大切な人への、恨みの正体
自分の機微に耳を澄ます100日ドリル 13
さて、今日も書いてみよう。
昨日のお店屋さんのこととか、ワークの続きとか、いろいろ書きたいこと盛沢山だけど、こちらの投稿を読んで思い出したことがある、、ような気がしたので、それについての私の機微に耳を澄ましてみようと思う。
グラフィックデザインの専門学校を出て、就職したけど3カ月でやめて、そのあとバイトで入った会社も仕事できなさ過ぎて3カ月でやんわりクビになった。ガッコで学んだこと生かそうと思ったら、デザインの会社に入らんとあかんねや、という発想しかなかったみたいなんだけど、その2件のできごとでもうあきらめたようだ。
その後は今に至るまで、バイトしかしていない。職種は様々で、一つのことで身を立てたことがない。
その経歴は、最近までマイナスの面でしか捉えられなくて、私は何も積み上げられなかったと長い間嘆いていた。
でも、娘が生まれた時、この瞬間のために今までの人生があったのだ、そんなことを感じたと思う。積み上げられなかったと思っていた私の人生は、ひとつの道が違っていただけでもこの瞬間にはたどり着けなかったのかもしれない。そんな神秘的な感動があったと、心の赴くままに書くことで鮮明に思い出されてきた。涙がこみあげてきた。
そんな感動から、現実のおしめおっぱいねんねの生活が始まり、孤独を感じたり上手くいかなさに泣いたり、人並みに子育ての大変さを身に沁みたりしながらも、
それは仕事で身を立てるということ以外での、社会への貢献感や社会人であるという自信に満ちた生活であったように思う。私はたぶん自分でそう感じてる部分があったんだと思う。
一方、子どもが生まれたことで、夫は一家の大黒柱としての責任が増し、家計のことや夫の仕事のやりかたについて私が間の抜けたこと(困ったら親類に頼るのも手だよ、とか、しんどかったら仕事を休もう、とか)(私にとっては至極まっとうな意見として)言うと
「会社で働いた経験がないから簡単に言える」だとか「社会人としての責任感が薄い」だとか「自立していない」「社会性に欠ける」とかいう言葉で返しやがっていた。ああ、恨み節がでてきたぞ。
これは、けっこう恨みが深いようだ。うすうす感づいてはいたが、書くことでわかる。。
冷静に俯瞰して見れば、夫は夫の人生の中で築いてきた信念があり、妻と子どもを養うプレッシャーも生まれ、自分を鼓舞する状況だったんだろうし、私のほうも自信を持てばよかっただけだ。
「私の社会性は、あなたとは別の部分でしっかりと育まれている」
そう自分自身で自分を認めて、感じてることを真実だと受け止めれば。それだけだったんだ。
なのに、私はずっと、夫が認めてくれない、と、だから私は私らしくいられないんだ、と。
恨んでいて。
ほんのつい最近、自分で自分を認めることができてきて、そうすると、最近の迷える夫に対して、仕返しをしてるんだ。やっぱりそうだ。私を認めてくれないあなたにずっと苦しめられてきたから、今度は、私も認めてあげない。って。なんてこった。
でも、まずはその狭い狭いこころの私を、許してあげよう。どうかんがえても夫婦として望ましくないやりかたで接している、絶望的にやさしくない、さびしいさびしい心の持ち主の私を、私が許してあげよう。
そして、辛かったんだね、それしかやりかたを知らなかったんだね。大丈夫だよ。他のやり方もあるんだよ。ちょっとやってみようか。自分も、大切な人も、さびしくならないやり方を、少しづつ試してみようね。うまくいかなくても、すこしづつだよ。だいじょうぶだよ。わたしがついているからね。大粒の涙。
思い出させてくれてありがとう、里山の百姓さん。おわり。