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書くことが無いので「書くこと」について書く

今日は書くことが無いので、noteやブログを書き続けることの意義について書きたいと思います。

芯がなく一貫性のない人は信用されない

投票日から3日経ちました。
あれだけの大敗をして未だに総裁に居座ろうとするのを見ていると、信用を失う人ってこうなんだな、というのが見えてきます。

考えていること、言っていること、やっていることの一貫性がないと信用を失います。これは多くの人が頷くところでしょう。

逆に表面的な一貫性にこだわって、時代にそぐわない古い考えを改めない頑固者も困りますが、要は芯があるのかどうかに尽きると思います。
目的を忘れたりコロコロ変えていると一貫性を疑われますが、目的をぶらさず到達するまでの手段を変えるのは、一貫性を保った上での臨機応変さや柔軟性です。芯がなくてはできません。

書くことで自分の「芯」をハッキリさせる

そんな選挙後のタイミングで「書くこと」の意味を改めて考えてみたのですが、私のように書くことに慣れていない人間にとっては、書くことは思考の整理になり、自分の「芯」を明らかにしたり形成したりするプロセスになります。
人間って意外と自分のことがわからないものですから。

なかなか文章が出てこないときは、シンプルに言語化できるレベルまで考えが進んでいないということでもあります。
その対処法もシンプルで、「なんでもいいから思ったことを書いて書いて書きまくる」しかありません。

また、書きはじめたはいいものの、何十分も、あーでもないこーでもないと筆が進まないときは、大抵自分を偽っていたり、他人の考えから影響されすぎていたり、他人に忖度していたりするものです。
あらゆるテーマにおいて「自分だったらどうするのか?」「自分はどうだろうか?」と意識して書いていると、そのことがよく自覚できます。

よく「自分の考えなんか書いても誰も読まないし興味ない」と言われますが、そんなことを気にしているレベルではありません(笑)読ませる文章は、もっと先の次元で考えれば良いです。

逆に、自分の芯を形成せずに何かを書き続けるなら、外野に立って誰かを批判していればいいです。一定の知識があればいくらでも書けて、何か言った気になれます。でも、それで信用を形成できていなかったことに気づくのは、ずっと後のことです。
今まで批判ばかりしていた人がいざやる立場になったら何もできないなんてことは、よくあります。過去の自分が放った批判の言葉が、今の自分に刺さってくる。ブーメランですね。

今回の選挙後を機に、人のフリして我がフリ直したいと思います。


追記:
関係ないですがせっかく撮ったので。今日見た空です↓


今回の見出し画像は、ストックフォトサイト「写真AC」から「写真素材:ノートとペン 文字なしキーボード」(作者:keisuke3さん)をお借りしました。ありがとうございます!

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