父の真っ赤な赤いごはん。
うちの父は自己中心的だ。
齢80過ぎてからその勢いは落ち着いてきたものの、やっぱり自己中心的。
私が小学生の頃、母は毎朝、アロエを絞り
まずそうな顔をして飲んでいた。
なんで飲んでいるのかときいたら「胃潰瘍」のため痛みを緩和するため、と言っていたような気がする。
民間療法の類だろう。
私も家庭を持ち、家族がいる中で
胃潰瘍になるほど気をもんだことはないけれど
今思えは、母の心労は相当なものだったんだろう。
家で洋裁の仕事をしながら、家事、子供の世話、義父の世話。
わたしならぜーーーーったいやらないし嫌!なことをやっていた母。
もちろん、昭和のお父さんの父は、家のことなんぞや、やることなど皆無。
あるとき、母がとうとう胃潰瘍で入院をすることになった。
さあ大変。
小学生の私も、思いっきり母頼みだったため、カップラーメンくらいしか、食事の用意はできない。
とはいえ、毎日毎食カップラーメンもなんだし、父も苦肉の策だったんだろう。
ある朝、真っ赤なご飯が出てきた。
白い炊き立てのご飯に、ケチャップをこれでもか、と混ぜた
赤いごはんである。
父が学生の頃、お金がなくてこのケチャップご飯を食べていたと、教えてくれていた。
見た目は、あれである。
でも、せっかく父がだしてくれた真っ赤なご飯を食べないわけにはいかない。
仕方なしに、一口運ぶ。
意外といけるじゃん。
「たまごやきを乗せたらいいんじゃない?」
「それもそうだね」
わたしが言いたかったのは、卵を溶いた黄色いペラになった卵焼きだけど、父は目玉焼きを焼いてくれた。
意外といけるじゃん。
ケチャップまみれのごはんには、何にも具は入ってないけれど
後付けの目玉焼きの登場でなんとか、っぽくなったけど。
父と二人で慌てふためいて作った
真っ赤なご飯のことを、ふと思い出した。
今日は、チキンライスにしようかな。