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私が泣かなくなったという話

 私は小さい頃から泣き虫でそれは大人になっても続いていた。何か人に話していても、泣きたくないのに涙が出るし、子どもの懇談でもなんでかわからないけど泣いてしまうことが多かった。仲がいい子は、また泣いてるとスルーしてくれてたけど、担任の先生だったり、私のことがよくわからない人は、泣くところあったかな?なんて思っていたことだろう。だって私だって泣きたくないのに泣いていたんだから。でも最近気がついた。私泣いてないなって。なんでも泣いてたのにどうしたんだろ。言いたいことは泣かなくても言えている。少し不思議。


なんで泣かなくなったのか考えてみた。泣かなくなったのは、娘の自由登校を受け入れ始めた時期からのように思う。こんなふうに最近は考えるようになっている。


学校に行くも行かないも、娘の人生。娘が決めればいい。


娘の人生は親の私の人生ではない。
あまりにも娘の人生を私は支配しようとしていた。だから、不登校、自由登校は許せなかった。でも、娘に娘の人生を返そう。


みんなと同じように学校に行かなくても不幸じゃない。ちょっと不便なことはあるけど。不便だったり、後悔が出ればまた道を変更すればいいことで。


みんなと同じように生きなくても、楽しく生きていける。もっと自由に、もっと自分の声を聞いて、素直に思う時間も大事にしなくちゃ。


こんな風に娘をきっかけに気持ちが変わりつつある。こうあるべきのわたしが変わったものだ。と思ったとき、私今までめちゃくちゃ我慢して生きてきたんじゃないかと思った。自由にしてきたつもりだったけど、早く父親を亡くした私は何かと母親には無理を言えなかったし、母親を助けなきゃと思って生きてきた。働いてからも、無理と思う人間関係だったり、役割を断れずに進んできたところがあった。それが私の人生だと思っていたけど。


娘が自由登校になって、私も自分の心に素直に生きようと思ったことで、泣かなくなった。あの涙は、

私無理だよ。
だれか分かって。無理してるんだよ。

そんな涙だったのかもしれない。
がんばってきたな私。偉かった。
大いに自分を讃えたい。


2022年。
もっと自由に人生を楽しもう。
子どもは子ども。私は私だから。

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