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【ぬるま湯の作り方】それを人はまやかしだ、いんちきだと言う。

沸騰したお湯と水道水を混ぜてぬるま湯を作る。
マグカップはキッチンにあるから、まず水を入れてからリビングに行ってお湯を注ごうとしたその瞬間、どこからか聞こえてくる声。

「順番が逆だろう」

え?誰?

お湯が先か、水が先か

はいはい、お湯が先ね。
私は空のマグカップを持ってリビングまで行き、ポットの熱湯を注いでからまたキッチンに戻って水を入れる。

いやこれインスタントコーヒーとか、顆粒のスープや何かを作っているなら話は分かる。だが私は今、薬を飲むためにぬるま湯を作っているのだ。

もしかして、水とお湯も入れる順番によって混ざり具合が違うのか?はたまた美味しさが違ってくるとでも?(ぬるま湯の美味しさって何)

確かにお湯よりも水のほうが下に沈むということは、昔の風呂で経験済みである。水を溜めてから沸かした風呂にじゃぶんと飛び込むと、上の方は熱く下の方は冷たい。かき混ぜ棒みたいなのでよく混ぜてから入らねばならない。

家を建てた時、給湯器からお湯が出てくるにも拘らずかき混ぜ棒を購入し、しかし要らなかったのだと気づいた。最初から適温で出てくる風呂しか知らない今の若者は、かき混ぜ棒が何者なのか知らないどころか、【熱湯+水道水=ぬるま湯】という公式すらわからないかもしれない。

給湯器ってどうやってお湯を作っているのだろうか。おそらく熱湯に水を足して適温にしているのではなく、水を少しずつ温めて設定温度のところで上手くストップしているのだろう。しかし給湯器にしろ若者にしろ、40℃と41℃の違いが分かるのだから凄い。たった1℃冷めてきたら自動で追い焚きをしてピタッと適温で止まるのも凄い。便利で快適、いつもありがとう。

話が逸れた。今は風呂の話ではない。
マグカップでもそうなのか?水にお湯を注いだら、昔の風呂のように上の方は熱く下の方は冷たいとでも言うのか。そんなのはいんちきだ。百歩譲って、万が一そのような事態になったとて、スプーンでかき混ぜればよいだけの話だ。

ウィンナーコーヒー、あれは気をつけた方が良い。ホットコーヒーの上にホイップした生クリームが乗ってとろっと溶けているロマンチックな飲み物。うっとりと口をつけたらクリームの下から熱いコーヒーが襲ってくる。
慌てないで…そうそう、スプーンでかき混ぜた方が良いのよね。かき混ぜたら味も温度もちょうど良くなるようにできているのだからね。

「……」

まって!閉じないで!
私は2000字を目安にこれを書いているの。


まやかしなんかじゃない

その声は、私がぬるま湯を作ろうとするたびに聞こえてくる。

「順番が逆だろう。水にお湯をさしてはいけない」

どうして??
どうやら混ざり具合の話ではなさそうだ。
私は誰もいない部屋で、そのまやかしに従う。

*

似たようなまやかしは、他にもある。
来客にお茶を出すときは必ず2杯出す。帰ろうとする人を引き止めてでももう1杯飲んでもらわなければならない。

おかずを箸から箸にリレーさせた日には、速攻で「コラッ!!」と怒られる。

ご飯を日本むかし話みたいに山盛りに盛ってはいけない。
ご飯にお箸をぶっ挿してはいけない。

スニーカーの紐の結び目が縦になってはいけない。
寝るとき、頭を北に向けてはいけない。

「私はね、若い時、着物を着て電車に乗って買い物に行ったんだけど、家に帰ってよく見たら左前で!本当に恥ずかしかったの。」

声の主は言う。
縁起が悪い。
ぜんぶお葬式の時にすることだから。

逆さごと

お葬式の時には、わざと普段と反対のことをする。
「これは日常とは違う、いつもとは全く別の事なんです」というアピールをして、あの世とこの世をくっきりと分けるため。
それは送るほうだけではなく、亡くなった人にとっても生と死の区別をつけ「あの世で迷わずに過ごせますように」という『願い』が込められているのだと言う。

だから逆に言うと、「お葬式の時にすることは、普段はしちゃいけませんよ」ということだ。お葬式に行くと、あれほど普段ダメ!と言われていることを全部やっている。水にお湯を少しずつ足してぬるま湯を作り湯灌をする。箸でつまんだお骨を隣の人の箸に渡す。それを一度でも見た後は、言われなくてもトラウマになって、まやかしだろうとジンクスだろうと都市伝説だろうと何だろうと忌み嫌うであろう。

だから、めんどくさいが私はマグカップを持ってキッチンとリビングを2往復する。その度に「あーめんどくさい。慣習なんてまやかしだ、縁起なんて迷信だ」と思う。

似たような事は世界中に溢れている。「今日のラッキーカラーはスカイブルーです」「テルテル坊主を吊るすと晴れるよ」「霊柩車を見たら親指を隠せ」…証拠は?って思う。

お葬式だけじゃなくて、もうすでに幸せなはずの結婚式でも「お幸せに」って言って縁起を担ぐ。大安とか仏滅とか『縁起』って何?

でも『願い』っていわれれば、そうかもなと思う。
幸せを願う。安寧を願う。
今日一日、あの人に、そして自分自身に幸あれと願い、「お湯が先、水はあと」とつぶやきながら、ぬるま湯を作る。


しらんけど。


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