ミヒャエル・エンデの『モモ』とタスクシュートの共通点
ミヒャエル・エンデの名作『モモ』を読んだ。
フリーランス友人のエリさんが最近また読み返しているらしく、気になったから。
読むのはたぶん、人生で2回目。
初めて読んだのは中学生か高校生だっただろうか……
その時、私はこのお話がどうにも好きになれなかった。
モモを目の敵にしていた理由
『モモ』が嫌いだったワケを考察して、下記のnoteに以前書いた。
たぶん私自身が、幼い頃から灰色の男たちに時間を盗まれてしまっていたんだと思う。
……大人でもないのに。
忙しい大人である親に毎日毎日
「時間を無駄にしない!」
と言われ、あたかもそれが自分自身の意見だと勘違いしていたのかもしれない。
本を読んで、私自身の生き方まで否定されているように感じたのだと思う。
『はてしない物語』は大好きだから、エンデの文体や世界観自体は好みのはず。
それなのに『モモ』への嫌悪感がはっきりあることを我ながら不思議に感じていたが、おそらくそういう理屈かなぁと。
物語の大まかなあらすじ
簡単に、この本のストーリーを説明してみる。
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とある町の古い円形劇場に住みついた「モモ」と名乗る女の子は、みすぼらしい服装とぼさぼさの髪の毛ながら、豊かな想像力と特別な能力を持っていました。
モモに話を聞いてもらうと、誰でも不思議と悩みが解決してしまうのです。
しかし、灰色の男たちが現われてから町に大きな変化が……
「時間貯蓄銀行」から来た彼らの目的は、人間の時間を盗むことでした。
人々は時間を節約するため、せかせかと生活をするようになり、日々を楽しむことを忘れてしまいます。
友人たちを取り戻すべく、大量の不気味な男たちに1人で立ち向かうモモ。
時間をつかさどる老人「マイスター・ホラ」と少し先の未来を見通せるカメ「カシオペイア」の味方を得て、時間についての真理を知り始めるのです。
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こんな感じの話かと。
忙しい現代人に向けたファンタジー大作だ。
あれ? この話、どこかで……
読んでいて、驚くことがあって。
道路掃除夫・ベッポじいさんのセリフが、どこかで聞いたことのある言葉に見えたのだ。
これってまさにタスクシュートじゃないか……!
常に目の前の「次の一手」を考え続けることで、大きなプロジェクトが逆算する必要もなく進んでいく、という考え方だ。
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この部分にも気づきがあった。
まるで、タスクシュート協会の理念そのもののように感じられた。
豊かさは、成功とはまた別のもの。
成功しても幸せになれるとは限らない。
このような話が、51年も前に書かれていたとは……
そしてタスクシュート協会の理念に感銘を受けた私が、半世紀を経てこの本を手に取り感想を伝えようとしていて。
昔は嫌っていたのにここまで好きになれて、なんだか嬉しくなってしまった。
時間を測っても無意味か?
『モモ』には、こんな文章も書かれている。
「流れる時間は一定ではないから、測っても無意味だ」
だけで生活に支障がない人には、多分タスクシュートは要らないはず。
今この瞬間をただ楽しめばいい。
子どもはもちろんそれで問題ないだろうし、大人だって昔はそれで生きてこられた。
でも現代日本は資本主義社会で、お金がなければ生きられないようになってしまっている。
自分で時間をコントロールできている感覚を持ちたい
なんとかして自分で時間をコントロールしたい成果を上げつつも、やりたいことや好きなことをしたい
時間に追われる感覚から抜け出したい
そんな風に「悩める私たち」には、時間管理のツールか方法論が必要なのかもしれない。
そして、タスクシュートメソッドは限りなく『モモ』的な感覚に近いやり方だと思う。
タスクシューターには是非『モモ』を読んでほしいなぁ……
タスクシュートと『モモ』について、いつか皆で語り合ってみたい。
生と死と私とみんな
モモは、マイスター・ホラに連れられて不思議な空間に行く。
空くらい大きな純金の丸天井の下に丸い穴と光の柱があり、更に下には池があるような所。
星のような煌めきの大きな振り子が水面に近づくたび、少しずつ色や形状が違った美しい花が、咲いては散っていく。
光の柱からは音楽も聴こえてきていて、それらは宇宙の星々や全世界が語りかけてくる声でもあった。
この場所について、モモはホラに尋ねる。
この部分を読んだ時、頭の中にあの曲が流れた。
特に渡辺美里のファンというわけではないが、ここの歌詞は本当に好きだった。
「そう……きっと皆、そこを目指して生きているのかもしれない」
という、謎の説得力を感じたから。
ただそのために毎日もがいているのかもしれない、人間って。
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『モモ』の内容は奥深くて、死生観的な話にもなる。
人間は元いたところに帰るだとか、死は怖くないとか……
ふーむ、どうなんだろう?
ここについては私はまだまだ分からなくて、今後さらに知見を広げたり深めたりしながら探っていきたい。
いつか死に至る、その日まで。
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