見出し画像

「ミュージック・ステディ」研究~「1980年のロック・ステディ」編。

 「ミュージック・ステディ」研究をやるやる詐欺になりかかっていたので、今日から徐々にやっていきたいと考えております。
一気に書くにはまだ頭が整理されていないので、思いつく度の不定期更新になりますが、ひとつよろしくお願いします。

 で、今日は「ミュージック・ステディ」の前身、「ロック・ステディ」の1980年に出た号の中から厳選した3冊(というか、それしか持ってないのでした)について書いてみたいと思います。
ちなみに私が持っているのは1月号、5月号に6月号なんですが、かなり偶然なんですが、それぞれが興味深い表紙や内容だったりします。

・「ロック・ステディ 1980年1月号」(インターナショナル音楽産業)

 YMOが表紙の1月号は活字がまだ基本縦読みなんですよね。なので、5月6月号とは開きが反対になっています。

 YMOのヨーロッパ・ツアーの写真とレポートが1ページずつ、写真は鋤田正義さん、レポートは(後にラフ・トレード・ジャパン、村松邦男さんのディレクターだった)芹沢のえさんという組み合わせです。

 後の「ミュージック・ステディ」に繋がるような特集「TOKYOのロック・サウンドとは何か?」はかなり面白いです。
中村俊夫さん、平山雄一さん、高橋竜一さんに川俣隆さんが時代の転換期ならではの文章を書いていて、近田春夫さん、南佳孝さん、平沢進さん、PANTAさん、松任谷由実さん、モモヨ(記事ではももよ表記)さん、山下達郎さんに遠藤賢司さんがコメントを寄せています。
特にミュージシャンの8人の方々は当時(もう42年前だぜ)とあまり言いたいことの根っ子の部分は変わらないんじやないかな?という内容です。
この数年後には「ミュージック・ステディ」でも「東京」について、また取り上げていて、それと読み比べるとまだ編集部の意向が弱いですね。「ミュージック・ステディ」の特異性はあらゆる面で編集部のポリシーを打ち出していく方針が強いということだと思っています。
この「ロック・ステディ」の特集はまだその点が弱いように思いますね。

 「ロック・ステディ」と「ミュージック・ステディ」の違いは他にもプレイヤー向けか否かという点が挙げられます。
これは広告や色々な記事、掲載するミュージシャンの選択に表れてますね。これは音楽雑誌の購買層の変化からと思いますが。

そして、この号の一番のトピックとしては、ステディ・ロック・ファンクションというオーディションのページにTHE MODSが登場していることでしょう。
MOZZ時代とは明らかに違う顔ぶれですし、メジャー・デビュー時とも森山達也さん以外は違うのかな?と思われます。
ファッション的にもまだブリティッシュ色が強いというか。ま、これは「ファイティング 80's」中に変化した部分が強いですね。

 その下に掲載されているのはHOT LANDINGでして、ムーンライダーズの熱心なファンの方々には白井良明さんがムーンライダーズ加入前にいたバンドとして知られているメトロファルスの前身バンドです。
伊藤ヨタロウさんや光永巌さん、ライオン・メリーさんらしき方々が写真に写ってますね。

・「ロック・ステディ 1980年5月号」(インターナショナル音楽産業)

 この号にはPANTAさんと加藤和彦さんに忌野清志郎さん、大村憲司さんのインタビューが掲載されてます。
加藤和彦さんインタビューではカメリア・レコードの話も。
EXのプロモーション・ビデオは1000万円かかったのか。。YouTubeで見ましたが。でも曲のよさと全体的なセンスは古びてないような気がします。

 この号の特集記事は「いわゆるスタジオ・ミュージシャンの場合は・・・」というもので、パラシュート座談会や松原正樹さんに密着したり、後藤次利さん、Charさん、鈴木茂さん、大村憲司さんに白井良明さんのコメントはミュージシャン側からで、アレンジャー側のコメントは矢野誠さん、鷺巣詩郎さんに深町純さんがコメントを寄せています。
これはやはりプレイヤー向け雑誌ゆえに掲載した内容なんでしょうね。
それと、フュージョンが音楽業界内で重要な位置にまだあって、その流れで注目されていたということもあったのではないでしょうか?

・「ロック・ステディ 1980年6月号」(インターナショナル音楽産業)

 この号ではステディ・ロック・ファンクションのレポートが掲載されてますね。
THE MODSは森山さんともう一人はベースの北里さんかな?メンバー・チェンジしたばかりで演奏はしなかったとか。映画「狂い咲きサンダーロード」の後でしょうね。
他にも後にメジャー・デビューしたバンドだとザ・ルースターズ、HOT LANDING、SKINにフィルムスが出演しています(ただしHOT LANDINGはメジャー・デビューせず、したのは主要メンバーが共通するバンドであるメトロファルスでしたが)。
この日、一番指名が多かったのはザ・ルースターズだったとか。
HOT LANDINGにいたライオン・メリーさんはこの日の演奏をカセットテープで持っているそうです。

 この号の特集は「真っ赤に燃えるニュー・ウェイヴ・ムーブメントを外側から見れば!?」でした。
冒頭の「現代には現代のロックン・ロール・バンドがいるのだ」を書いているのは来栖和人さん(後の吉原新一郎さん→吉原聖洋さんだったはず)です。まさにニュー・ウェイヴに刺激を受けて書いた文章のはずで、ロック・ステディ→ミュージック・ステディへの変化への共通意識というべきなんでしょうか。
市川清師さんや菅岳彦さんにもこういう部分があったからこその変化だったと推測します。
他にもダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童さん、千野秀一さんに和田静男さんの鼎談があり、Charさん、越美晴さん、森園勝敏さん、後藤次利さん、渡辺香津美さん、春日博文さん、山下達郎さんに近田春夫さんのコメントも。これまた興味深い内容です。

 それに連載記事の「ミュージシャンズ・オーディオ・チェック」も最高ですね。
1月号では難波弘之さん、5月号ではヒカシュー、6月号では遠藤賢司さんですよ。まさに私のための顔ぶれじゃないですか。
ちょっとしたコメントを引き出していますし、ホントに素晴らしい記事です。他の号も読んでみたいな。

 5月号と6月号には「ザ・ロック・マップ」TOKYO-ニューウェイヴ編という記事も掲載されていて、レポーターは小嶋さちほさんですよ。『東京ロッカーズ』や『東京ニューウェイヴ』を後追いで知った私にはメチャクチャ興奮する内容です。
ちなみに小嶋さちほさんは「ミュージック・ステディ」が月刊化された際、(1983年10月号の)加藤和彦さんの記事のインタビュアーでもあったのです。

 上手く言えませんが、「ミュージック・ステディ」は「ロック・ステディ」の落とし前をつける為の雑誌だったのかな?とか思うわけで。そして「大いなる助走」だったのかも、と。
あるイベントのために伊藤銀次さんにインタビューした時、私が持参した「ミュージック・ステディ」を見て、「(ミュージック)ステディのスタイルは80年代を席巻したよね」と呟いたことをはっきり覚えてます。

 まあ、なんにしろ「ロック・ステディ」を手に入れて、もう少し深掘りした方がいいですね。
山下達郎さんやシーナ&ロケッツが表紙の号はやっぱり読んでみたいです。

 とりあえず今日はこんなところで。

 ではまたー。

 




 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?