プロパガンダ本に見えてプロパガンダ本じゃなくてちょっとプロパガンダ本な本『実子誘拐』【読書メモ】
基本情報
題名:実子誘拐
副題:「子供の連れ去り問題」――日本は世界から拉致大国と呼ばれている
編者:はすみとしこ。ホワイトプロパガンダ漫画家。著書に『そうだ 難民しよう!』(青林社)など。
出版:2020/12/10
発行:株式会社ワニブックス
読書の時期
開始:2023/02/03
終了:2023/02/03
感想・評価など
※個人の見解強めです。
実子誘拐問題とは
実子誘拐問題について簡単に解説すると、離婚後の親権獲得を有利に進めるために、もう一方の親の同意なしに子どもを連れ去り別居する行為のことだ。
2023年2月現在、日本は単独親権制であり、親権の判断にあたっては監護継続性の原則が慣例的に重視される。この原則についてとても簡単に言うと、離婚調停を行なっている時点において子を監護している側に親権が与えられるべきという考え方だ。もちろん虐待行為や監護能力の不足などが認められる場合には適用されないが、子を現在監護しているという事実により、親権獲得において非常に有利な立場に立つことができる。そして、別居親が子どもを自分の居所に「連れ戻そう」とすると、未成年者略取罪が成立してしまう。
これらのことにより子の「連れ去り勝ち」とでもいうべき事態が発生している。これが実子誘拐問題とされる。
大きな話題となった契機は2020年7月にEU議会から日本政府に対し勧告決議が出たことだ。ハーグ条約とは「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」であり、その中で「子を元の居住国へ住まわせること」「親子の面会交流の機会確保」を謳っている。日本も2014年に批准しているが、これに違反し、連れ去った側が国際指名手配を受けるまでに至るケースも発生している。であるのにも関わらず、日本はその条約にそぐわない国内法・慣例を放置していることが問題視され、このような勧告がなされるに至ったという経緯がある。
とりあえず、このような前置きをした上で本書の感想を書こうと思う。
これってプロパガンダ本なんじゃ……?
はじめに断っておきたいのは、この本はある特定の政治的思想を支持しているという点。例えば冒頭に掲載されている漫画には「パヨ法務事務所」という悪徳弁護士事務所が登場し、「ジェンダーフリーNPO」は「公金使って国体破壊」を自認する形で描かれている。これらの表現が、果たして事実に基づいているかというと、むしろ著者の政治的スタンスに依拠していると考える方が自然だろう。
白状すると読み始めてしばらくは苦痛の方が強かった。実子誘拐という問題をつい最近耳にし、詳しく知るためにAmazonの評価が高い本書を読もうと思ったのだが、その実態を明らかにするよりも、関係団体・組織・思想を非難することが目的であるように感じられたからだ。
「この問題の背景には中国共産党が潜んでいます!」「家族解体を目論む左翼の陰謀だ!」と言われても、むしろ卑近であったはずの実子誘拐問題がどんどんと政治の俎上に載せられ、遠いところに行ってしまうような感覚があった。もちろん前半にも傾聴に値する議論は存在したのだが、政治的スタンスとの混同が著しく、素直に頷く前に「?」となってしまう場面が多々あった。
これらは建設的でない政治議論に良く見られる、敵対者の矮小化、問題の単純化の弊害だ。
「利権護持に躍起な敵対者」あるいは「悪質な企みを持つ敵対者」が「この問題を引き起こして」おり、彼らを「成敗」することで「万事解決」する。こういった論法が明示的でないにしろ通奏している。
実際のところ、このような論法が展開されるにあたって、その敵対者もなんらかの社会的正義に対する信条や良心に従って行動していることや、問題が複数の社会的要因により引き起こされているであろう点はあまり考慮されない。例えば本書で槍玉に挙げられているフェミニズム団体に関してだが、「日本のフェミニズム団体」に対して種々の批判があることは私自身も承知している。しかしフェミニズム思想自体を否定するのは、フェミニズム運動が、現在社会的正義として認められている女性の選挙権獲得に寄与してきた事実などをも否定することになってしまうのではないか?という点など。
要するにあまり良質な本ではないな、と感じたのが前半部分の感想である。ここで読むのをやめていたら、きっと感想を書くこともなかっただろう。
もしかしてプロパガンダ本じゃないんじゃない?
風向きが変わるのは135ページ目『「子供の連れ去り問題」その当事者の心理』(臨床心理士・石垣秀之)から。
この章は本書の中で最も秀逸だと思う。虐待を受ける子供の心理、離婚や親との別居が与える成長への悪影響や片親疎外の問題、さらには子を連れ去られた親、連れ去る親の双方の心理に至るまで網羅的な解説を試みている。
秀逸であると評価するのには二つ理由がある。一つは「実子誘拐」という問題が当事者たる子ども、そして両親に対しどのような悪影響をもたらすかという点を、専門家の見地からわかりやすく記述してある点。二つ目は「子どもの健全な成長」という基本理念が全体を通底している点だ。
なおのこと指摘しておくと、おそらく本章の筆者の門外であろう「悪徳弁護士」に関しては若干怪しい(根拠に乏しい)記述が見られる。
とはいえ本章は、この本の中で初めて登場する「骨太」かつ「実際問題にコントリビュートする」章と言えるだろう。
最高に面白いのが194ページからの『司法の現場からのまなざし』(弁護士・古賀礼子)だ。なお、この章を面白く読むには前半部分をきちんと通読しておく必要がある。
この章は本書の監修を行なった弁護士による執筆なのだが、実子誘拐に関する司法・立法の構造的な問題と、解決案の提言がなされている。しかし一番読むべきは散々書かれてきていた「離婚ビジネス」の問題に対しての言及だ。
まさかの全否定である。
正確には全否定ではない。誇張されているとしても、そのように見える場合もあることは真摯に受け止めなくてはならないと書き添えられてはいる。
しかしこれまで散々悪者にしてきた「悪徳弁護士」の問題を「実態と異なる」とバッサリ切り捨てるのは衝撃的だったし、なにより監修弁護士の立場でこれを載せるのも挑戦的だ。
本書の内容を鵜呑みにして悪徳弁護士に対する義憤を募らせながら読み進めてきた読者は本章をどのように読むのだろうか?と想像せずにはいられない。「こいつも結局悪徳弁護士の仲間なんだ!」と思うのだろうか。しかし、彼女は単なる寄稿者の一人ではなく、本書の監修を担当する弁護士であるという事実が(つまり前半部分の著者たちも彼女の主張を了解しているという事実が)、その理解の固持を難しくするのではないだろうか。
最終的に読者はこう思うのだ。「本当にこの本に書いてあることは全部正しいの?」と。
これ以降の章では前半部分のような調子に戻るのだが、上に挙げた2章の存在により本書は単なるプロパガンダ本に終わらない、なんとも言えない味わい深さを帯びているのである。
この本から学べること
この本から学べることは大きく分けて二つだ。
一つは実子誘拐問題に関する知見。現状がどうなっており、どの点で問題化しているかについては、特に石垣氏の記述から十分な知識を得ることができるだろう。
ただし、当然ながら本書は実子誘拐を問題化する立場で記述されている。たとえば現行の制度は遍くDV被害に遭う人を救うという意味では機能していると言えるだろう。他方で、虚偽DVによる被害は見過ごされている。双方の見解が食い違うことも十分想定し得るだろう。
要は、グラデーションのどこにラインを引くかという種の議論になっており、往々にして各種のイデオロギーや利害関係の対立が深く関わっている。ともすればエシカルな議論が先鋭化するのも宜なるかなという具合である。
個人の見解を述べるのであれば「親の権利」を護持せんがために「子どもの権利」を歪めるようなことがあってはならないと考えている。しかし、現状では「親の権利」が主たる論点となっており、議論がややこしくなっている(というか建設的でない色合いを帯びている)のではないかと感じた。
さて、もう一つは、個人的には意外な帰結となるのだが、「多角的な読解」に関する知見である。前章で書いたように、本書は本の内容を鵜呑みにしてしまうタイプの読者に対して一撃を喰らわせるような構成になっている。おそらくこれは編者が意図してのものではないと思っているのだが、これにより読者は「離婚ビジネス」における「法曹関係者の主観」のみならず、「国家転覆を狙う左翼」とか「フェミニズム団体」の「主観」についても興味を持つのではないだろうか。そして、もしかしたら彼らが「労働者の権利」「女性の権利」に対して負う役割についての洞察を得る機会を提供することになるかもしれない。その上でどの見解に帰着するかは、それこそ各個人の良心や利害関係に帰するものだろう。
本書は期せずして、本書が標榜する特定の政治信条、さらには「実子誘拐問題」や「共同親権の是非」に対してさえ「多角的な読解」を読者に強いるのである。
真面目に読むとアクが強くて受け入れにくいかもしれない。でも面白がって読む分にはとても面白い本である。