ニューヨークの明るい景色 〜なかなか元の生活に戻れないニューヨーカーたちの小さな幸せ〜
ここアメリカではどんどん新型コロナの感染者数が増えているといいます。
私が住むニューヨーク市内は地道な努力をコツコツ積み上げて、先週からようやくPhase 2(フェイズ2)という段階に突入しました。
それを機に屋外のみ飲食が許可されました。
本当は今週からはPhase 3に突入する予定だったのですが、感染者の増加防止のため、ニューヨク市長は慎重にPhase 3の移行を延期しました。
ーテイクアウトでカクテルを楽しむ
ここニューヨーク市内ではバーを営業できないレストランやクラブが持ち帰り専用のカクテルやお酒の提供をPhase 2に突入するずいぶん前から開始しました。
暖かくなるにつれ、天気のいい週末にもなればうちの近所の人たちはマスクを付けてこぞってそのテイクアウトのカクテルをコーヒーでも買うような感覚で買い求め、外で立ったまま日光浴を楽しみながら味わっています。
そしてマスクを耳にかけたまま近くに立っている人たちと世間話をここぞとばかりに楽しむのです。
アパート住まいの人たちはアパートの正面玄関に持ち運び用の小さな椅子を自分の家から出してきて、持ち帰ったカクテル片手に本を読んだり、ヘッドフォンで音楽を聴きながら、通行人や数メートル先で椅子に座っている人とおしゃべりを楽しんでいます。
誰もそれを見て怒る人もいないし、感染のリスクに用心深い人たちは、そこへ出向かないだけのこと。
ニューヨークと日本の違いはニューヨーカーはあまり他人を責めません。
いや、日本人に比べてそんなに自分以外に興味を持ってないと言った方が正しいのかもしれません。
そして、『自分の身は自分で守る。』という意識が本能的にインプットされているのです。
うちの近所では意外と思われますが、お年寄りでも天気がいいとマスクと手袋を着用して結構外に出歩いているのが現状です。
マスクをつけずに走り回る息子を慌てて引き留めようとする私に、
『いいんだよ。元気だね。』
と言って優しく息子に手を振ってくれる人もたくさんいて、毎回こちらが恐縮して誤っているのが現状です。
もちろん彼らも持ち帰り用のカクテルを片手に持っています。
ー近所のピザ屋さん
家の近所のピザ屋さんのオーナーさんとは毎日、息子と犬の散歩のついでに世間話をしますが、ずいぶん前から外に小さなテーブルと椅子を設けていました。
それは従業員さん達がご飯を食べたり、休憩するために設けられていましたが、Phase 2になるずいぶん前から持ち帰りでピザを買ったお客達がそのテーブルに座ってピザを食べていました。
そのオーナーは
『あんまり、厳しくお客にここで食べないでって言わないよ。
みんなずっとうちにいるんだ。
誰だって少しの時間、太陽の下でピザでも食べたいと思うだろ?
うちのお客は誰もテーブルで食べてるお客を責めたりしないよ。
きちんとソーシャルディスタンスも守ってて、外で待っててくれる。
数年前に癌治療をした常連客がいるんだけど、彼が来たら彼自身がお店にいるみんなに、
”俺は感染のリスクが高いからマスクをきちんとつけて距離をあけてくれないか?”
と声をかけるんだ。そうするとみんなきちんとその通りにしてくれる。』
といいます。
うちの近くには大きな警察署があるので、警官が常にたくさん歩いています。
なので心配になって私はそのオーナーに
『警官がいつも見回りしてるでしょ?テーブルで食べてるお客さん逮捕されたりしない?!』
って聞くと、
『警官たちがうちで勤務中ピザと飲み物買って、このテーブルで食べてるんだから。
彼らだって人間さ。
今警官たちも毎日色々大変なんだからさ。』
と言って笑っていました。
ーベーグル屋さんのベンチ
今年3月の2週目にロックダウンが開始して約4ヶ月後。
私は週に一度の食材の買い出しの途中、ようやく外でアイスティーを買って飲むことができたのです。
週に一度、息子の父親が息子に会いに来る日に、私は一週間分の食材の買い出しや銀行に行ったり、息子がいるとソーシャルディスタンスを守るのが難しい用事を済ませます。
ロックダウンの前までによく通っていた近所のベーグル屋さんでアイスティーを買い、外に設置されているテーブルに座って一口飲んだ瞬間、店員さんが、
『ごめんね。もう閉店なんだ。今この時期営業時間も短くて。』
と申し訳なさそうに言ってきたので、その外にある大きなベンチに移動しました。
その風景を見ながら、そのながーいベンチの端っこでコーヒーを飲んでいたおじさんが
『すごいタイミングだったな!』
といって大笑いしながら話しかけてきました。
この記事を読んでいる多くの人はニューヨーカーは大都会に住んでいて常に忙しく、冷たいイメージがあると思いますが、実はニューヨーカーってすっごい誰にでも話しかけます。
電車の中、エレベーターの中、駅のホームなんかでも結構誰にでも話しかけます。笑
アメフトやベースボールの大きな試合の次の日、地方選挙の結果が出た翌日なんかは、知らない人達が熱く語り合うのが日常茶飯事です。
それくらいおしゃべり好きな人たちがここ4ヶ月、ほとんど家族やルームメイト以外とは集まれず、直接会っておしゃべりもできないのは相当なストレスなのでしょう。
私自身も、そのおじさんが端っこに座っているベンチのもう片方の端っこに座って(ソーシャルディスタンスをきちんと守る)すぐに、
『私、シングルマザーで今やっと4か月ぶりに一人で外でお茶できたの。
なのにすぐに店閉まっちゃった!笑』
といって大笑いしながら話しかけました。
それから、お互いの家族の話、仕事の話、経済や不動産の話まで色んな事をその初めて会ったおじさんと話しました。
そして、私たちが住むこのエリアからたくさんの知人や家族が他の州や田舎に引っ越しているという話題になりました。
彼は、
『俺はここが好きなんだ。
シティ(ニューヨーク市内のこと)の人間はいつでも進歩や新しい変化を求めて追及するだろ?
俺もそう。
シティの人間は一度は疲れて、自然が多くて綺麗で、ゆったりした場所に住みたいって言って他に移る。
でも、数年したらほとんどのやつらはまたここに帰ってくるよ。
俺も昔、数年キャッツキル(ニューヨーク州北部にある自然豊かな土地。夏はキャンプ、冬はスキーなどレジャーで人気のエリア。)に住んだけど、戻ってきたね。
なんってったて空気や水がきれいでも、そこの風土や人々に俺は合わなかった。
彼らが悪いわけじゃないんだ。
そこでの人たちはやっぱりシティの人間に比べればとても内向的で保守的だった。』
と話したのです。
実はこの会話をしている時、私はまさにこのキャッツキルへの移住を具体的に考えていました。
この記事を書いている今現在も、自然豊かな地域に子供を連れて移住したい気持ちは変わりません。
ただ、このおじさんがまさにこのタイミングでその話をしたので驚きを隠せなかったのです。
彼は、長いキャリアを持つ生粋のセールスマンだと言いました。
以前、京セラのプリンターのセールスを担当していたことがあり、京都の本社にも行ったことがあると言っていました。
今の時代はプリンターからスキャナーに移ったけど、日本のプリンターの技術はアメリカの会社のものと比べ物にならないほど精密でクオリティが高いと日本人の私を気遣ってか熱弁していました。
そして、彼は力強く私に言ったのです。
『今回の新型コロナの影響でこれから先、世界中の産業がガラッと変わっていくのは知っている。
だけどね。俺自身はクライアントとのコミュニケーションで信頼を勝ち取り、利益を生み、生計を立ててきたんだ。
だからそこを譲る気はないね。
どんなに家の中でコンピューターやスマホのクリックだけでいろんなことができるようになっても、俺は絶対に人と直接会って信頼と利益を勝ち取るんだ。』
この先、彼がセールスマンとして仕事をバリバリ再開できるまでどれくらいの時間を要するかは想像がつきません。
だけど私は強い感動を覚えました。
今、たくさんの人が色んな専門家が言うことをネットや携帯から真剣に聞き出し、どうやって生き残ろうかと必死に今までのやり方を変えて変化しなければと試行錯誤しています。
進化と前進が大好きなニューヨーカーはただ単に時代に流されるだけではなく、それぞれの揺るぎない信念をしっかり持っているんだなぁと痛感したのです。
太陽の下でカクテルを飲む老人たち、ベンチのおじさん、近所のピザ屋のオーナーも、世間のルールはこうであるけれど、自分の人間性の中にある信念みたいな物を絶対に捨てないのです。
実際、以前のニューヨークの感染者の数字だけを見るとその結果がはっきりと出てしまったのかもしれませんが、どうでしょう?
とても不謹慎かもしれませんが、制限が多い生活の中で、最低限のルールを守り、たくさんの人々が外で明るく、羽を伸ばし、笑顔でいるのを見ていると、私の心は明るくなり、次第に笑顔が溢れてきます。
心に少しの余裕が生まれるのです。
マスクをつけていない人を集団で攻撃したりする日常の景色と私が住むエリアの景色には少し差があるように思えるのです。
一方で、私が住んでいるエリアのお母さんコミュニティサイトではたくさんのママたちのご両親がコロナの感染で亡くなったという投稿を見てきました。
ニューヨーク市内の人たちが危機感がないわけではないのです。
この先どうなるのか予測もつかない不安の中で、小さな幸せや楽しみを自分たちで作り出すのがとても上手なニューヨーカーたち。
愛着が湧いてしまいました。