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2年半でまた会社を辞めた話

ウケる、何だこのタイトル。

前のnoteを見直してたら、就職したての頃の話が書いてあって、笑ってしまった。あーあ、2年半後のおまえ、また仕事辞めてるよ。

11月のことだ。私はある日、突然倒れた。

ある日目が覚めたら、濡れた布団でも身体に載せられてるんじゃないかってくらい、重かった。頭はずっと痛くて、全身の筋肉が引き攣って震えていた。起き上がってトイレに行くと、息切れがした。初めはコロナかと思ったけれど、熱もない(その後検査もした。何ともなかった。)。結局3日休んだけれど、ちっとも改善の兆しは無かった。病院に行って血液検査をして、診察室で泣いた。何ともなかったらどうしようって。

結局、何ともありません。ていうか、躁うつ病なんですか?そうしたらそれじゃないですかね。じゃ、お大事に。

医者にそう言われて、終わったなと思った。

待合室で声を上げて泣いた。もうこのままきっと、元の生活に戻れないんだ。娯楽はみんな取り上げられて、ただ死ぬのを待つだけ、ひっそり息を潜めて生きるしかないんだ。

11月の間は、2段ベッドの上に登るのも辛くて、床に布団を敷いたまま、ハムを齧って過ごした。友人の開く通話に、ミュートで入って、ぼんやり人の声を毎晩聞いていた。徒歩3分のスーパーさえ行けなくて、パジャマのままでコートだけを着て、泣きながら買い物に行った。控えめに言って、早く死んでしまいたかった。

どうしてこんな事になったんだろう。

仕事は、本当に嫌なことは沢山あったけれど、そう最悪でもなかったはずなのに。仲の良い人だっていて、ちゃんとやれてたはずなのに。

外に出れるようになったのは、12月の半ばだ。

杖を買った。そうしたら、少し歩けるようになった。もう好きだった山には行けないだろうけど、なんとか散歩はできると分かって、嬉しかった。結局ほんの少しずつ、花がほころぶようなスピードで良くなって、今週はなんと、もう行けないと思っていた、山に登ってきた。

そしたら、ああ、ぼくって、実はすごく、色んなことが嫌だったんだなあと気がついた。

苦手なことが多くて、嫌なことは嫌なのを、見ないふりしてたんだなって、この歳になってやっと気がついた。

そしたら、それを何とか避けるには、どうしたらいいんだろうって、そういうことに思考を割けられるようになった。

26歳の冬は、なんか、そういう感じだ。

置いてきた自分を取り返すような日々だ。勿論本当にお金はないし、何もかもギリギリだけど、でも、まだ大丈夫という静かな安堵がある、そんなかんじ。

それにしても、死ななければいいとは言うけれど、ぼくは、死ぬよりも、死ぬ迄のひとりぼっちで寂しい惨めな生活の方が怖い。きっとみんなもそうだと思う。どうにかならないかな。

この世にはいい匂いのする花があり 引きずる足も許せたりする/菅沼ぜりい

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