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もういちど、おやすみプンプンを読む 11

国道を埋める生コン。排気口から知らない人のシャンプー。閉店後のクローズ作業のこもれび。

そうしたものに夏を感じる小童にお勧めの退廃漫画、浅野いにお氏著『おやすみプンプン』も11巻であります。


差別や格差などの社会問題って、本当は身近にあるんだよね。君は異性だからって別の対応をしたり、年が下だからって偉そうにしたりしていないかい。

全て弱者にやさしい世界というのは、君が隣の人にやさしい君である世界だと私は思う。

殺人未遂、放火、迷惑防止条例違反、この世は犯罪だらけだけれど、性善説ってなんなんだい。


さて、プンプンは、愛する人をDV実母から解き放てるか!


宗教団体は、見事に人類を災厄から解き放つことができるか!


物語はついにクライマックスへ!セックススカルファック!!

母を殺し、好きという正義感情でのみ、荒波を超えるアベックのランデブーが始まる!





期待がこそ、無垢に刃をもたせる格好の感情なのかよ。

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黄土色、黄金色、いや金色? 見慣れない色の表紙をめくると、フルカラーで、ジャングルな植物に腰を下ろす田中愛子の素っ頓狂な顔が出てきました。

白いパンツを丸出しに、原始的な姿は、罪や穢れ以前のよう。

愛子はずっと神聖視しているプン目線で描かれているけれど、実はただの無垢でひねくれものの、隣にもいるような華憐な女の子であることを思い出させるよう。

ただ、自分を理解してくれ、自分を最優先に考えてくれそうな男の子と、性欲という不不惑に困りながら、気付くと周りには罪と罰がはびこる、苦し紛れの正義世界であるだけなのでは。


テラスハウス出演のプロレスラー、木村花さんが亡くなった。
6月4日のNHKのクロ現では、誹謗中傷をした側の人間にインタビューがあった。

「正義感だった。許せないものに許せないと唱えただけだった」

そうした趣旨の方がいた。

確かに、ナンセンスなものを排除することは、もしかしたら文明のためだし、よりよい社会につながるだろう。

問題はその人間がフィクションではない地続きの存在であることに共感できなかったということ。

心がデジタル化するというのは、生身のコミュニケーションが不器用になることだと思う。道具に心を犯される。

このプンプンでは、原発事故が発生して、あられもない人災の理不尽に対して無力感や葛藤する小市民というのがかなりナイーブにただ、スケッチ的に描かれる。
それが地続きの問題であることに心を動かすという事が、「弱さ」ということなら、無視していいものではない。

さて、表紙カバー裏、愛子の下からフクロウがこちらを覗く。表4では、羊やカエルがこちらを見ている。

「漫画は見るだけだと思うか?」

と言われているようだ。この作品で「エモい」時代の寵児となっていく浅野先生は、不断にメタだしやりたい放題だけど、それは内容直截が「エモい」というよりは、どこか地続きなものだと感じられるからだろう。


表紙、扉と「ガッ」という鈍器の擬音が書かれていて、めくると、畳に寝転がって笑顔の田中愛子。これがノスタルジックに映るのは、テクノロジーが捨象していく日常、手塚治虫から地続きな本質だ。

さて、目次は今回読めないクサビ形文字みたいな文字。
優しくねぇー笑。
「これは商品として不完全ですが、それでも読みますか?」という自嘲気味なギミックで、むかつくので調べましたが、ポリネシア諸語ではないことはわかりましたが、もうやめました。

前回のあらすじが翻訳不可能ですが、私もほとんど覚えていないので、なんとなくだと、確か、お互い仮面を脱ぎ捨てて、君を守る!と奮起したプンプン(主人公、表記は落書きの鳥、本名は伏せてあるがおそらく陰茎が生えているので男)が、初恋の田中愛子の処女を頂戴し、くそDVカルト宗教の田中母からの解放を求めて立ち上がったのだ!


ここで、第111話、話の扉は、七夕で、「息子の病気が早く完治し、家族みんなが健康に楽しく暮らせますように 古河田治」など、主人公の決起とは全く関係ない地続きの暗雲。

切り取り方次第で、この世はどこまでも絶望的になるし、切り取り方次第でこの世はすでに快楽天である。


宗教団体(前述から派生したトリックスター)のトップ、ペガサスが言う、「七夕に目出しダルマが降ってくる」予言の描写をし、コミケビックサイトでコスプレ娘と無様に楽しむオタクの天蓋から、ダルマが落下してきて東京がぶっ壊される描写が突然挿入される。

そこで親友とうまくやり取りできず離散し、宗教団体に加入した、プンや愛子の同級生だった、清水(源氏名:チューペット君)が、「2001」のサングラスを大真面目にかけた主であるペガサス(本名、なんとかとしお)に、これは予言でなく、確定的な未来なのだと告げる。


何を信じるか。未来は不確定で、遊び甲斐がある。
困窮するイマよりも、絵空事でも信じたい未来を誰かとともに共有することは、悪なのかい?

さて、ここからは表紙の「ガッ」へと向かう暴力的なシーン。革命は武装蜂起によって行われてきたのなら、現代でなぜそれが許されないのかい?


並行してテレコで進めていく古典歌舞伎的な進行ですが、
①プンプン→田中愛子を母から解放する
②ペガサス→世界を滅亡(勝手な予言)から救う

まず、①!
緊張気味で母との対話へと向かう田中愛子は、愛が通じたとされるプンプンに「いまどんな顔をしているかな」と問い、解放後にプンと同棲してスーパーにいくなどの夢想を放して愉快な気分になろうとするも、その様子に白けて眼が座ったプンプンは路上でハグ&ディープキスをぶちかまし「……このまま舌を噛みちぎって殺してやりたいほど愛おしい」と、完全に所有―被所有の態度で好き勝手ふるまいます。

ここまでに至る、愛子の亡霊に悩まされ続けた日々を思うと、姦通してようやくそのトラウマともいえる支配的感情を乗り越えた、として分からなくもない。
販売を待ち望んでようやく手にしたゲームがそんなに面白くなかったら、暴力的な気分が出たらそれは「期待を裏切りやがって」という責任転嫁を、なぜか論理上してしまうから。

なら、勝手に期待すんなよ、とも思うけれど、期待は成長のもとになるときだってある。期待とは厄介で欲望に密接した丸投げ。


さぁ、こうなるともう平凡な未来はないということだけが分かる!
ディープキス後に親指を愛子の唇に突っ込んでいることからも、完全にモノとして扱っている。
愛子ももう止まらない。ここでモノとしてのふるまいをやめると、プンプンはいなくなり、また母の庇護下に置かれてしまう。

愛子の悲劇はその二択でしか人生を選べない状況に、実母とプンプンに貶められたことである。


プンプンは、モノに「何があっても僕が君を守るから。」とメルヘンをぶちかまして、自身の緊張を隠しているように。


ここで、家に到着するのですが、この実験漫画は、プンプンのそうした感情をプンプンの四肢の描写で表現しているのはここまでで腐るほど勝手に述べてきました。

ここで、プンプンは人間的な四肢ではなく、幼く無垢だったころの鳥人間の描写に少し戻っています。

これは、「ここで平和的に母親の庇護から解き放てば、これからくそつまらない平凡な日々だけど、イナセでwktkな田中愛子ちゃんとのラブズッキュンな日常が待っている」という素朴な状況に落ち着いているのだと思うのです。

ここで、プンプンは期待している。期待しているから、裏切られて、ブチぎれる。

期待がこそ、無垢に刃をもたせる格好の感情なのかよ。


そうした起伏を落書きではいとも簡単に描けるからこの漫画はただの実験漫画ではなく、実験成功漫画なんです。普通の人体漫画だと、震えとか表情でしか基本的には語れないのところだから。


さて、ピンポンして「ただいま」と田中愛子。
応答のない実母に、部屋に入り込むと、愛子の制服を着てヘッドフォンを外す実母が登場。こちらに向くカメラを起動しているパソコンを閉じて、プンプンのことを尋ね始める。

ライブチャットしていたか、こんなにも自分本位で卑しい母に対して、
「お母さん、私、この人と出ていくよ」

母は、まぁ予想の範囲内ということで、急に落ち着き払い、お茶でもいれるからゆっくり話しましょうと、呑気ぶる。

「お茶淹れてくるから」
「…いいよあたしがやるよ……」

「…いいわよ別に。
 …どうせこれからはあたし一人でやらなきゃならないんでしょ?」

→寝っ転がって這う実母はふとももにパンツがずり落ちていて、性的な営みをしていたことを隠さない
→絶望で黒ずむプンの落書き


この流れ。ここにある不毛すぎる駆け引き。実母は足が悪いとして、寝っ転がって歩くのですが、憐憫を下品に求める様子も踏まえて、とにかく下品な描写を淡々としていく。

壁には落書きみたいな「元気元気体操」と、宗教団体が推し進める取組も貼られる。


全てが排泄につながる不毛な生活。

プンプンは自分がもし田中愛子と結婚したとして、結句、その不毛な生活と同じ未来があるのではないか。

ここまで、常に、「結婚して、子どもが生まれて、孫に見取られながら死ぬすばらしき他人の人生」を対置して、自らが文学的で性的ドラマチックで一瞬先もわからないドッキドキな人生を望んできたプンプンは、はたしてこの目の前の下品にどう思ったか。


ページをめくるとその母の陰部の描写。生々しさこそ、生命の絶対条件だ。

「大丈夫、あたしがんばるから」

と田中愛子。かける言葉をいきなり喪失したプンプン。お前が守るんじゃなかったのかよ。急にもう、自己憐憫じゃねぇか。

カビが目立つ水回りなど、薄汚れた民家ではじまる、サイコパス実母の取り調べ。
実娘をモノとしてしかみておらず、常にマウントを取ろうとする母。

どこで出会ったの
→教習所で再開した
→誰とも会いたくなかったから遠い教習所選んだんじゃないの。
→嘘じゃないよ
→「あんたは嘘つく子だからね……
 …ほら、いつだったかあんたが7、8歳の時、お漏らししたパンツずっと筆箱に隠してたじゃない?」(責任が連続していない過去の引用)
→「それは子供の頃の話……」

→2年くらい前にしょうもない雑誌のグラビアオーディションに合格したとか言ってたけど、どうせどこぞのろくでなしにいいように利用されるところだったのだかた、あたしが止めなければ今頃どんなひどい目に遭ってたか(話題のすり替え、ありもしない未来の被害を防止した自分の賞賛)

→合格したんだよ、ちゃんと(口車に乗ってしまう)

→「ごっ」(殴る)


→「したか、してないかの問題じゃないの。あんたの自覚の問題なの」
(それっぽいことを言って支配下に置こうとする取組)


白目むくプンプン


私は、DVのことはよく知らないけれど、こういう流れで、話をすり替えて優位に立ち、暴力を行使する、というのは、本当に哀れだ。

(中略)

→「お母さんは、あんなわけわからないもの(宗教団体の偶像)信じるのに、わたしのことは信じてくれないの」

→「それは違うからね愛子。あんたを本当に大切に想ってるからこそなの。最後に信じられるのは家族でしょ?あたしだってそれくらいわかってるの」


オンオフの入れ替わりも激しい。
そして、じゃあいけば、そこの男と、として、プンプンの名前や職業などの個人情報を聞き始める。おそらく、誘拐されたとかいって公権力にすがりつこうとしているが、ここまで、井の中の蛙大海をも利用する形で描き切っていたのか。


「何も言っちゃだめだよ」
「待て待てーい、人を病気みたいに」


ここまできて、ようやく娘の意思が固いことを知り道化に走り始める。

「捨てんのかよッ!!親を!!?」

ここで愛子のセリフが、11巻のハイライト


…もう家族なんていらない。


何を信じるかは自分で決める。


…その人がそう気づかせてくれたから。


これ、数度読んでも流していたけど、ようするに、「お前は宗教団体を信じて私をモノ扱いしてきた。だったらあなたに対してだけは私も同じことをしていい。私は私の人生を信じるし、この人を信じる」という高らかな宣言なんですね。
ただし、このあと、すでにこのときからだけどプンプンは自分の正義をこじらせて、他人が眼中に入らなくなっていくし、愛子はどちらを選択しても、もう理想的で凡百な日常なんてない。

それでも、自分の意志でどちらかを選んだ、ということは、もはや生まれ変わりレベルのハイライトなんでしょうね。

親から出ていくために、親と同じ決断をする、いや、親と同じ思想をもつ、ということは今後も良心の呵責となってつきまとってくる。

完全に、田中愛子は、自愛の子なのですね……虚しすぎる。
自己愛の子プンプンとのランデブーは後回しとして。


ここで、愛子が玄関へ行こうと振りむいた瞬間に、台所に行った際に取ってきたと思われる包丁を片手に、実母が襲い掛かってきます。

実母、足不自由じゃねぇのかよ!!
とかそんなレベルを超えて、すさまじい反射神経で愛子を刃の軌道から逸らせたプンプン。

まぁ、確かに愛子いなくなったら、稼ぎも減るし安定した生活はなくなるので、自暴自棄になっても論理的なのかもしれない。


「きんもぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」と連呼する母。
背中に若干かすり傷をくらった愛子は呆気に取られている。
その後刃はプンプンへ。ふすまにぶっ刺さった包丁。
「ねぇ……
 …あんた、なんで朝出かけた時と服が違うの……?」
「昔っから大っ嫌い……
 あんたのそういう馬鹿なところ……」
倒れている愛子の腹を足蹴に連打する母。惨状。


「君を守るから」

という口約束。ずっとずっと、何かを守りたかったプンプン。
正当防衛、成敗、横たわる思い人。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」と、横たわる思い人。

これまでずっと、プンプンが岐路に立つときに現れる正義の面をかぶったアフロサングラスが代弁する形を取って。

「きっと僕は待っていたんだと思う。


 この瞬間を。」

雨に打たれる外の植物。
軒下の昼下がり。


見開き一面で
「 おはよう、プンプン。 」


包丁を振りかざす田中母を後ろから取り押さえる。

包丁が落ちる。

宗教団体のアイコンの像で殴打。

殴打。

殴打。


表紙の。「ガッ」がコマを塗りあげていく。

田中母は落ちていたハサミをプンの太腿にぶっ刺す。

首を絞めるプンプン

しね

首を絞め殺すシルエット。雨降る町の俯瞰。


鼻水まみれの思い人。血まみれの自分。失禁した女。


「愛子ちゃん。」


角の生えた真っ黒なプンプンの描写。

「……もう、大丈夫だよ。」


ここで、回終了。


単行本、回の間には、笑うプンプン。

・横たわる田中母
・足に鋏の刺さった主人公
・パニック状態のヒロイン

宅配便を受け取ると、中身はバイブ(これは寧ろ試練である……オルガマスターⅤ)。


試練って、まさに今なんですよね。
これすごいな。こうやって重い部分でコミカルに物語を進める技量とナンセンス文学。


バイブを受け取る必要はあったのか。これはむしろドッキリで、全部なかったことにならないか、と冷静に戻りつつあるプンプン。田中愛子は実母の腹に包丁をぶっ刺している。


バイブをみて、嘲笑しながら、「かっは、好き」という、もはや好きという純粋感情に縋り付くヒロイン。

その引き裂かれた背中を裁縫セットで縫合する。雨に紛れて。関係のもつれに紛れて。


さて、場面変わって、ぷんのふしだら(過去)な叔父は、姉の入院先でプリ尻から欲望を現出してあっさり結婚の約束をし、不倫をし逃走し、罪を許され妊娠させ、自分は死んだとほざくダンディボーイ。

②ペガサスが、黒点として、過去に何の罪もない不動産会社経営者(ぷんの恩人。漸近はするが重ならないストーリーライン)を冤罪で脊髄損傷させたおばさんをハンマーで襲撃している。

しかしその冤罪誕生ばばぁが娘をかばいはじめるピュアさを見せて、「そんな!違う!」と退散するペガサス。

ピュアこそが、世界を救う、と破壊活動も惜しまないペガサスも、おのが正義のために手段を問わない、という人間の困った側面を戯画化している。


さて、悪夢にうなされている愛子にフラッシュバック。
ここでは授業中、「この席に座ったやつは不幸になる」という机で尿意を我慢する愛子に、担任が告げるのは、意味のない単語の羅列。

動かない母を梱包し、夜に山奥に運んで埋めた。


愛子は修了していますが、プンプンはまだ免許取れてないので、助手席に座るプンプン。

こんな素人縫合の状態でよく車運転できるな愛子。

埋めきったあと、

「僕は悪いことをしたなんてことは、これっぽちも思ってない」
(中略)
「申し訳ないけど愛子ちゃん、君のお母さんが死んだことで悲しんだり困ったりする人がいるかい?
そんな人間、はじめからいなかったのと同じじゃないか。
ほとんどの人間が生きてるだけで社会にとっては単なる負債でしかないんだから、むしろこれはいい事なんだよ。」

と理論武装。

「…君がこの事を抱えきれないのなら、一人で警察に行けばいいと思うよ。
都合の悪いことは全部僕がやった事にすればいい。
包丁で刺したのも死体を運んだのも。
被害者として生きればきっと誰かが同情してくれるさ。」

「なんでも君のいいようにすればいいんだよ。
君を救った。僕はそれだけで十分だ。
後は捕まろうが裁かれようがそんな事は知った事じゃない。」

「ただ、他人の価値観に晒されて自由を奪われるつもりもない。」

理不尽すぎる暴論。
このスタイルは洗練されていれど、先の田中母と同じ。


同じ過ち。

ただし、今回の場合、前提が異常として、完全に間違っているか?

まぁでも、誰も悲しまないやつは、殺されていいのか。

格差。生き残ったという格差。
助手席から逃げ出すプンプン。


追っかけて、抱き着いて
「一人にしないで」

愛子。

愛子は、もはや最強の決断をはじめてぶちかまして、それは処女がどうとかこだわっていたプンよりも遥かなる絶望の中から、ようやく前か後ろかどこかに進もうとしているのに、速攻で、「君を救った」という伝説でもって置いていくという主人公。


主人公は愛子だよね。愛子だし、ここではいないけど、サチだよね。


人を殺したアベックが、高速で東京から南下していくも、すべて日常は一変している。

ここからの逃避行は、ひたすら二人の問答が続く。

全員が善人ではないという信念の下、仮想敵と戦い続けて自分を正当化し続けるプンプンと、人殺しがこうやって呑気に楽しいことを考えていいのか、とある愛子。

愛子の体調悪化が進む中、プンは欲望のままにセックスしたり、殴り合ったりしながら、逃避行は下方投射で、狂っていく。


思考停止、もしくは、自己正当化のためだけにエネルギーを使っていくプンプンは貯金というリミットも出てくる。

純粋だった過去を思い出しながら、プンプンと愛子はなんかを続ける。。。。


さて、あとは割愛か。
②ペガサスはピュアじゃ世界を救えねぇ、と発狂して閉じこもるも、ラバーズ(仲間)のピュアッピュアな言説に奮い立たされ何やら最期へと向かう活動を開始する。

その仲間の日っと理である清水を、そんな団体の方へ行かせてしまった親友、関くんがなんとか会心させようとするもかなわない。関くんのプライベートは、勤め先の社長の娘と交際していたが、娘の浮気などを指摘して別れるも逆恨みされてストーカーされる始末。

①プンプンはここで、タイトルページが登場。
富士山が見えるサービスエリアで、つかの間の恋愛を楽しむ。愛子はこのころから、からっと変わってウェットな部分を出さず、プンプン好き、みたいな雰囲気を続ける。意図的か幼児退行も起こしている。

そして、プンプンは食傷気味で、厭世的になった。

野原で。

愛子
「もうすぐ、七夕だね…」
(※この物語は七夕の伝説を取りながら、過去の七夕から物語が興り、この年の七夕に向かっていろいろ起きてる進行です)

「今年は天の川見れるかな?
みんなで工場に行った時みたいなすごいやつ……」

「…流れ星見れたら、プンプンは何をお願い事する?」


「…そんな事したところで、叶う訳ないよ。」

愛子
「もし叶うなら、…って話だよ。」


「…じゃあ流れ星なんか二度と流れてこないようにってお願いする。」


これは、そうやって、不確定な未来に夢見てんじゃなくて、今をしかkり積み重ねていけば、そこそこの幸せな未来なんて、余裕でつかめるんだよ。実直に生きろよ、という自分がいがんだ形で出てきていると思うんです。

もはや、彼らは罪を罪と認めているから。

本当には狂っていない、と自分に言い聞かすためにも、私たちは、罪を犯したんだ、という免罪符をしっかりと握っている。

それを握り続ける、どちらが握る?握っていて意味はあるのかい?快楽に流されたら忘れられるなんて。怒りに任せたら正当化できるなんて。

そうした諦念と寂寥感が、この物語の骨格に出てくる。

個人的には、誰かが死なないとこの物語は成り立たない。
誰かが殺された時点で、地続き感は減るのだけれど。ここからは物語として収める流れになるのはもちろんだけど、この諦念から出てくる言葉の一つ一つが、大変に見て見ぬふりをしている部分を表面化させてくるので、この作品をいまさらでも、本当にすごいと思うのです。


『富士山サイコーでした♡
 来年もまた来まーす♡』
お名前 ゆうり&むった
神奈川 年齢20

こういうスケッチは、本編が諦念に包まれているときこそ真骨頂です。

周りを見渡せば、そのありきたりな幸せが所狭しとある。そこに理屈がなくて、性欲を解消し合う関係だったとして、どうして、ロマンチストがそれを否定できるだろう?

プンの排泄シーン。愛子の食事シーン。

爽やかに走り回る愛子を挟んで、
真顔で問いかけてくる愛子が現れます。

これからの計画。プンプンは馬鹿なんだから、ちゃんと考えないと。

これは、幼き日からプンプンを自分の手中にたぐりよせようとした手腕で、今思えば田中母にずっとやられてきたこと。相手の好意につけこんで卑下し、自分のもとに手繰る。


プンがもう呆け始めたので、幼児退行から一転したところです。


Q相手を手繰る行為が失敗に終わりそうな場合。

A
Boryoku


愛子は片眼をえぐろうとフォークを突き刺しますが、冠水できず、傷が増えたプン。

そして
③プンのことをパートナーとして大事に思う、ヒロインさっちゃんが、プンがいない日常から羽ばたこうと漫画を描き続ける描写
を挟み


「やるならちゃんとやれよ。もっと深く、丸ごと掻き出すくらいに」


「…だって、プンプンが、
 大好きなんだもん…」


で幕引き。なんたるくだらない惨憺。

自慰、自己恋慕、性欲。


これは誇張しているだけで、身の回りになくてはならないもの。


格差、差別、暴力。

これは誇張しているだけで、身の回りにいくらでも出てきて誰かを悩ませているもの。

いい加減、目を覚ませよ、有象無象。

ーーーーーーーーーーーーーーー


さて、プンプン的なテンションで終わらせてみましたがどうでしょうか!

何か誰かを本気で欲しいと思ったり、どうしても振り切れない性欲に苦しんだりしたあの頃の懐かしい気持ちになれましたか?

私は、自己愛が過ぎるので、なかなか苦しいものがあります。

最初は完全に、プンプンは悪くない、と思って読んでいました。


26歳になって、この物語の複層的な部分をようやく読めるようになってきました。

遅遅として更新しませんが、よろしければ、また。

どうか、お元気で。

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