親愛なる女性たちへ 〜ニューヨークで妊娠、出産、育児を経験している私が今できるだけ沢山の人に伝えたいこと〜
今現在2020年の5月末でもニューヨーク市内はまだロックダウンが続いている。
毎日ニューヨーク大使館から送られてくる州知事や市長が発効する条例やコメント内容では毎回、冒頭に死亡者数が5日続いて300人以下になったので(それでも100人以上毎日死んでいる)ピークは終えているという文章がいつもの挨拶のようになっている。
それでも、ニューヨーク市内ではほとんどの産業が再開していない状態。
ニューヨーク市内はエンターテイメント、美容、飲食業に従事している人がとても多く、私を含め私の周りの友人や知人も一気に失業してしまった。
それでもコロナ騒ぎの前から今でも2歳児男子と犬と猫の世話で朝から夜まで終われてクタクタなのには変わりはない。
そんな毎日を繰り返しながらずっと私の胸の奥に抱えていた事を書いてみようと思う。
まず、『ママ友』という言葉に対しての定義。
私自身、日本の高校を卒業してからそのままボストンの大学に留学し、それ以来日本に住んだのは3年程度しかないので日本の子育てをしているママたちとは環境、常識や考えがまったく違うと言われてしまえばそれはそれで良しとする覚悟で!
私はここニューヨークで妊娠し、出産をしてから『ママ友』という言葉を意識しながら同じくらいの子供のお母さんたちとコミュニケーションをしたことがまずない。
いや、『ママ友』という存在自体が私の中にない。
私は妊娠が判明して出産する数週間ほど前まで常に体調が悪く精神的にも辛い思いをしていた。
その期間私は仕事には行っていたものの、プライベートで友達や知人とあまり会うことができなくなってしまった。
今思えば、ホルモンのバランスやマタニティブルーがどうのこうのと言うより(当時はいろんな情報を集めマタニティーブルーだと思っていた)、やはり体がしんどかっただけのこと。
体が常に長期間不調な状態が続くと精神的にもイライラしたり、情緒不安になってしまうのは当たり前。
その長い期間を経て出産し、絶え間ない授乳期間が約1年続いた。
それに加え、生後3ヶ月で私の息子は食物アレルギーが原因の重度のアトピーを発症したため、私自身の食生活も食べれないものがたくさんあり、極度の産後うつの状態に陥ってしまった。
妊娠中から授乳期間中、常に私は極度に自分自身を責めていた。
そして、自分を責めると同時にいつも胸に抱いていた思いは
(子供を産んでいない人にとってこんな私はきっとただのやばい人でしかないんだろうな。きっとイライラしてて、情緒不安定な人間だと思われるんだろうな。。)
そのせいもあってどんどん孤独な世界を自ら作ってしまったように思う。
産後半年経った頃、前の職場の同僚のCさん、Cちゃん、Wちゃんの3人がうちに顔を見せてくれた。
なんとその時、私は我が家に来てくれた彼女たちに思わず、
『辛くて苦しい。幸せを感じられない。いつも死にたいと思ってる。』
と言って泣き出してしまったのだ。
その時、彼女たちは笑顔で励ましてくれてはいたが、最近になって当時の私の様子を見てびっくりしたとその中の一人が私に言った。
それからCさんは、定期的に電車に乗って、除去食の制限がある私が食べれる食材やお惣菜、おやつなんかを大きな袋いっぱいに私のうちまで持ってきて『一緒に食べよう。』と言ってくれた。
そして、毎回彼女は『母親として本当によくやっている。きっと息子のアトピーは治る。』と励ましてくれた。
彼女たちの中の別の一人、Cちゃん(二人ともCだけど呼び名が違う)も定期的に私を訪ねてくれて、たわいもないおしゃべりをし、授乳の間隔が落ち着いた頃にはうちの近所のレストランやカフェでよく一緒にご飯を食べたりお茶をするようになった。
そのまた別の彼女たちの一人、Wちゃんも頻繁にうちによく来るようになり、私の授乳が終わる頃妊娠が判明した。そして、私は彼女が持つ体の辛さや精神的な不安をまるで自分のことのように理解することができたし、死にたいとまで本気で思いつめていた私は他人様を励ませれるようにまでなっていた。
私の酷い産後鬱も、夜間授乳がなくなるとどんどん軽くなっていき、卒乳した途端、(あれ?!一体何だったんだ?!)というくらいに妊娠する前の自分に戻った。
その期間約2年。
当時いろいろ情報を集め、医学的にホルモンのバランスだとか、スピリチュアル的にどうだとか色々な人が色々なことを言っていたが、私が思うに極度の体調の悪さと睡眠不足が続くと誰だって精神のバランスは崩れるのだ。
助けを求めて頼れる身内や親がすぐにいるわけでもない国際結婚ともなれば、孤独になるのもおかしくはない。
こういったことは、子供がいるいないかかわらず、世界中のどの国でも男でも女でも社会全体が妊婦さんや授乳中のママたちを受け入れて理解してあげることが大切なのだ。
むしろ、今の私は世界中の妊婦さんや授乳中のママたちには無条件に感謝の気持ちを伝えたいとまで思っている。
この世界中の子供を持つ人、持たない人、お金持ち、男女関係なくみんなそうやって誰かが命を育んだからこの世に存在するわけだから。
妊娠している私に当時、複数の人が
『感謝が大切。感謝が足りない。』
というようなことを言っていたのを私は覚えている。
私が言うと傲慢に聞こえるかもしれないが、『感謝』というのは、自分自身がきちんと健康な状態で、最低限睡眠がとれて、食事が摂れて、毎日の生活を送れて精神的にも少なからず余裕が無意識にもあるからこそ自然と心の中から湧き出るものだと思う。
授乳中のお母さんたちの大抵の人は、最低限の睡眠も1年から2年間は取れない。ゆっくり毎食ご飯を自分のペースで食べることもできない。
妊婦さんなんて、充分に呼吸すらできないのだ。
このような現実は、子供がいなくたって理解をしてくれる人はたくさんいる。
少なからず、私の周りには沢山いた。
それを知った時、私の世界が随分と変わっていった。
それから徐々に妊娠する前からお世話になっていた人や知人とも会うようになった。
むしろ彼女たちはの中には子供がいない女性の方が多い。
それでも人見知りの息子と一緒にお茶やランチだってしてくれるし、私の子育ての愚痴だって聞いてくれる。
私だって、彼女たちの仕事の話やプライベートの話を聞く時間はとても楽しい。
我が家に定期的に私の様子を見にきてくれてたCさんとCちゃんは流産を経験している。
私が産後うつで苦しんでいる時に、彼女たちは私を笑顔で励ましながら、辛い経験をそれぞれ私に話してくれた。
普通だったら子供が欲しくてもできなかったのに『死にたい。辛い。』なんて言っている私を腹ただしく思ってもおかしくはないだろう。
それにもかかわらず、彼女たちはそれぞれ私と二人きりになった時に笑顔で『大丈夫だよ!よくやってる!」と励ましてくれていた。
Cちゃんはその後2度目の流産を経験した。
私はその話を聞いて彼女とランチをした時は”子供を失う女性の辛さ”というものを強烈に感じた。
前向きに立ち直った彼女と話していると本当の女性の強さの輝きというものを見た気がした。
女性であるがゆえに辛く苦しい試練というものが色んな状況でそれぞれ存在するんだと痛感した。
そして二人で泣きながら又励まし合った。
この経験を経て私が学んだことは、
”子供がいない人には子育てをしている人の辛さが理解できない”という考えは完全に間違っているということ。
ママであってもママでなくてもお互い理解し合える人とは理解できるし、ママ同士でも理解できない人たちはたくさんいる。
ここニューヨークでも日本人のお母さんたちのコミュニティーがあり、ママ友でストレスを抱えていたり、問題を抱えていたりという話はよくある。海外だからママ友問題は関係ないなんて絶対に言えない。
だけど、私自身にはそう言ったママ友は存在しない。
ママ友だから仲良くしなくちゃといって仲良くなった人は一人もいない。
実際、このロックダウン中も買い出しに行ったついでに食材を届けたりしながら助け合い、ご近所仲間でいつもお下がりをいただいているご夫婦も奥様は私が出産する前まではたらいていた職場が一緒だった人。旦那さんも私が妊娠する前に妊活の話なんかを電車の中でしていた人。
”お互い歳の近い子供がいるから仲良くしている人”ではない。
私自身の子育ては子供が産後間も無くアトピーを発症し、食事という究極の自然療法でアトピーを完治させたのもありとてもオーガニックを意識した育児法だ。
そんな私の子育て法を子供がいるいないに関わらず、私の親しくしている人たちはきちんと認めてくれている。
だけど、私の周りの仲良しの人たちはみんながみんなオーガニックな子育てをしているわけでもない。
粉ミルクで授乳を終了させた人もいる。
予防接種を子どもに接種させていなければ、きちんと全部接種している人もいる。
私が除去食の完全授乳をしたからといって粉ミルクで育児をしているママを悪いままだなんて思ったことは一度もない。
それぞれ一人一人、みんなのことを心から尊敬している。
彼女たちはそれぞれきちんと必死に育児をしているし、子供を愛している。
生意気に伝わってしまったら申し訳ないが、女性だけに限らず、日本の社会は、自分たちが正しいと信じているものから少しでも違う行動をする人、考えを持つ人をもっと認めて受け入れるべきじゃないだろうか?
”自分の信じることとは違うことを言うからある人が嫌い?”
”はっきり自分の意見を言う人が苦手?”
だとしたら、原因は他人ではなく自分自身にあると思ったほうがいい。
コロナの感染が世界中に広がり、また今年の寒い季節になると第二波が押し寄せると言われている。
この先、世界中の経済が今までどおりであるわけがない。
今まで当たり前だったことがどんどん崩れていくこの先、私たちはもっともっと近くにいる人たちと助け合わなければいけなくなる。
助け合って、励ましあうことが毎日の幸せの軸になる。
少なからず、ここニューヨークはすでにそのような状況になっている。
ママ友の派閥に精神をすり減らす余裕なんてなくなる。
ある意味、これからの世界は今まで以上に幸せな明るく輝いている世界なのかもしれない。