3の福島へと移籍することとなった。
宮崎 智彦は、私好みのプレースタイルの選手の1人だ。岡山というチームは、左利きの選手を昔からしっかり揃えて来ていたが、中でも宮崎 智彦は、スペシャルなレフティであった。
SBでありながらボールを失わない絶対的な安心感があった選手で、ボールの持ち方、出し方、ポジションの取り方、距離の取り方、全てが細かくDFラインに押し寄せるプレスを完全無力化できたのが、宮崎 智彦という選手であった。
成瀬 竣平が、攻撃のパスでスペシャルな選手であったが、宮崎 智彦は、パスで守備を安定させることができる選手である。守備を安定させるためには、自陣でボールロストしないことが重要となるが、宮崎 智彦は、それができる選手である。
これだけの唯一無二の武器を持った宮崎 智彦であったが、驚くべきことに岡山に加入するまでは、無所属の状態であった。岡山に練習参加している中で、評価されて契約を勝ち取って、岡山への加入が決まった。
宮崎 智彦は、そういった経緯もあり、岡山への感謝の気持ちを何度も口にしていた。サポーターの1人である私は、彼のプレーを観ていて、SBでありながら魅せるプレーができる選手で、彼のプレーを見て、高揚することが多かった。そういった選手をスタジアムで見ることが出来て良かった。感謝の気持ちしかない。本当に岡山に来てくれて、選んでくれて有難うと伝えたい。
柳 育崇が、自身の性格を言い当てていたことで、よく観察していると宮崎 智彦のことを語っていたが、そういった人の本質を見抜く観察眼というのが、プレーにも活きていたのかもしれない。
ベテランの選手ではあるが、新天地の福島、初のJ3で、どういった輝きを放つのか。J3屈指の左利きのSBとして再評価されると信じたい。
⑤『 誰よりも岡山らしく~次世代の旗手~ 』
岡山においての14番は、特別な番号である。押谷 祐樹や喜山 康平、上田 康太、上門 知樹といった岡山の攻撃の中心となる選手が背負って来た。
22シーズン。1年目から14番を背負うに相応しい選手であるのか。過度の期待ではないのか?大きな怪我で長期離脱した期間もあっただけに、そういった心配もあった。
しかし、シーズンが開幕してみると、そういった心配は吹き飛んだ。開幕スタメンを勝ち取ると、プロとしてスタートした初の試合で、得点を決めた。その後も豊富な運動量とアジリティを活かした攻守での粘り、運動量で抜群の存在感を放った。
岡山が、22シーズン躍動した一方で、今までの「岡山らしさ」から転換したシーズンでもあった。運動量だけではなく、武器を持っているかどうか。バランスや守備を意識した重心が後にあるサッカーから、前掛かりになることで、前への意識が高いチームへと変貌した。
今までの岡山のイメージとは異なるサッカーとなり、今までの「岡山らしさ」を持った選手が少なくなった。
その中で、22シーズンの田中 雄大は、誰よりも岡山らしかった。泥臭く、攻守にハードワーク。同期の本山 遥や佐野 航大の運動量や攻守にアグレッシブにプレーできるという点で、岡山らしい選手ではあるが、中でも田中 雄大の岡山らしさの「濃度」は誰よりも濃かった。
今後、岡山が強くなって行く中で、岡山らしさを失わずに、継続して行く中で、田中 雄大という選手は、岡山に必要不可欠な選手の1人のように感じた。
副キャプテンを任された意味。それを噛みしめながら今季もピッチを縦横無尽に走り回る田中 雄大を見ながら、岡山のサッカーがどう進化していくのか、その結末を見届けたい。
⑥『 岡山でのラストラン~永遠の王子~ 』
岡山での11年間の挑戦を終えた岡山の王子、関戸 健二。
もう、23シーズンから王子と応援するサポーターの声を聞く事ができない。関戸ロス。もうすぐ開幕する中で、この現実を受け入れないといれない。
ピッチで、攻守に顔を出し、ハードワークする。中盤の黒子として、チームの攻撃をフォローし、守備でもしっかり戻って、守備を安定させる。思い起こせば、岡山らしい選手であった。
しかし、もう岡山のユニフォームを着て、ピッチを走り回る関戸 健二を見る事ができない。
「試合に出る事が怖かった。」最後の挨拶で、そう初めて話した関戸 健二。「試合に出る時にとても緊張した。」とも話していた関戸 健二。
しかし、ピッチでプレーしていた時は、クールに振る舞った。足を止める事はなかった。すべきことをただやり遂げる。それができる選手であった。
歴代の監督に重宝されてきた中で、怪我の影響もあったかもしれないが、木山ファジでは、僅かにリーグ戦1試合の出場に終わった。
正直に話すと、私は、関戸 健二のパフォーマンスを見て、来季は・・・と何度も思っていた。
しかし、最終的には、毎年、監督の信頼を掴み、レギュラー争いに勝利し、怪我からも戻って来た。ずっと怖かったという言葉通り、関戸 健二は、レギュラーから外れる事が、何度もあった。そのたびにピッチに戻って来た関戸 健二。もしかすると、また戻って来るかもと思ってしまう私がいるが、来季からは、関戸 健二はいない。
J1に向けて突き進むために、岡山のユニフォームを着た関戸 健二との別れを決断したファジアーノ岡山。
まだ、去就が発表されていない。何処かのチームで現役を続行して欲しいと思うと同時に、何らかの形で、岡山に残って欲しい。相反する気持ちが、どうしても生じてしまう。
それと同時に、あれだけハードワークしたのだから。今は休んで欲しいとも思う。いつか何らかの決断、決定があり、発表されると思うが、色々な思いを彼に向けてしまう。
そういったサポーターは、多いのではないだろうか。
どういった決断を下すとしても、「いつか岡山に。」これからもずっと、22シーズンの5分間のラストランを心にしまい。一緒に走りたい。関戸 健二という選手は、これからもファジアーノ岡山と共に、ハードワークできる王子であって欲しい。
いつか戻って来る日が訪れると信じて、今は見守りたい。まだ走れるはずだ。
⑦『 気が付いてたら信じてた~好機の芽吹き~ 』
22シーズンの木村 太哉を考えた時に2つのワードが浮かぶ。
「幻のゴール」と「怪我」である。
1年目の活躍から今季の彼への期待は、とても大きいものであった。誰にも奪われないキープ力。誰にも止められない仕掛け。誰も寄せ付けないボディバランス。誰も追いつけないスピード。
彼にしかない「ドリブル」という武器がある。
それだけに木村 太哉の「幻のゴール」と「怪我」という負のワードが残るシーズンになるとは思わなかった。
シーズン終盤に彼のプレーを観た時。調子の良い時の彼のプレーではなく、体のキレが悪く、彼の武器のドリブルは、影を潜めていた。
もしかすると、このままでは駄目かもしれないとも感じた。
23シーズンのキャンプでのTMや練習見学した際の彼のプレーを観た時に、また木村 太哉のドリブルを見ることができた。
そのプレーを見て、多くの方は思ったはずだ。「間違いなく23シーズンは、完全復活した木村 太哉が見れる。」と。
シーズンが変わり、木村 太哉への不安や失望、心配という感情は、「期待」の1色へと変わった。
今は、信じて開幕を待ちたい。木村 太哉の悔しさは、成功への種となり、芽吹きつつある。
文章=杉野 雅昭
text=Masaaki Sugino
選手名鑑23
監督編は、こちら(別記事)。
URL:https://note.com/suginote/n/n04d01567785f
GK編は、こちら(別記事)。
URL:https://note.com/suginote/n/n8955634e7f65
DF編ー前編は、こちら(別記事)。
URL:https://note.com/suginote/n/nd90392e54381
DF編ー後編は、こちら(別記事)。
URL:https://note.com/suginote/n/n79f5fb21291e
ファジ造語2023
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