愛するクラブへの情熱が冷めるとき
分からないなりにサッカーを見続けて6年が経った。
沼があれば頭から飛び込んで、息継ぎをする間もなく最深部までたどり着くような愛し方を、サッカーに限らず毎度繰り返している。
文字通り何も分からなかった2017年、狂ったように毎週DAZNにかじり付いていた。
2018年はシーズンパスを契約し、ますます狂ったように毎週ゴール裏へと通っていた。
2019年はJ1のアウェイにたくさん行った。そうそうたる雰囲気の中で「強いサッカー」というやつを何となく肌で感じては、「山雅は弱いんだな」としみじみ泣いたものだ。
松本山雅FCに全振りの毎日。
あまりの傾倒っぷりに自分でも引いていた。
にわかだと思われるのも癪で、自分から人に言うことはほとんどしなかった。
熱しやすく冷めやすい性格なのは自分が一番よく知っているから、誰かに話してしまったら途中でやめてしまったときに恥ずかしいと思った。「そのうち飽きちゃうんじゃないか」と思って、自分に怯えていた。
J1に昇格したら嫌になっちゃうんじゃないか(アルウィンがものすごく混む。あと、きっと勝てなくて苦しい)。
反町監督がいなくなったら見なくなっちゃうんじゃないか。
ヒロさんもいーちゃんも、隼磨さんも(長期離脱で)いなくて、誰を見たらいいんだろうか。
声が出せないアルウィンは楽しくないんじゃないか。
J3のサッカーって面白いんだろうか(なにせ経験がないし、やっぱり「J1で戦ったことがある」というおかしなプライドは捨てきれない)。
隼磨さんが引退したあとの山雅に興味を持てるだろうか。
結論。私は今でも山雅サポをやっている。
それはもう、ただの意地かもしれない。間違いなく私の生活に「なくてはならないもの」で、それがあるからこそ日々を生きていける、という勝手な依存をしている。そう自分に言い聞かせている。
大好きだったアニメのフィギュアに埃が積もっているのに気づいたとき、いたたまれない感情になる。だから毎日手入れをする、そんな必死さに似ている。「大切なものだから大切に扱いたい」というだけで、はっきり言って日々の観戦はマンネリ気味である。
勝てない試合を観るのは飽きたし、つまらない。
とはいえ、「果たして勝てている時期がどれだけあったのか」と、ふと振り返ってみる。
2017年は結局昇格できなかった。
2018年は開幕6試合ほど白星がつかず、J2優勝しながらも最終的な勝ち点は77。
2019年は総得点数ワースト1位でJ2降格。
コロナ禍のことは、思い出したくもない。
苦しいのだ、常に。苦しくなかったシーズンなんて私には無かった。
だから、山雅サポでいることは「苦しいもの」だと染み付いてしまっている。
たぶん、私は苦しいのが好きなのだ。爽快に勝ち続けるサッカーはきっと、別の意味でつまらない。
いっそ最近は自信が芽生えている。「こんなに苦しいのに6年続いているのだから、生半可なことで愛が冷めたりはしない」と。
山雅にハマりたての頃、親しい友人にも、職場の先輩にももちろんサポーターがいた。
JFLや、あるいは北信越リーグ、その更に前から応援していた、なんていう人も珍しくなかった。
「昔はよくゴール裏に行ったよ」という台詞をいろんな人から聞いた。
私が足しげくゴール裏に通っていることを話すと、その人たちはきまって「すごいねえ」なんて微笑む。そして、「もうそんな元気ないよ」と言う。
寂しいなあ、と思っていた。きっと私と同じ熱量で応援していた人たちが、こんなに苦しい状況の中で微笑みながら山雅を話す。憂うわけでもなく「勝てないねえ」って呑気に言う。
すごくなんかない。かつてあなたたちも、同じように毎週飛び跳ねていたんだろう。熱い魂を持っていたんだろう。
少しでいいから思い出してくれよ。そのときみたいに真剣になってくれよ。
そんなふうに内心憤ったこともあった。
いま、私はその人たちと同じ顔で「勝てないねえ」って呑気に微笑んでいる。
寂しいなあ、と思う。あのときみたいに夢中になりたい。もっと、胸を焦がすような熱狂をくれるプレーが見たい。
でも。一喜一憂するのに疲れてしまった。
少しずつ熱が冷めていくのが、まるで夢から覚めていくようで、泣きたくなるほど胸が痛い。嫌いになりたくないのに、嫌いになりたくないからこそ、大好きなものがつまらなく思えることがつらい。
「勝てないねえ」って呑気に微笑むのは人前だけで、家に帰ったらベッドに倒れ込んだまま動けない。汗だくで頭からシャワーをかぶって、ぬるい湯にまぎれてこっそり涙をこぼしている。
こんなにつらいのにやめたくなくて、つらくないふりをする。
サポーターってなんだろう。私にできることってなんだろう。と、一生懸命考えてみる。
毎試合、10000人分の1人を減らさないように通うこと。90分間立ち通すこと。歌って、跳ねて、手を叩いて、声を枯らさないこと。圧倒的なホームの雰囲気をつくろうと意識すること。たまにはサポーターからの厳しい言葉も必要かもしれない(でも自分では言わない、向いていないので)。
そうして一生懸命やったって結局、最後の5分であっさり失点しては膝から崩れ落ちる日々。
ああ。腹立つなあ。悔しいなあ。大好きなのに。こんなに大好きなのに。
かっこいいところがうまく見つからない。もっと「私は山雅サポだ!」って、みんなが胸を張れる存在であってほしいのに。
「なんで思うようにならないんだ!」って、大好きな恋人に苛々するのに似ている。
期待なんかするからつらくて、好きで好きでたまらないから腹が立つ。一生懸命やっている?分かっているから、結果で示してくれないかな。
私が恋した人、どうしてこんなに情けないんだ!
そんなふうに大好きなものに勝手に腹を立ててしまう自分がいちばん嫌いだ。
期待して、裏切られた気分になって憤って、泣いて、感情のままに苛立ちを投げつけたって、それで誰かが幸せになることはきっとない。
だって彼らは、彼らなりに結果を出している。私たちを傷つけたくて勝たないわけじゃない。だったら、大好きなものをありのまま受け入れて、認めるしかない。
だから、サポーターを頑張るのをやめることにした。
頑張っているから見返りを求めてしまうのだ。私は私で好きにアルウィンを楽しむ。嫌いになって足が向かなくなるよりずっとましだ。
天使と悪魔よろしく、私の中の罪悪感がわめく。やめるな!声を出せ!ゴール裏に行け!90分間叫びとおせ!一体感を共有しろ!
無理やりにでも叫び続けないと、熱い魂を持ち続けないと、好きじゃなくなってしまうぞ!!
そんな罪悪感に私は淡々と言い返す。
頑張らないと好きでいられないものなんて、好きって言えるのか?
ゴール裏にこだわるからいけないんだ。
先行入場のために頑張って早起きしてしまう。ピッチ内練習に間に合うために頑張ってスタグルを頬張ってしまう。座っているのは気が引けて頑張って立って歌ってしまう。
やめよう。
そんなタイミングでアルウィンウェディングをやった。
ドレスを着てVIP席で観戦した。
ペンライトを振り、タオルを回し、歌っている人がちらほらいた。
あ、なーんだ。こんなお行儀の良い席でも歌える。
荒れた試合すら、みんなの記憶に残っておいしいな、なんて思った。
今日は一生に一度のハレの日だ。でも、選手たちや他のサポーターたちにとっては、ただの38分の1でしかない。
山雅の勝ち負けが価値を決めるんじゃない。私の今日を素敵な1日にするのは私自身だ。夫と、大事な友人たちが笑って帰ってくれたら、私はそれだけで幸せだ。
その日にサプライズでもらった村越選手のサイン入りユニフォームは貴重な宝物になった。きっと一生思い出して笑うことができるだろう。
その次、思い切ってピッチシートを買ってみた。
指定席だから空席を探す必要はない。視界を気にすることもない。
西日を受けながら走る選手たちは眩しかった。
表情も、声も、音もはっきり分かる。
肌が汗できらきら輝いて、風になびく髪がさらさらと透けて、なのに目はギラギラしていて、とんでもなくかっこいい。
身体がぶつかる音。芝生の擦れる音。
ボールってあんなに強く蹴ってるのか。
ハーフタイムにガンズくんが手を振りながら、すぐ目の前を通る。
うちのマスコット、めちゃくちゃかわいい。こんなにかわいかったんだなあ。
さらにその次、キックオフに間に合うのをやめた。
久しぶりに夫とゆっくりできる休日だった。昼は軽井沢まで買い物に行ってから上田に寄り、夜はヤマガフェスを楽しもう、というデートプランだった。
中央線を聞きながらゆったりスタグルをめぐり、ハイボールを持って北ゴール裏へ行った。
ピッチは見ていたはずだけど記憶にない。ほろ酔いで座ったまま歌って、手拍子した。
ユニフォームを着ないで行ったのは初観戦のとき以来だ。おかげで雨合羽を忘れて、大粒の雨に退席せざるを得なくなった。
帰ろうか、とコンコースを駆け抜けようとしたら歓声が上がってSEE OFFがはじまった。いつもはトイレに行く間も惜しんで、その瞬間を待っている。
あ、ゴール見逃した。
でも、いい気分だった。うれしかった。このまま勝ってくれたらもっといいな。そう思いながら、ホイッスルを待たずにゲートを抜けた。
遠ざかるチャントを口ずさみながら、お祭りのあとの子供のような気持ちで帰路についた。
楽しかった。勝ち負けなんかどうでもよかった。
そんなことを言ったら怒られてしまうかもしれないけど、いちばん大事だと思っていた「勝ち負け」を諦めたら、全然知らないアルウィンがそこにあった。
あ、そうか。大事なのは、「楽しいかどうか」だ。少なくとも私にとっては。
なぜゴール裏にいたかって、楽しかったからだ。
勝負のことなんて分かっていなかった。「サッカーなんて1mmも知らなくたって熱くなっていいんだよ」って教えてくれた山雅のゴール裏が私は大好きで、夢中になったんだ。
昇格・降格の仕組みが分かって、他のクラブのことを知って、山雅にどうあってほしいかを考えるようになって、ちょっとずつ、ちょっとずつ苦しくなった。
でも、苦しくたってゴール裏が好きだった。なりふり構わず歌えるのが楽しかった。
「応援している」っていう気分で、分かりやすく頑張るのが好きだった。
ああ、疲れたら頑張らなくてもいいんだな。一生懸命にならなくたって、ちゃんとサッカーは楽しいし、私は山雅を嫌いにならない。
6年通っても、まだまだ知らないことがたくさんあるんだ。
応援ばかり頑張っていたんじゃもったいない。もっともっと、楽しいことはたくさんある。
「また行きたい」って思えるような仕掛けが、たくさんある。
クラブのために通うんじゃない。何が楽しいのかは、私のために私が決めることだ。
ああ、松本山雅FCが好きだ。だから行きたい。応援したい。
それ以上のことはオマケでいい。
「勝てないねえ」って、昨日もまた微笑んでしまった。
今なら分かる。愛が冷めてしまったわけじゃない。
まるで熱病のような蜜月期を越えて、穏やかな平熱に変わっただけなのだ。
どんなときでもここにいること。笑ってアルウィンに通うこと。
それが何よりのサポートだと思っている。
愛を込めて叫びたくなったら、また叫べばいい。
それまでは呑気に笑いながら、「勝てばいいねえ」って、ビールでも呑んでいよう。
情熱は冷めても、愛は冷めない。
だって「山雅が好きだから」。きっと次もまた、ここにいる。
[了.]