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「デカルト」哲学散文9

近代西洋哲学の父「デカルト」

はじめに

哲学散文をシリーズで読んでいただきありがとうございます。
これまでは古代ギリシャ哲学の源流を学び、中世の神学的な考え方を探り、そして東洋思想の釈迦と孔子に触れてきました。
これらの思想は人間とは何か、世界はどのようにできているのかについて、時代は違えどそれぞれユニークな哲学や思想を提供してくれています。
今回はその新たな一歩として、近代西洋哲学、特にその父と呼ばれる
ルネ・デカルト(1596-1650)の思想に目を向けてみましょう。
「でも、なぜ今デカルトなのか?」と思う人もいるかもしれません。
それには大きな理由があります。デカルトは、中世から近代への大きな転換点に立っていた人物です。
彼はこれまでの哲学とは全く違うやり方で真理を探究しました。
彼の考え方はちょうど科学が大きく発展し始めた時期と重なっており、現代の私たちが当たり前のように行っている論理的・科学的な考え方の基礎を作っています。
デカルトを学ぶことは一人の哲学者について知ることではありません。
私たちが日常的に行っている「考える」という行為の原点を理解することであり、現代社会の基盤となっている世界の見方がどのように形作られてきたかを知ることでもあるのです。
古代から中世、東洋の思想を学んできた今、デカルトを通じて近代的な考え方の誕生を理解することで、みなさんの哲学的な理解はさらに深まることでしょう。

近代西洋哲学の父「デカルト」

ルネ・デカルトは、「近代哲学の父」と呼ばれる哲学者です。彼の考え方は、中世から近代への大きな転換点となり、その後の西洋哲学に多大な影響を与えました。デカルトは、「合理主義」という考え方の基礎を築き、科学的な思考の発展に大きく貢献しました。
では、なぜデカルトが近代西洋哲学の父と呼ばれるのでしょうか。その理由を見ていきましょう。

デカルトの生涯と時代背景

まずは、デカルトがどんな人物だったのか、そしてどんな時代に生きていたのかを見てみましょう。
デカルトは1596年、フランスのアンドル=エ=ロワールのラ・エー(現在はデカルトという名前の町です!)で生まれました。彼が生きていた17世紀は、ヨーロッパが大きく変わりつつある時期でした。

この時期は宗教改革の影響が続いており、30年戦争(1618-1648)戦争が起こっています。
また、科学が急速に発展し始めた「科学革命」の時代でもありました。

これらの出来事により、人々の世界の見方が大きく揺らいでいた時代だったといえます。
デカルトはイエズス会が運営する学校で最高レベルの教育を受けましたが、彼はその教育に満足せず、既存の知識に疑問を持つようになります。
1616年に法学士を取得しましたが、学者にはならず軍隊に入ります。
1619年11月10日デカルトは3つの夢を見ます。
この夢がきっかけとなって、彼は新しい「普遍的な学問」を作ることを決意します。これが後のデカルト哲学の出発点となりました。
1628年にオランダに移り住んだデカルトはそこで約20年間を過ごし、主要な著作を残します。この時期に彼は科学的な研究と哲学的な思索に没頭し、近代哲学の基礎を築いていきました。
1649年スウェーデンのクリスティーナ女王に招かれて同国を訪れますが、厳しい寒さが原因で体調を崩し、翌年2月に肺炎で亡くなりました。
デカルトの人生は、まさに中世から近代への移り変わりの時期と重なっています。
彼の思想はこの時代の変化を反映すると同時に、新しい時代の始まりを告げるものでもあったのです。

中世から近代への転換


デカルトが登場する以前の中世の哲学は、主にキリスト教の教えに基づいた考え方が中心でした。
しかし、デカルトはこのような伝統的な考え方に疑問を投げかけ、新しい哲学の方法を提案しました。
彼の斬新な発想は、「すべての知識を疑うところから始める」というものでした。
そして、確実な知識を一から再構築しようとしたのです。
これは今までの哲学とは全く異なるアプローチでした。

デカルトの哲学は新たな確実性を求める試みだったと言えるでしょう。
具体例を挙げてみましょう:
中世の考え方
「神が世界を創造したのだから、世界の真理は聖書の中にある」
デカルトの考え方
「すべてを疑ってみよう。そして、疑いようのない確実な知識から、世界を理解し直そう」
デカルトの考え方は自身の理性を使って、世界を理解しようとする近代的な思考の始まりだったのです。

デカルトの主要著作

デカルトの考え方を理解するために、彼の主要な著作を見てみましょう。ここでは、三つの重要な著作について詳しく見ていきます。

『方法序説』(1637年)

正式な題名は『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話。加えて、その試みである屈折光学、気象学、幾何学。』です。
この本でデカルトは、自身の哲学的な方法論を展開しています。
本書の中で、デカルトは四つの重要な規則を提示しています:
a) 明証性の規則:明らかに真であると認識できるもののみを真として受け入れる。
b) 分析の規則:問題をできるだけ小さな部分に分割する。
c) 総合の規則:単純なものから複雑なものへと順序立てて考えを進める。
d) 枚挙の規則:見落としがないよう、全体を見渡し再点検する。
これらの規則は、現代の科学的な考え方の基礎となっています。
例えば難解な数学の問題を解く際に、問題を小さな部分に分けて考えたり簡単な部分から順番に解いていったりしますよね。これはまさにデカルトの規則を応用しているのです。
また、この著作の中で有名な「我思う、ゆえに我あり」(Cogito, ergo sum) という言葉が初めて登場します。この言葉については、後でもっと詳しく見ていきましょう。

『省察』(1641年)

正式な題名は『第一哲学に関するの諸省察』です。
この著書ではデカルトの思想がより体系的に展開されています。
全部で6つの「省察」(深く考えること)から構成されており、それぞれの内容は以下の通りです。
第1省察:疑いうるものについて
第2省察:人間精神の本性について
第3省察:神の存在について
第4省察:真と偽について
第5省察:物質的事物の本質について
第6省察:精神と物体の実在的区別、および両者の結合について
「方法的懐疑」から始まり、「我思う、ゆえに我あり」の確立、神の存在証明、そして外界の存在証明へと議論が展開されています。
特に第2省察で展開される「我思う、ゆえに我あり」の議論はデカルト哲学の核心部分として重要です。

『哲学原理』(1644年)

この本はデカルトの哲学体系を総合的にまとめたものです。全4部から構成されており、それぞれの内容は以下の通りです。
第1部:人間の認識の原理について
第2部:物質的事物の原理について
第3部:可視的世界について
第4部:地球について
形而上学(目に見えない世界についての哲学)から自然学(現代の物理学のようなもの)まで幅広いテーマが扱われています。
特に第2部以降で展開される「機械論的自然観」(世界を巨大な機械のようなものとして捉える見方)は、近代科学の発展に大きな影響を与えました。

これらの著作を通じて、デカルトは近代哲学の基礎を築き上げていったのです。

「我思うゆえに我あり」

方法的懐疑

デカルトの哲学の出発点は「方法的懐疑」と呼ばれるアプローチです。
これは自分が知っていると思っているすべてのことを疑ってみるという方法です。
なぜそんなことをするのでしょうか?
それは、本当に確実な知識を見つけ出すためです。

デカルトは次のように考えています。
感覚による知識は信用できないかもしれない。
(例:遠くから見ると四角い塔が、近づくと丸い塔に見えることがある)
数学的真理さえも疑わしいかもしれない。
(例:悪魔が私たちをだましているかもしれない)
最終的には自分の存在さえも疑ってみよう。

この方法的懐疑は『省察』の第1省察で詳しく展開されています。
デカルトは感覚の誤りや夢の可能性を指摘し、さらには「欺く神」や「悪意ある悪魔」の仮説まで持ち出してあらゆる知識を疑っていきます。
しかし、このような徹底的な懐疑の末にデカルトは一つの確実な真理にたどり着きました。
それが有名な「我思うゆえに我あり」(Cogito, ergo sum)という命題です。
たとえすべてを疑ったとしても、「疑っている自分自身の存在」だけは否定できない。これがデカルトの哲学の基礎となる考え方です。

この命題の意味を考えてみましょう。

たとえすべてを疑ったとしても「疑っている自分自身の存在」だけは否定できない。
「私が考えている」という事実は「私が存在している」ことを必然的に意味している。

デカルトは「考える」という行為自体が、自分の存在を証明していると考えたのです。
この「我思うゆえに我あり」という考え方は、単なる哲学的な言葉遊びではありません。
これには哲学的に見て革命の意味がありました。
それまでの哲学が神や世界を出発点としていたのに対し、デカルトは人間の思考する主体(「我」)を中心に据えたのです。
日常生活での例を考えてみましょう。

あなたが朝起きて「これは夢かな?」と思ったとします。
周りの世界が本当に存在するのか、自分の体が本当にあるのかさえ確信が持てません。
しかし、「これは夢かな?」と考えている自分自身の存在だけは、否定しようがないですよね。
これがデカルトの言う「我思うゆえに我あり」の本質なのです。

この考え方の影響は現代にも及んでいます。
自己意識の重要性:現代心理学や精神医学では自己意識が重要なテーマとなっています。
人工知能(AI)の研究:「考える」ことと「存在」することの関係は、AIに「意識」を持たせることができるかという議論にもつながっています。
認知科学:人間の思考プロセスを科学的に研究する認知科学の基礎にも、デカルトの考え方が影響しています。

心身二元論

デカルトのもう一つの重要な考え方が「心身二元論」です。
これは人間を「思考する実体」(res cogitans)と「延長する実体」(res extensa)の二つに分けて考える方法です。
簡単に言えば、心(精神)と身体を別のものとして捉えたのです。

この考え方を日常的な例で説明してみましょう。
あなたが「ピザが食べたい」と思ったとします。
この「思い」は目に見えず触ることもできません。
一方、実際にピザを食べる行為は身体を使って行います。
デカルトはこの「思い」の部分を「思考する実体」、実際に行動する身体の部分を「延長する実体」と考えたのです。

心身二元論の特徴
心は空間的な広がりを持たず、分割不可能。
身体は空間的な広がりを持ち、分割可能。
心と身体は本質的に異なるものだが、相互に作用し合う。

この考え方は、『省察』の第6省察で詳しく論じられています。

心身二元論の意義
科学的研究の促進:身体を「機械」のようなものとして捉えることで、生理学や医学の発展につながりました。
心の独立性:心を身体から独立したものと考えることで、個人の内面や精神性に注目が集まりました。
宗教との調和:魂の不死性を保持しつつ、科学的な身体研究を可能にしました。

しかし、この考え方には問題点もあります。
最大の問題は心と体がどのように相互作用するのかが説明困難なことです。

例えば「ピザが食べたい」という思いが、どのようにして体を動かしてピザを食べる行動につながるのか。
明確に説明することが難しいのです。

数学的方法と機械論的唯物論

デカルトは優れた数学者でもあり、その数学的な考え方を哲学にも応用しました。
彼は数学のように明確で確実な知識を哲学でも追求しようとしたのです。
デカルトの数学的方法は『方法序説』で提示された四つの規則に明確に表れています。
特に問題を小さな部分に分割し、単純なものから複雑なものへと順序立てて考えを進めるという方法は数学の問題を解く時のアプローチそのものです。

このアプローチは、現代の科学的思考法の基礎となっています。
また、デカルトは自然界を巨大な機械のようなものとして捉える「機械論的自然観」を提唱しました。
この考え方は『哲学原理』で詳しく展開されています。

機械論的唯物論

世界はすべて「物質」でできている。
物質の動きは機械的な法則によって説明できる。
生物の体も一種の機械として理解できる。

この考え方を日常的な例で説明すると時計を思い浮かべてください。時計は歯車やばねなどの部品が組み合わさって動いています。
デカルトは自然界全体もこの時計のように、様々な「部品」(物質)が機械的な法則に従って動いていると考えたのです。

しかし、この見方にも限界があります。

生命現象の複雑さを十分に説明できない。
意識や感情といった内的体験を説明しにくい。
現代の量子力学などの発見と矛盾する部分がある。

デカルトの科学的業績

デカルトは哲学者であると同時に優れた科学者でもあります。
特に数学の分野で重要な業績を残しています。

解析幾何学の創始

デカルトの最も重要な科学的業績の一つは、解析幾何学の創始です。
彼は幾何学的な図形を代数的な方程式で表現する方法を考案しました。
これにより幾何学的な問題を代数的に解くことが可能になりました。
具体的には平面上の点を二つの数(x座標とy座標)で表す「デカルト座標系」を導入しました。
この方法により、例えば円や放物線といった曲線を方程式で表すことができるようになりました。
日常生活での例
地図アプリを使う時、ある場所の位置を緯度と経度で表現しますよね。これはまさにデカルトの考え方を応用したものです。
この発見は、数学だけでなく物理学の発展にも大きく貢献しました。

光学への貢献

デカルトは光学の分野でも重要な貢献をしています。
彼は光の屈折に関する「スネルの法則」(デカルトの法則)を独自に発見しました。
この法則は光が異なる媒質の境界面を通過する際の屈折角を説明するものです。
日常生活での例
水中に差し込んだ棒が曲がって見えるのはこの法則によるものです。
また、虹の形成メカニズムについても正しい説明を与えました。
虹が水滴内部での光の屈折と反射によって生じることを示したのです。

生理学への関心

デカルトは生理学にも強い関心を持っていました。彼は人体を一種の機械とみなし、その働きを機械的に説明しようとしました。
例えば血液循環や神経系の働きについて、当時としては先進的な見解を示しています。
これらの科学的業績はデカルトの哲学的思想と密接に関連しています。

デカルトの与えた影響

デカルトの考え方は、哲学だけでなく、科学、数学、さらには私たちの日常的な思考方法にまで広く影響を与えています。

近代哲学への影響

デカルトは「近代哲学の父」と呼ばれるように、彼以降の哲学に決定的な影響を与えました。
特に以下の点が重要です

a)主観性の重視
「我思う、ゆえに我あり」に代表される、考える主体としての「私」の確実性の強調は、その後の哲学者たちに大きな影響を与えました。
カントという哲学者は私たちの認識の仕方が世界の見え方を決定するという「コペルニクス的転回」と呼ばれる考え方を提唱しましたが、これはデカルトの影響を受けたものです。
b) 合理主義の発展
デカルトの思想はスピノザやライプニッツといった後の哲学者たちに受け継がれ発展させられました。彼らは理性的な思考によって世界の真理を理解できるという考え方を深めていくことになります。
c) 懐疑主義への対応
デカルトの方法的懐疑は私たちが本当に何かを知ることができるのか、という認識論の問題に大きな影響を与えています。

デカルトへの批判と現代的解釈

デカルトの思想は革新的であった一方で、多くの批判も受けてきました。
ここでは主な批判とそれに対する現代的な解釈を見ていきましょう。

心身二元論への批判

心と体を別の実体とする二元論は、心身の相互作用をうまく説明できないという問題があります。
「思考」がどのようにして物質的な体に作用するのか、その逆はどうなのか、という問題(心身問題)は未だに哲学的難問となっています。
現代的解釈:現代の認知科学や脳科学は、心と脳の密接な関係を明らかにしています。
特定の脳部位の活動と特定の心的状態が対応することが分かってきました。しかし、意識の問題(なぜ脳の活動が主観的な体験を生み出すのか)など、デカルトが提起した問題の本質的な部分は依然として解決されていません。

方法的懐疑の限界

デカルトの徹底的な懐疑は、実際の知識獲得のプロセスを正確に反映していないという指摘があります。
現代の認識論では完全な懐疑は不可能であり、また必要でもないという立場が主流です。代わりに文脈依存的な知識や、修正可能な信念体系という考え方が提案されています。科学的知識は絶対的な真理ではなく、新しい証拠によって常に修正される可能性があるものとして捉えられています。

機械論的唯物論への批判

デカルトの機械論的自然観は、生命現象や意識現象を十分に説明できないという批判があります。また、現代の量子力学の知見は、デカルトの決定論的な世界観と矛盾するように見えます。
現代的解釈:現代科学は、デカルトの機械論的自然観を超えて、より複雑でダイナミックな自然理解を提示しています。例えば、生態系の研究では、個々の要素の相互作用が予測不可能な結果を生み出すことが知られています。しかし、還元主義的アプローチや数学的モデル化など、デカルトの方法論的遺産は科学の基本的なアプローチとして生き続けています。

神の存在証明への批判

デカルトは「我思うゆえに我あり」という「確実な地点」から出発して、神の存在証明を試みました。

その論証は以下のようなものでした。

考えている私の存在は疑いえない。
考えている私の中にある観念もまた疑いえない。
観念には「モノ」「動物」「人間」「神」の四つがある。
これらを完全性という観点で評価すると「モノ<動物<人間<神」となる
より不完全なものはより完全なものの原因たりえない。
「神の観念」の存在は疑いえず、また「神の観念」の原因は人間たりえない。
したがって、「神の観念」の原因は人間より完全な神だけである。
よって神の存在が証明される。

この証明は現代の私たちにとっては到底納得できるものではありません。デカルト自身も、この証明については不満を感じていたようです。彼は友人宛ての手紙で、この部分が「全篇の中の一番練れていない部分」だったと告白しています。
デカルトの神の存在証明は、彼の哲学体系を完成させるために必要だったと考えられています。また、当時の宗教的な雰囲気の中で、自身の思想が異端とされないための防御策だった可能性も指摘されています。
現代の哲学ではこの証明自体の妥当性よりも、デカルトが示した「完全性の観念」や「無限の観念」についての考察が重要視されています。

まとめ

最後にデカルトの言葉を一つ紹介して締めくくりたいと思います。
「良識はこの世で最も公平に分配されているものである。なぜなら、誰もが自分の分は十分持っていると考えているからだ。」
私たち一人ひとりが理性的に考え、判断する能力を持っていることを示唆しています。
同時に自分の考えを絶対視せず、他者の意見にも耳を傾ける謙虚さの重要性も教えてくれます。
デカルトの思想を学び、自ら考え、疑い、そして確信を得る。
そんなプロセスを大切にしながら、複雑な現代社会を生き抜いていく。
それこそが、デカルトから学ぶべき最大の教訓ではないでしょうか。

次回の哲学散文でも、引き続き近代哲学者を紹介していこうと考えています。ロックかスピノザかカントか・・・。
悩ましいので全員やるかもしれません。
この哲学散文を読んで少しでも哲学に興味を持っていただければ幸いです。

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