飢饉下の食事:海外編 「観音土(ただの土)」
さて、日本以外の国々ではどうなのかと思って「飢饉と救済の社会史(高橋孝助)」という本を借りてきた。
清朝末期も近い1875年から起こった丁戊奇荒(ていぼきこう)という大飢饉では、食うのに困った人々が草根や街路樹の樹皮、騾馬や驢馬といった家畜やその糞までをも食い尽くし、果ては石を粉にして雑穀と混ぜてケーキを焼いたり(山西省を訪れた宣教師ティモシー・リチャードの記録より)粥に入れて嵩増ししたりというメチャクチャぶり。もはや食べ物ですらない。
こうした食用にされる白色の土のことを中国語では「観音土」というらしい。