津島佑子「ジャッカ・ドフニ—夏の家」書評(1) (評者:山下綾花)
久しぶりの更新になります。3週分まとめての更新になります。まずは先々週の3回生ゼミ、津島佑子の短篇を読みました。
「ジャッカ・ドフニ―夏の家」書評(『現代小説クロニクル 1985~1989』収録)
評者:山下綾花
近しい人との別れは、人生で最も悲しいことだ。人は皆いつか死ぬと分かっていても、いざその絶望に直面したときすんなりと受け入れることは容易ではない。同じ「死」でも関係性によって感じ方は違う。親を亡くすことは「過去」をなくしたと感じ、パートナーを亡くしたときは「現在」をなくしたと感じ、子を亡くすことは「未来」をなくすことだと感じる。津島佑子の『ジャッカ・ドフニ―夏の家』はそんな亡き息子をめぐる幻想の物語だ。
老いた母の一人暮らしを心配していた「私」は娘と息子の3人で母のもとへ移り住もうとしていた。そこで母と相談し、思い切って古い家を建て直すことを決めた私たち。4人ともが自分なりの設計図を何枚も描き、私たちの新しい家に夢を馳せていた。ところが息子の突然の他界により、あれほど熱中して想像していた私たちの移転計画は実現されることはなくなってしまう。あまりに多くの家を夢に見すぎていた「私」は体の中で収集がつかなくなってしまっていた。小屋としか呼べそうにない小さな細長い家や、透明なガラスに囲まれた広い建物、ジャングルジムのような設計のメチャクチャな家。頭の中でいろんな家に移転しては4人で住んでいるところを妄想し続けた。とある日マンションの郵便受けには大量の糸ミミズが入ったビニール袋が届いた。息子が飼いたがっていたイモリの餌だった。次は息子が来る番だと思った。「私」はいまも住まいのマンションで息子の帰りを待ち続けている。
たとえそれがどんなに的確な、しかも一般的な言い方であるとしても、私は、息子が死んだ、という言葉を口にする人を恨み、腹を立てるのを通り越して、軽蔑してしまう。
すべての亡き誰かは誰かと特別な思い出があり、ただ「死」という言葉だけでは片づけられないような自分たちだけの物語があって、それでも他人からは分かってもらえない部分はどうしてもあるもので、あれほど客観的に「死」という言葉をつかえるのだ。同じ「死」という言葉でも重みは天と地ほど違う。母が死んだときも、まだ生きていると必死に訴えている「私」と、早々に葬式の準備に取り掛かる冷酷な周囲の対比は、そんな無力さを悟らずにはいられなくさせた。
ジャッカ・ドフニ、「大切なものをしまっておく場所」には、楽しかった思い出が残されている。誰もが心のどこかに「ジャッカ・ドフニ」があって、死別した人との記憶が大事に保管されている。その思い出が写真のように色あせたとしても大切だったことには変わりがない。亡き人を思慕すること以上に、この世に残された私たちがその「死」を通して今後どのような生き方をするのかはもっと重要なのではなかろうか。彼女のように息子を生きていると信じ待ち続けるのもひとつの答えだし、息子の「死」を受け入れ向き合って生きていくことも、死を悲嘆し抑うつを経て回復のプロセスを辿ることもまた答えの一つだ。「死」というものはネガティブな出来事ではあるものの、どう学びどう向き合っていくか、死を考える上で自分の生き方を見つめられる特別な試練だと本編を読んで考えさせられた。