健康診断の日程間違いと母校が敗退した話
こんばんは、健康診断の日にちを間違える男スギモトです。
昨日と一昨日は母校が準決勝で敗退したことを受けて、何もやる気がでませんでした。
強くなりすぎた今日からまた、継続を頑張ります。
note毎日投稿144日目は、健康診断の話です。
7月21日水曜日は、健康診断の予定でした。
そう、予定でした。
なんと完全に日程を勘違いしており、東京駅のイキリオフィスから電車で最寄り駅まで帰宅途中に日程が違うことを確認しました。
もうダメだ、仕事のしすぎと頭を抱えていましたが、なんと今日は母校の野球部が決勝進出をかけた試合に臨んでいました。
しかも、4番バッターの選手は、僕と苗字も出身校も同じです。
これは、応援しないわけには行きません。
PCの前で固唾を飲んで見守ります。
しかし、結果は残念ながら、5対3で負け。
中盤の一発に泣きました。
僕達の世代が甲子園に行ってからはや六年。
あれから甲子園の舞台は、少し遠ざかっています。
今年の世代もまた、甲子園に行くだけではなく、試合をして勝たなければいけない。
そんな力量を持っていたチームだと思います。
社会人になった今でも、あの黄金に輝く地獄の日々は一瞬たりとも忘れません。
あの地獄の三年間があったからこそ、今の自分がいます。
スギモトの引退した次の日は、朝目覚めてまた練習に行こうとしました。
しかし、「あ、もう練習いかなくていいのか。」と我に帰り、寮の自室で窓の外の眺めていたら一日が終わったことを覚えています。
しかも、その日が夏休み最終日です。
もちろん宿題なんぞ、新大阪駅の甲子園宿舎にぶん投げてきました。(比喩表現です。)
それくらい本気で、ある種病的なまでに命をかけて野球に取り組みました。
高校生という多感な時期に、全てを投げ打って野球を取り組む。
辛いことしかありませんでしたが、あの経験は間違いなくこれからの人生の生きる糧となります。
どうか、彼ら野球人生に幸多からんことを願います。
そして、今よりもずっとずっと大人になって、「あの時しんどかったけど、最高だったな。」と語りあい、今度は自分の息子の悩みに耳を傾けられるようになってほしいです。
僕はずっとあの夏で止まっています。
人生で一番最初で一番大きな挫折したあの夏が、生涯動き続けることはないでしょう。
でも、あの夏にはあの夏の甲子園には、人生の一回や二回をくれてやるほどの魅力があります。
「夏の甲子園」という魔物に取り憑かれた、男の話でした。
いつか高校野球と甲子園を取材したい。
思い出話をしていると涙が出てくるので、もうやめます。
進めなければならない記事が全く進んでいないので、夜なべまっしぐらコースですね。
それでは、また明日。