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探究をカジュアルに

「探究」する学びをつくる 藤原さと著

「探究」について少し勘違いしていたのかもしれない。

どうしてもプロセスにばかり目がいってしまうが、根底にあるのは学校なんていらないと言われている中で学校としての弱さを受け入れながら、「公正」の概念を基軸にして「学校」というものを捉え直し、再構成しようとする熱い想いなんじゃないか。その想いのエネルギーの強さが一番に伝わってきた。

「公正とは、誰もが、人種や性別や、性的な意識や、身体的、もしくは認知的能力にかかわらず、同じように価値ある人間だと感じることができる。」

日本では、あまり多様性を感じる事は少ないが、その分同調圧力が生まれ、能力によって排除されてしまう現状があるのかもしれない。この社会の中で「公正」を実現していくことができるのだろうか。

このさとさんはハイ・テック・ハイというアメリカの学校をこの本で紹介しているが、この学校もこの大きな問いを軸にして探究し続けている。大人たちも探究している姿に子供は自然と学ぶのだろう。コンテンツも大事かもしれないが、一番は先を生きている人たちの後ろ姿だと感じる。

「真理とは、理想的な探究の無制限な継続の果てに見出されるであろう、最終的な信念の収束点のこと」

自分の中での真理は探究の無制限な継続の果てにある。。。

「探究とは、疑念が刺激を受けて信念に到達しようとする努力」

自分の中で、もう真理の探究は始まっていると思う。生まれながら、自分に大きな問いが備わっている気がする。無意識にこの探究をぐるぐる回しながら、自分の中での大きな問いを軸にして回転している。ただ、この問いは人によっても違うし、死ぬときにわかるかもしれない。

自分は何にもやもやするのか。
自分はどんな人間なのか。
今何に「?」を感じているのか。

もやもや、や不確定な状況から探求はスタートする。

最後のさとさんのこの言葉が好きだ。

「言葉の内実を問い直し続ける。」
「変化を続けるというのは、大事な言葉を容易に手放すのでなく、その言葉を限りなく大事にして問い直し、探求しつづけることである。」

さなぎの状態に近いかもしれない。言葉という表面は変えながらも、中の意味するところは蝶に向けてドロドロと変化するかのように、自分の中で問い直し続け、探究し続けていきたい。

ここまですごくかっこつけたことを書いたが、一番の驚きは、ハイ・テック・ハイが教育への熱い想いからではなく、一つの大企業が人材育成のために最初はつくったということだ。LCLでも探究はカジュアルという言葉があったが、まさに小さな問いから始まり、だんだんと回転していく中で熱を帯びここまでの大きな問いになったのかもしれない。

そのことは自分をすごく勇気づけました。「探究」についてプロセスだけでなく、その根底にある想い、そしてさとさんが「探究」にかける熱い想いがよく伝わる一冊です。「探究」ってよくわからないという人は、初めにぜひ読んで見てください!読んでいただき、ありがとうございます。


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